8.ホリデー(3)

「その話、俺にも聞かせてくれる?」

 レザーが言うと、さっきのとは別の男が訛りの強い英語で答えた。

「君も僕たちの仲間を見たのか?」

「仲間?」

「今朝から姿が見えない。行方を捜している」

 彼は身振りを加え、心配そうな顔つきで言った。

「ああ、それは心配だね」

 レザーが頷くと、「そうだ」と彼も頷く。

「君は?」

「同業」

 すると、彼は気の毒そうな顔になった。

「その若さで? つらいな」

「――――別に」

 全くそんなことはなかった。

 レザーは笑う。

「それに、この国はいいよ。なにしろミサイルが飛んでこない」

「ああ。だがその分、稼ぎは悪いがね」

 昔はよかった、と彼は述懐する。

「十数年前のイラクなら、ひと月で1万ドル以上稼げることだってあった。あんなバブルはもう二度とこないよ」

「……おい、いつまで無駄話をしてる?」

 3人組最後の男が苛立たしげに舌を打った。

 彼はレザーの視線を避けるように身じろぎ、ポケットに手を突っ込んで体を傾ける。酔ったように濁る瞳が元警備員を射抜くように見た。

「こいつがジョバンニを見た、それはたしかなんだろ?」

「そうだった」

 2番目の男は思い出したように頷き、元警備員に向き直る。

 彼といえば、すっかり恐縮したように息をひそめて成り行きを見守っていた。レザーは拾ったままの携帯電話端末を思い出して、それを差し出す。

「はい」

「ああ……」

 頷きはやがて、落胆の嘆息に変わった。

 見ると、画面ディスプレイに大きなヒビが入っている。電源は入るようだが、修理が必要だろう。

「気の毒にね」

 なんとなくの意味合いは伝わったのか、彼は慌てて気を取り直そうとした。

「いや、大丈夫。ええと……」

「通りすがりの同業者らしい」

 さっきのやり取りで壁が取れたのか、2番目の男はレザーを親指で示しながらつたない日本語で言った。

 元警備員は驚いたような顔で、

「本当に? ……やれやれ、おじさんはクビになるわけだ。老兵は死なず、ただ消え去るのみか」

 彼が発した言葉を繰り返す。“roheihashinazu”後で泰河にその意味を聞いてみようか。

 最初の男が再び元警備員の前に進み出た。

 ジェスチャーを加えつつ、丁寧に、しかし有無を言わさぬ強さで言う。

「それで、改めて頼む。俺たちは、俺たちの仲間であるジョバンニを探さなければならないんだ」

「はあ……」

「君がジョバンニを見たのは何時ごろだった?」

「申し訳ない。ずっとこれで仕事を探してたんですよ。だから本当に正確なところは……1時間か、1時間半……いや、45分……たぶん、2時間は経っていないと思うんですが」

 話し込む2人を横目に、レザーは3番目の男の肘を小突いた。

「なに話してるの?」

 3番目の男は呆れたように鼻を鳴らす。

「日本語わからないのか。まあ、俺もほとんどわからんが」

 レザーが頷くと、彼は再び舌を打った。

「ジョバンニを見ていないのなら、お前には関係のないことだ」

「いつからいないの?」

「今朝だって言わなかったか」

「それは気づいた時間であって、いなくなった時間じゃない」

 レザーの指摘に、3番目の男の眉がぴくりと動いた。聞き方を変えて、もう一度。

「最後に見たのは?」

「……俺が見たのは、茜浜にある物流センターだ。俺たち4人は夕方4時頃から深夜までのシフトでそれぞれの配置についていた」

 彼は顔をしかめ、他の2人を肩越しに見やった。

「俺たちはみんな、米国からの出稼ぎだ。この国に来る前はそれぞれ別の国で働いてた。故郷なんてもう何年も帰ってない」

 腕を組み、吐き捨てるように。

「逃げたって、行き場所なんかないんだ。そんなことはジョバンニだってわかっているはずなのに……」

「――逃げた」

「そうに決まってる。あいつは俺たちの仕事を馬鹿にしてた。じゃあ、なんでお前はその仕事をやってるんだとたずねたら、喧嘩になった。だが、選択肢なんてどこにある? 俺たちにそんなものは与えられていない」

 じっと、男の目がレザーを見つめる。

 同業者であるお前ならわかるだろう、とでも言いたげだった。

「わかるよ」

 レザーは少しだけ酷薄な笑みを浮かべた。

「仕事の話じゃなくて、仲間の話の方。戦場ではぬるい仲間意識なんて、くその役にも立たない」


            *  *  *


 茜浜。

 埋立地に大手飲料メーカーの工場や流通業者の倉庫がひしめき合う、千葉港の1区画。

 赤色灯を振る誘導員に従って車を停めた泰河は、上着の内ポケットから麻薬取締官証を取り出して見せた。

「遺体の発見場所は?」

「海です。本日の明け方、岸から数十メートル離れた波間に浮かんでいるのを業者が発見して警察に通報しました。遺体はすでに警察署へ運ばれ、検視中です」

 誘導してくれた所轄暑の巡査に礼を言い、立ち入り禁止テープの前にいた壱谷の元へ向かう。

「溺死体だ」

 壱谷が言った。

「年代は40歳前後、外国籍の男性。身長約175cm、体重約75kg。いま身元の確認を行ってる。上着のポケットからこいつが発見された」

 差し出された写真には、濡れて印刷の掠れたペーパー・ブロッター。

「シープスターですね」

 特徴的なイラストは見間違いようがなかった。

 フェネチルアミン系のデザイナードラッグ。安価でありながら際立って強い幻覚作用を持つ、裏で人気の薬物だ。

 写真のものは切り取り線に沿って何枚かが欠けていた。おそらくは本人が使用した可能性が高い。壱谷は写真の中のペーパー・ブロッターを指先で弾いた。

「こいつがあったから、うちにも話が回ってきた。心当たりはあるか?」

 写真は他に発見直後の被害者を撮影したものが数枚。筋肉質な二の腕に彫られたエルネスト・ゲバラのポートレートタトゥーがはるか彼方を見つめていた。

「見覚えはありませんね。指紋の方は?」

「調べさせたが、該当者なし。前科者でもないようだ」

「司法解剖にまわったとして、詳しい死因が分かるのは少し先になりますね」

「ああ、数日はかかる」

 その時、にわかに現場が騒がしくなった。

「どうやら、身元と死亡推定時刻が判明したようだ」

 壱谷が不謹慎な笑顔を浮かべた。

 情報はすぐさま、その場にいた者の間で共有される。担当の捜査員から耳打ちされた壱谷は頷き、泰河に告げた。

「被害者の氏名はジョバンニ・カランサ・カルバハル。42歳の民間警備員。死亡推定時刻は深夜0時から3時頃。司法解剖が終わればもう少し絞り込めるが、いまのところはこれで十分だろう」

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