5.エル・プレジデンテ(2)

 00:28。

 真夜中。白のインプレッサがビル街を走り抜け、角地に立つ住居用ビルの前に停車した。元は雑居ビルか何かだったのをアパートメントに改装したのだろうと思われる。すでに外で待っていた人物をピックアップし、港を目指した。

 葛南東部地区――夜の埠頭。

 昼間よりは少ないが、荷物を載せたトラックが時おり倉庫から出てくる。車は積み上がったコンテナの裏側に寄り添うような格好で停まった。

 少し先に電気の消えた事務所が見える。

「これからそこの建物に侵入して、情報データをぶんどってくると言ったらどう思います?」

 などと、物騒なことを言い出したのは運転席の泰河であった。

 助手席で足を組み、シートにもたれかかったレザーはこう答える。

「不公平だ」

「その心は?」

「俺には法令遵守と言っておきながら、自分は破る。これはフェアじゃない」

 事の発端は、船橋のシューティングバー。

 泰河は店長に事情を話して被疑者の売人と関わりのある客をマークしていた。ご丁寧にも店内にはシューティングレンジを利用した客が記念写真を残しており、その中には例の売人が仲間と写ったものも見つかった。

 何日か張り込んでいるうちに、マークしていた客のうち2人が店を訪れた。レザーを使って客に接触、近くで顔を確認させたが間違いないとのこと。

 泰河はダッシュボードに写真の写しを広げた。引き延ばして拡大したうちの1枚に、痩せた背の高い男がおどけて自分のこめかみに拳銃ハンドガンの銃口を押し付けている姿。その横に矢印で名前と住所、そして勤務先の港運会社名がマジックで書き込まれていた。

「あの男、やけに頻繁に会社関係と思われる相手と連絡を取り合っているんですよね。しかも、周りに人がいないのをたしかめてからこそこそと話していて明らかにあやしい。でも、それだけじゃ立ち入り検査の申請をしても通らないでしょう? この国の組織はね、確実に有罪にできる案件でなければ動いてくれないんですよ」

「監視カメラは?」

「そちらは心配いりません」

 なぜ、とレザーが問うように目を細めるが泰河は何も言わなかった。代わりにさきほどの質問に答える。

「それに、フェアですよ」

「フェア?」

「俺が法を破り、あなたは法を守る。これは同一の結果を招くので、公平フェアです」

「その心は?」

「人が死なない未来のため」

「――――」

 レザーは微かに息をついた。

 少しだけ、鼻白むような微笑だった。

「あんた、自己正当化がうまいね。政治家になれるよ」

「どうも。それで、いくらでやります?」

「60ドル」

 レザーはこともなげに言った。

時給でper houor?」

日給でper day

「安い」

 泰河が眉をひそめる。

「そこらへんを歩いてる出稼ぎの外国人エクスパットでも1日200ドルは取ります。もっと別の仕事に変えた方がいいんじゃないですか」

「例えば?」

 泰河はちょっと考えて、

「すみません。思いつきませんでした」

「別にいいよ」

 レザーはタクティカルブーツの紐をぎゅっと結び直し、尻のポケットに挟んでいた手袋を右から左の順に嵌める。

「これが向いてるんだ。戦闘コンバット。うまくやるよ」

「契約書、いります?」

「いや、証拠は残したくないね」

「賢い判断です。でも、取引額が大きくなればどうやっても闇帳簿は必要になってくるものなんですよね」

 2人は車を出て、人目を避けながら事務所に近づいた。警備会社のシールに気づいた泰河は指先でそれに触れ、小さく笑った。

「こういうの、防犯のための示威行為なんでしょうけど。名前までさらすのはよくないですね。誰を攻撃すればいいのか、すぐにわかってしまうから」

 車内から持ち出したブリーフケースを担ぎ直し、彼は無防備に敷地内へと踏み込んだ。門の上部に手をかけ、いとも簡単に乗り越える。

 大丈夫だと言った通り、警報の類は鳴らなかった。

 門の柵越しにレザーと向き合い、軽く両手を広げてみせる。

「ほらね、なんともないでしょう」

「どんな魔法?」

 だが、レザーは用心深かった。

 一歩間違えば地雷で足を吹き飛ばされ、一瞬の気の緩みが銃殺を招くような場所で生き抜いてきた。その経験がたやすく都合のいい現象を受け入れさせない。

 泰河はやはり黙ってしまったものの、あまり時間もないと割りきったのか口を開いた。

「こういうことが得意な知り合いストーカーがね、ひとりいるんですよ。俺は彼の弱みを握っているので何でも言うことを聞かせられるんです」

「どんな人?」

「それ、気にするところですかね」

「命を預けるわけだから」

「信用できない?」

「いや、好奇心」

「自分のやりたくないことが得意な人ですよ。それも異次元のレベルでね」

 レザーが動いたので、泰河は彼が門を飛び越えるための場所を空けた。軽やかにこちら側へ舞い降りて曰く。

「俺と逆」

 レザーが自分の隣に並ぶのを待ってから、泰河は改めて建物を眺め渡した。鉄筋コンクリートの2階建て。窓にはきっちりとブラインドが下ろされていて中を覗くことはできそうにない。

「男を尾行した際に通用口の場所はわかっています。俺が扉の電子錠を割る間、警備員を抑えておいてもらえますか」

「警備員って――」

 植木の影に身を潜め、レザーは低く囁いた。

「あのおじさん? あんまり強そうじゃないけど」

「時給12ドル程度の派遣社員にあまり期待しないであげてください」

「俺よりもらってない?」

「……できるだけ早く帰してあげますよ」

 彼は静かに忍び寄り、背後から警備員の口を塞いで建物の裏に引っぱり込んだ。少ししてから、オーライとばかりに泰河を呼び寄せる。

「怪我をさせていないでしょうね」

「まあ、大丈夫でしょ」

「ここで待っていてください。10分以内に戻ります」

 泰河が自分の携帯電話端末スマートフォンを電子錠の前にかざすと、たちまちのうちに開錠音が鳴った。

 開いた扉を肩で押し開きつつ、静電気防止手袋に指先を通す。事前調査で男の席は見当がついていた。

 右奥。

 ペンライトで照らした椅子の背に制服がかかっていた。名札が男の名前と一致するのをたしかめ、ブリーフケースのファスナーを開ける。必要な機材を静電気防止マットを敷いた机の上に並べ、卓上にあった業務用ノートパソコンを裏返した。

 静音性の電動ミニドライバーを使い、早業で分解する――しようとしたところで、手が止まった。

「え?」

 きっかけはささいな違和感だった。

 作業に慣れていなければ絶対に気がつかないレベルの、ネジが外れる時の感触の違い。泰河は電動ミニドライバーの電源を切ってノートパソコンの底をペンライトで照らす。

 じっと、ネジで留められた蓋の合わせ目を見つめる。

「これは……」

 ずれている。

 出荷された時点ではきっちりと隙間なく閉じられているべき部分が、ほんの少しだけずれて僅かな隙間ができている。

 泰河よりも前に、誰かがこれを開けたのだ。

 修理の必要があってそうした可能性もあるが、あるいは。

(すでにどこかの立ち入り検査を受けている?)

 そんなはずはない、とは言い切れなかった。麻薬取締部は警察や税関などの捜査機関と協力体制を進めてはいるが、全ての情報を共有しているわけではない。

 どこかの捜査機関が先にこの港運会社に目をつけた可能性は十分にあった。

「……とりあえず、作業を」 

 我に返れば、すでに2分近くが過ぎている。

 急いで蓋を開け、バッテリーパックを外すまでに30秒かからなかった。むき出しになった薄型のハードディスクに指先を引っかけ、慎重に本体から取り外す。おもむろにマットの上へ置き、複製ツールの上部に繋いだ。続けて、用意してきた複製用ハードディスクを2つ、今度は複製ツールの下部に繋ぐ。

 泰河はこつこつと指先で時を刻んだ。1、2、3……43、44、45……。ピッ、とツールのディスプレイに複製完了を示す合図。

 コピーが完了した複製用ハードディスクのうちひとつは予備として黒い網目状の模様が入った静電気防止のためのシールドバッグに密閉保全し、ブリーフケースの中へ。もうひとつはそのまま上着のポケットにしまい込む。

 あとは元通りにノートパソコンを組み立て直すと、使用後の複製ツールとマットを掴んでレザーの待つ通用口へと戻った。

「首尾は?」

「おかげさまで」

 寄り道をせずに車へ戻り、すぐにエンジンをかけて港を後にした。

「あの港運会社、何かありますね」

 助手席でレザーが小さなあくびをする。

「まだ1時前ですか」

 泰河は車の時計を確認し、早く帰って眠りたそうな相手に言った。

「ひと仕事終えたばかりで申し訳ないんですが、もう1件いっていいですか?」


            *  *  *

          

 サークルの飲み会に朝まで付き合わされた学生は始発で帰ったアパートに足を踏み入れた瞬間、微かな違和感に襲われた。

 玄関、部屋、キッチン、ユニットバス。

 全ての電気をつけて回る。

「なにも変わってない……」

 だが、本当に?

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