18.ガサ入れ(3)
落ち着け、と青年は自分に言い聞かせた。
仲間が発砲した時には、ちょうど部屋の隅にある給湯室でコーヒーを沸かしていた。突然のガサ入れと銃声に驚いてシンク前に身を伏せ、這って棚の後ろに隠れて今に至る。
日本の警察は撃ってこない、というのはすでに幻想だ。まったく、手癖の悪い連中が増えたせいだと自分たちのことは棚上げして愚痴をこぼす。
そういえば、前に保守党の議員を狙って劇場を襲った過激派の連中は全員が射殺されたんだった。あれが発生したのは、いつもより10分寝過ごして慌てて何も食べすに家を出た朝8時過ぎ。1本遅い電車に飛び込んで一息ついた目に緊急速報が飛び込んできた。
別に、名前も知らない議員が襲われたところでなんとも思わない。政治に対する不満の高まりには共感できるし、無能な政治家がひとりや2人死んだところできっとなにも変わらないだろうから。
むしろ、世界を変えようと行動を起こした犯人たちの命があっけなく奪われてしまったことの方に青年は深い哀しみと同情を覚えた。
遅刻寸前で職場のドラッグストアに駆け込み、「おはようございます」と頭を下げる。「おはよー」制服に着替えた中年の女性が言った。「今日は発注期限だから漏れの無いようにお願いねー」「はい」「まったく、季節感がわからない日が続いていやになっちゃう。その格好で寒くないの?」「はあ、まあ」「そういえば、最近バイトで入ったあの子見ないけどどうかしたのかしら」「あー、どうなんすかね」「人手が足りないのよねえ」青年は乾いた愛想笑いで受け流す。
がちがちにやり方の決められた仕事(挨拶・発注・品出し)。必要もないのにセールに釣られて無駄買いする客(本日のみ30%オフです・3個で20円引き!)。彼らへの対応は全て基本トークが決まっている。「ねえ、これ不良品じゃない?」「大変申し訳ございません。ただいま代わりの品を持ってまいります」息を深く吸って、ゆっくりと吐いた。
青年はそろそろと棚の影から顔を出し、周囲を眺め渡す。1人、足を撃たれてうずくまる仲間の姿が見えた。2人はシャッターの外に向かって滅茶苦茶に銃を撃ちまくっている。建物の中にいるのはその3人だけだった。
(他の2人は逃げたのか?)
通用口のドアが中途半端に開いたまま、外の世界に道を繋げている。捜査員の注意は完全に銃を持った仲間の方に向いているようで、男は存在すら気づかれていないようだ。
逃げられる。
だが――。
不思議と気が進まなかった。
あのドアの向こうに続いている日常に帰りたいとは思えない。何か行動を起こすのなら今じゃないのか?
心臓の拍動が狂ったような速さで打ち続ける。
――いらっしゃいませ。
それが、ドラッグストア店員の決まり文句であるのなら。
――動くな、銃を捨てろ。
これは、捜査員にとっての決まり文句に他ならない。
彼らも自分と変わらない非情な現実に気がついた時、青年は即座に動いていた。
棚の後ろから飛び出し、シンク下の戸を開ける。中には出入りしている中国人業者がくれた爆竹が1ダースほど詰め込まれていた。外装のビニールを破き、腰のポケットを探る。火がない。振り返ると、倉庫の中ほどで引っ繰り返ったテーブルの側に炙り用のライターが転がっていた。
「ッ……」
足を踏み出しかけるが、目の前の床を銃弾が掠める。青年は覚悟を決めてテーブルの後ろまで一気に移動した。手を伸ばし、ライターを掴み取る。喘ぐように息をついた。1,2,3……1,2,3……タイミングを計って帰りも跳んだ。床を転がるようにしてシンク下に戻ってくる。
「ち――」
焦っているせいでなかなかライターがつかない。
硬直したものには、変化を。
やっとついた火を爆竹の導火線に燃え移らせ、思いきりそれをシャッターの外へ向かって投げ込んだ。すぐに次の爆竹を掴み、同じように放り投げる。
「爆発物だ、下がれ……!!」
捜査員たちの叫び声を爆竹の爆発音がかき消した。火花がここまで飛び散り、鼓膜が破れそうなくらいの破裂音が鳴り響く。
「は……ははッ」
火の粉が耳や頬を掠め、皮膚の焼かれる痛みが走った。
手に持っていた3つめに火をつけて、それを投げた反動で尻もちをつく。綺麗な花火だった。倉庫には煙と火薬の匂いが充満し、暴れ狂う爆竹の火花から引火したのか小さな小火までもが至るところで発生していた。
「待てよ!!」
未だ激しく爆竹の鳴る中、捜査員の追いすがるような声が遠ざかる。気がつけば銃を持った2人の仲間がいなくなっている。どうやらこの隙に逃げたらしい。
やってやった。
ぶっ壊してやった。
青年は足をもつれさえながら立ち上がり、撃たれて呻く仲間を踏み越えて通用口へ向かった。いつの間にか閉じていたドアのノブを掴み、体当たりするように開ける――開かない?
「え、おい、なんでだよ」
肩でドアにぶつかり、力ずくで押すががたがたと揺れるだけで開いてくれない。この時、ドアの反対側には油の入ったドラム缶がバリケードのように置かれていたのだ。それを知らない青年が必死に体当たりを繰り返す背後からようやく追いついた捜査員が力任せに組み伏せる。
「確保、確保――!!」
叫ぶ声が耳元でうるさい。
「ちっくしょ……くそッ……!!」
青年は力の限りもがいたが、3人がかりで馬乗りになられてはびくとも動くことはできなかった。
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