9.Old soldiers never die(1)

 ああ、これられちゃってるんだな。

 なんとなく、この不自然な状況の意味を悟ってしまったレザーは「さて」と上着のポケットに手を突っ込んだ。

 誰が犯人かまでは知らないが、きっとそのジョバンニとかいう男はもうこの世にはいないのだろう。そして犯人はそうと知ったうえでこの茶番に付き合っている。

 でも、そうするとつじつまの合わないことがひとつある。

 レザーは首の後ろをかきながら、ふと元警備員の男が手に持ったままの壊れた携帯電話端末を見た。画面のヒビの形が何かを想起させる。

「……ああ、そうか」

 すぐに思い出した。いまポケットにある金と引き換えに働いた夜、泰河の胸で揺れていた星の意匠マーク

「そういうことね」

 さて、と検討する。

 別に、予想が当たっていたからといって犯人逮捕に協力する義務はないが……仕事であればやる。そうでなければ無関係というのがレザーのやり方だった。

 前にいた国では、何が仕事で何がそうでないかを判断するのは簡単だった。

 敵は武装勢力であり、彼らから対象を守るのが警備員コントラクターの任務だ。命の保証もない限り、面倒な規則に縛られることもない。

 レザーは来日した日にサインした書類の内容を思い出した。成田空港まで迎えに来ていた職員の車に乗せられて直行した現場で、矢蕗から手渡された契約書。日本語の下に英語の翻訳が添えられた文章には、守秘義務、報告義務、使用できる武器の制限等の条項が盛りだくさんだった。

「全部読まないでサインしたんですか?」

 あとで、単語の意味がわからなかったところを泰河に聞いたら呆れたようにそう言われた。

「むずかしい用語はわかんないよ」

 レザーは正直に言う。

「この辺とか」

「……任務中は必ずウェアラブルカメラを身に着け、完了後は担当者に提出すること。ほら、米国の警察官が胸の辺りにつけている小さなカメラですよ。記録に残しておかないと、問題があった時に検証ができないでしょう」

「いちいち撮るの?」

「そう書いてありますね」

 先進国のやり方はとにかく細かいのだと、レザーはこの国に来て初めて知ったのだった。これまでとは真逆だ。命の危険はそれほどでもないが、そのかわりに恐ろしく詳細な規則が定められている。

「自由と安全は、両立しえないんですかね」

 泰河は含み笑い、書類をレザーに返した。

「わからない部分があったらいつでも聞いてください。サインする前に」

「わかったよ」

 たしか、契約書のどこかに書いてあったはずだ。〝麻薬取締に携わる者としての自覚を持ち、健全な社会実現のために責務を果たす〟こと。

 そんなわけで、レザーは男たちにこう言ったのであった。

「人がいなくなったのなら、なんで警察に届けないの?」

 いくらストライキが頻発していたとしても、公務員の賄賂が当たり前のように横行しているような貧しい国とはわけが違う。きちんと行政が機能しているのに、それに頼らない人間はそれこそ、すねに傷のある者に決まっている。

 レザーはじっと、3番目の男の濁った瞳を見つめた。

 わからないと思っているのなら、舐め過ぎている。薬物中毒者の目だ。まだ、薬が抜けきっていない二日酔いのような状態の。

「…………」

 彼は無言のまま、右手をズボンのポケットに入れた。微かに紙の擦れる音がする。武器ではない。音だけでぴんときた。

 ……ペーパー・ブロッター。

 心当たりがあった。

 安くて、効きのいい。

「シープスター?」

「お前、なんで」

「同業だから」

「……違うな」

「そうだよ、警備員コントラクター

「何年やってる」

「アルバイトも含めれば5年」

「俺は10年だ。お前だってあと10年もすればこうなる」

 彼は吐き捨て、苛立たしげに言う。

「ドラッグでもなきゃやってられねえ」

「そうだね」

 心にもないことをレザーは言った。

「あんたの言う通りだよ」

 その時、さすがに2番目の男が口を挟んだ。

「おい、しゃべり過ぎだぞ」

「わかってる」

 だが、彼はまだ何か言いたそうに口を開いたり閉じたりしている。

 2番目の男は肩をすくめ、レザーに懇願するような目を向けた。

「ドラッグのことは見逃してくれないか。こちらにも事情があるんだ。察しの通り、ジョバンニとは薬物絡みのトラブルがあって警察の世話にはなりたくない」

「もし彼が見つからなかったら?」

 レザーが聞くと、2番目の男は俯き、小さな声で言った。

「仕方がないね。かわいそうだけど、出稼ぎ先で行方知れずになるのはめずらしいことじゃない」

「おい、そんなの許さねえ。あいつは俺たちの金を持ったままなんだぜ? ドラッグを買うために集めた金だ。持ち逃げなんざさせねえよ」

「残念ながら、そこの彼の話によればすでに売人と接触してドラッグに代えた後だ。どちらにしろ戻ってこない」

「はあ……、完全にこっちの損かよ」

 もう、どうにでもなれと地面を蹴ってふてくされたように3番目の男は背を向けた。結局、手がかりは見つからない。

 目撃者である元警備員から話を聞いていた最初の男も、肩を竦めて首を横に振るばかりだ。

「駅前で売人と接触した後の行方は何もわからない。お手上げだな」

 おずおずと、元警備員が声をかける。

「あの、もういいですかね?」

「ああ。手数をかけてすまなかった」

 ほっとして、元警備員は彼らから離れようとした。しかし、その前にレザーが口を開いた。たしかめたいことがある、と言ったのだ。

「え?」

 言葉のわからない元警備員を親指で指し、最初の男に通訳を頼む。彼はいぶかしみながらも頷いた。自分の携帯電話端末を操作しながら、元警備員を呼び寄せる。

「あの、もう帰っていいんじゃ……?」

「最後にこれを見てくれ」

「はあ……」

 彼は言われた通りに、差し出された画面ディスプレイを覗き込んだ。そこには仲間と肩を組んだジョバンニの写真があった。


            *  *  *


 元警備員は首を傾げた。

 見せられた写真に違和感があったのだ。なんだろう、とさらに首を傾げる。目の前の男はこれがジョバンニだという。

 たしかに、服装はさっき見た男と同じだ。背格好もだいたいこれくらいだったと思う。なのに強烈な違和感がぬぐえない。

 何かが違う。

 まるで間違い探しのようだった。

 顎に手を当て、画面を食い入るように見つめる。


 いつもと変わらない休日の駅前。

 午前のうちに職業安定所に通って目ぼしい求人を探し、不採用の通知に肩を落とした。

 職を探して画面をスクロール。

 笑い声は部活動帰りの中学生だ。これから昼食にするのだろう、席が空くまで店の前で楽しそうにお喋りしている。忙しそうなビジネスマンは慌ててタクシーに乗ろうとしたためにもう少しで開いたドアにぶつかるところだった。

 老人が通り過ぎる案内板の前に帽子を被った若い男の横顔。『M』のロゴが入った地元プロ野球チームの野球帽が目立ったのでよく覚えている。時間を潰すように音楽を聴いていた。痩せていて、背が高い。

 やがて、制服姿の外国人が「hey」と彼に声をかけた。そう、筋肉質で背の高い屈強な男。動きやすそうなチノパンにポロシャツの――。

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