1.レザー係、拝命
――では、こちらのお見積もりでお願いします。30秒間の紹介動画で15万円。商品は数日内にお送りしますので、そちらに届きましたらお受け取り完了のご連絡をください。前金をお支払いします。
パソコンの画面上に流れる文字を読み、男は頷いた。
「わかりました。前金は料金の半分。残りは完成品を確認してもらってからで構いません。できるだけ早めに進めますが、納期は10日から2週間くらいかかると思ってくれれば……」
――大丈夫です。問題ありません。
* * *
15:56。
空調の効いた車内にモバイルパソコンのキーを打つ音。
打ち合わせはテキストのみで、と最初に断ってある。通信相手も面が割れないようにフェイスチャットのフィルタを通して頷いた。
「ホシの居場所は?」
「自室です。突入までチャットに引きつけておきます」
助手席に腰かけた男は半分ほど開いた窓の外を眺め、煙草の灰を携帯灰皿に落とした。
「早く片付けないと夕立がきそうだな。雲がだいぶ低くなってきている」
「なにか問題が?」
「濡れるのは嫌いなんだ」
猫じゃあるまいし、とたゆまずにキーを叩きながら思う。
袖を通しているのが高いスーツならともかく、男はいつでも擦り切れたジーンズにくたびれた柄物のシャツしか着ない。管理職だろうが知ったことか、とそのままの格好で部内の会議にだって出る。
「
2人の乗った黒のクラウンに別の男が近づいた。「
「マスターキーがありました。協力を要請した警察官の配置も完了です」
「よし。16時ちょうどに突入する」
「了解」
矢蕗が持ち場に戻り、壱谷が「さて」と煙草の火を消した。クラウンは住宅街の裏道にひっそりと停車中だ。周囲には制服姿の警察官が2人と1台のパトカー。無線で別方面にいる警察官と連絡を取り合っている。本当はもう少し人数を借りたかったが、これでも融通してもらえた方なのでぜいたくは言えない。
「お前のおかげで今回は楽にことが運んだな。任官1年目にしては上出来だ」
「2年間、実務研修で揉まれましたから」
「東北は寒かったろう」
「慣れますよ」
そうか、と壱谷は頷いた。
「褒美にいいものをやる。あそこを見ろ」
ちら、と目を上げると矢蕗の隣に立つ人物の背中が見えた。サインした書類と引き換えに身分証を受け取ったようだ。まるで旅行者のように大きな荷物を背負い、よく履き込まれたブーツの足を軽く交差して爪先を地面に押しつけている。
「例の話、本決まりになったんですか」
「俺たちの身辺警護に民間警備員をつけるっていうあの話な」
「せっかくですが……」
「お前がいらないといっても、すでに上が手配済みだ。都市部の治安は悪化する一方だし、警察はあまりあてにならないからな。ストライキばっかりで他に人員をまわしてる余裕はないそうだ。半年くらい前にも観劇中の議員を狙ったテロがあったばかりだしなぁ。ま、念のためさ」
「しかし、米国国務省の息がかかった民間軍事会社の
「スパイ? ははっ、その心配はないな」
「なぜ?」
「日本語がわからない」
「――――」
「英語なら話せるそうだ。お前、ペラペラだろ? マサチューセッツ工科大学帰りの元留学生」
「留学といっても、大学の交換留学プログラムを使って半年間通っていただけですよ」
「謙遜するな。今日からお前があいつの係だ、うまく面倒見てやってくれよ」
「あ、ちょっと」
壱谷が車を降り、代わりに彼を呼び寄せる。助手席のドアが閉まり、今度は後部座席のドアが開いた。肩から軍用モデルと思しき大容量のバックパックを下ろしながら隣のシートに滑り込んでくる。しなやかで隙のない身のこなしではあるが――。
「レザー?」
彼の手にある身分証に視線を走らせ、名前の部分を読み上げた。国籍はイラン。中東出身にも関わらず、彼は英語で名乗った。学校で教える基本的な文法ではなくて、ネイティブが好むようなくだけた言葉選びで。
「そう、
「
こちらは打って変わって丁重な英語で返すと、明るいブラウンにグリーン系の色彩が複雑に入り混じったヘーゼルアイが不思議そうに細まる。
「“
当たり前だ。
泰河は肩をすくめる。
どこでも売っている白いコットンのカットソー。その上からシングルブレストの黒いブレザーをボタンを外して羽織るありふれたビジネスカジュアルな格好で、膝に乗せた12.5インチのモバイルパソコンを操作する男のどこに“
「俺のは“
「――河」
ふと、レザーが何事かをつぶやいたが聞き取れなかった。
「うん。そっちなら似合ってるかもね」
「それはどうも」
しゃべりながらもキーを叩き続ける。
チャットを通した取引は佳境に入っていた。料金と納期の確認を済ませ、あとは細かい制作内容の打ち合わせ。
「そもそも、英語の読みで言えばあなただって“
「よく知ってるね。そう、あの国だと普通にありふれた名前。レザー」
「年齢は?」
「21」
今度は泰河が眉をひそめる番だった。
隣に座った時から、
「やけに若いな。職歴は?」
思わず、素直な感想を口に出してしまったが、レザーは平然と答えた。
「今の会社と契約して3年目。その前はアルバイトで同じような仕事をしてた。警備、護送、警護。なんでもやれるよ」
「軍隊経験はない?」
「――」
レザーは一瞬沈黙してから、
「15、6の時、それに準じる民兵組織にいた。どこかの国はそれをテロ組織と呼ぶそうだけど」
「ああ」
無感動に泰河は言った。
「あの国なら仕方ないですね。けれど、この国は気にしない。そういう国なんです。よくも悪くも」
「そうなんだ」
「ええ。ちなみに英語はどこで?」
「個人的に。教えたやつが教えたやつだから、ぶっきらぼうでも許してよ」
「まあ、適当に合わせます」
視線を画面の端に表示された時刻に向ける。
16:00。
「話の途中ですが、時間になったので仕事の手順を説明します」
同時にパソコンの中でも異変が起きた。
『え?』
レザーは
「俺たち麻薬取締官は薬物捜査に特化した特別司法警察職員です。法律で禁止された薬物に関する犯罪を行った者を見つけた場合、証拠を集めて裏づけをとる。それで容疑が固まり、令状が取れたらガサ入れです」
――どうしました?
『いや、なんか知らない人が……え? えっ?』
――大丈夫ですか、一体何が。
『やばいって、知らない知らない! なんなの? これなんなのよ』
「まずは被疑者の在宅を確認し、複数人で突入。逮捕状あるいは家宅捜索令状を呈示して相手の同意を求める」
遠く、マイク越しに怒鳴るような声が聞こえた。
『……ってるだろう。薬物密売サイトの宣伝動画作成及びアップロード。……の2か月間で3件の密売幇助容疑と大麻所持及び密売容疑がかかっている。待て、――ベランダ班っ』
『ひえっ』
どたん、ばたんと複数人が暴れまわるような激しい
無言で画面を眺めていたレザーが、くすっと笑った。
「こちらの要請におとなしく従ってくれたら問題ないんですけどね。もしも同意が得られなかった場合、あるいは抵抗してこちらに危害を加えてきた場合は――」
「俺の出番」
「ええ、その通りです」
相手側の通信が切れたのを見計らい、泰河もチャットルームをログアウト。
「今回は一般人が相手でしたが、密売組織によっては銃で武装していたり、用心棒を雇っている場合もある。あとは密偵時の護衛だとか。とにかく捜査員の安全を守ること」
車の外がにわかに騒がしくなった。
窓枠に囲まれた小雨の降る夕方の路地裏を、捜査員に囲まれた犯人と思しき男がうなだれた姿で連行されてゆく。泰河はパソコンを閉じて言った。
「ただし、ここは日本です。民間警備員の銃やナイフによる武装は禁止。もし発覚すれば法令違反で逮捕です。いいですね?」
「了解。よろしくね、泰河さん」
レザーは少しだけ首を横に傾け、気安く笑って請け負った。
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