4.エル・プレジデンテ(1)

 今日は調子が悪い、と学生は構えていたエアソフトガンを下ろした。

 愛用の改造済シュタイアーAUG。表面を撫で、具合をたしかめるようにためつすがめつしてから今度は裏返して同じことを繰り返す。

 船橋駅前から徒歩数分の雑居ビル。木目調のテーブルが並べられた、落ち着いた雰囲気のバー。普通と違うのは酒の他にモデルガンが飾られていることと、テーブルの奥に仕切られたシューティングレンジの存在だ。

 俗にシューティングバー、と呼ばれている。

 彼を初めてこの店に連れてきた男は、ちょうどいま拘置所にいる。薬物を売りさばいていて足がついたのだ。

(運が悪かった)

 偶然、接触したばかりの客がオーバードーズで死亡した。これにはきちんと理由があって、男が売っていたシープスターという薬物は非常に経済的なのだ。

 なんといっても、安い。

 フェネチルアミンのベンゼン環にさまざまな装飾をほどこした化合物は元の幻覚作用を何十倍にも強め、少量でも

 なにしろ、16ピースが1シートになったペーパー・ブロッターで15ドル程度。子どもの小遣いでも買える。男はそれを主に学生や若い社会人相手に商売していた。頼まれれば中高生にだって売った。

 売り文句はこうだ。

 みんなやってる。

 残念ながら、平凡なやつらに売るには平凡なコピーが一番のだった。話がそれたが、つまりは少量で十分な効き目があるので他の薬物と同じつもりでいるとたやすく使用量を誤る。

 おおかた、死んだ客はLSDかなにかと間違えて食ったのだろう。ちゃんと商品説明の動画を最後まで見ないからだ、愚かもの。

 調子が上がらないので途中で切り上げ、シューティングレンジを出たところで入れ替わりに入ってきた相手に声をかけられた。

「AUG?」

「え? ああ……」

 何人だろう、と首を傾げる。自分と同じ年くらいの若い外国人だった。対応に困って立ち尽くすと、相手はこだわらずに「いいねswag」と言い残してレンタル用のエアソフトガンをひとつ選び取った。

(M4A1カービン)

 拾い上げた弾倉を軽く弄んでから本体に差し込み、チャージングハンドルを指先に引っ掛けて後ろに引くと、最初の弾が装填完了。

 彼はひどく手慣れた様子でそれを目の高さまで持ち上げると、頭を銃の側に傾けて照準器サイトをのぞき込んだ。

 当たる、と確信する。

 これほど自然に銃を構えられるやつを見たことがなかった。だが、予想は外れる。フルオートで撃ち出された弾は的の上部を素通りし、あえなく後ろの緩衝材に跳ね返って床に落ちた。

「なるほど」

 彼は銃を見下ろして独り言つ。

「本物より弾が上ブレするんだ」


 学生が席に戻ると、仲間が声をかけた。

「あいつ、なんて言ったんだ?」

「……さあ。ホップアップとか何とか聞こえた気がするけど」

 目の端でさっきの外国人を追うと、カウンターでカクテルを飲んでいる男の隣に戻って何かを囁き合っている。

 エル・プレジデンテ。

 丸みをおびた足の長いグラスに注がれて出てくるフルーティなショートカクテルを、その男は自分が大統領でもあるかのような素振りで飲み干した。もちろん、主観的な印象ではあったが。


            *  *  *


「ホップアップ?」

 男は怪訝な顔で繰り返した。

「そりゃ、エアソフトガンの弾はホップアップするに決まってるだろ。遠くまで飛ぶようにわざわざバックスピンをかけて発射してるんだぜ」

 振りかぶり、ピッチャーがボールを投げるように腕を振り抜いた。こう見えても――自分で言うのもなんだが、痩せっぽちで貧相な体つきをしていると思う。だけど、背は高い方だ。少しさばを読んで180cmと自称している――学生時代は野球部で汗みずくになって頑張っていたのだ。

「こう、ボールの縫い目にかけた指を強く振り抜いて投げるのがストレート。そうするとボールに後ろ向きの回転が加わって、そのスピンが進行方向に対する揚力を生む。マグヌス効果ってやつだ」

「言われなくても知ってるよ。エアソフトガン持ってるやつで知らないやつがいるのか?」

「……まあ、普通ならな」

 男は吸っていた煙草を灰皿に押し付け、足を組み直した。

「ところで、お前。本当に参加するのか?」

「ああ」

「どうして。適当にドラッグだけ売りさばいてる方が楽だし儲かるだろ。そこまで付き合う必要はないんだぜ」

「……なあ、俺はもう21歳なんだよ」

 ゆっくりと、言い含めるように学生は言った。

「まだ、じゃなくて?」

「ああ」

 男はふと自分の学生時代を考えた。

 果たして、「もう」と思っていたのか「まだ」だと思っていたのか? それは実に大切なことのように思えた。そこを間違えてしまったからこそ、いまのような人生を歩むことになってしまったのだろうから。

「つまり、お前は、だからやるんだな」

「ああ」

「なるほどね。なら、俺から言うことは何もない」

 2人は同時に席を立ち、店を出たところで別れた。

「?」

 男は無意識に何かが気になって振り返る。すでに学生の背中は見えなかった。手持ち無沙汰に首筋を撫で、気のせいかと首を傾げる。

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