挿話 三百年前の出来事③

 時は下る。エルネスト=バラントンの非業の死からいくつかの季節が過ぎた。

 しかし、『バラントンの泉』のほとりに立つ家樹いえきで暮らす母娘は、一家の長でもあった彼の死を未だに引きずり続けていた。


「あああああっ!!」


 ――ガシャァァンッッ


 家樹の一階から、叫び声に続いて、何かが割れるけたたましい音が響いた。

 それを聴いたヴィヴィアン=バラントンは、軽やかに木の幹を滑り降りるようにして、その現場に足を踏み入れた。


「ママ、どうしたの?」


 叫び声の主は、彼女の母親のイレーヌだった。

 イレーヌは肩を上下させて荒い息をいていた。

 彼女の足元には、ばらばらになった陶器製の食器があった。


 どうやらイレーヌは、癇癪かんしゃくを起こして食器を壊してしまったらしい。それ自体は、ここ数ヶ月でもう何度もあったことだった。


「あら、ヴィヴィー。ごめんなさいね」


 娘に好ましくないところを見せてしまったと思ったイレーヌは、苛立ちを誤魔化そうと頭を掻きむしった。


「……何かあったの?」


 ヴィヴィアンは一連の出来事からなんとなく悪いしらせを予想し、低い声で母にたずねた。

 問われたイレーヌは、案の定、肩を落として語りだした。


「――駄目だったのよ。報復のために森を出ることは許されないって」

「そんな……」


 イレーヌのその言葉で、ヴィヴィアンは事の次第を理解した。


 エルネストの死後、バラントン一族とモルガン=サルトゥール、そしてロドルフ=アンブローズは人間達への報復を誓い、長老会に連名で申し立てを行った。

 しかし、長老会の判断は否だった。


 ――双方に死者が出ており、被害はむしろ人間側が大きい。この上に報復を重ねれば、より大きな災禍を招く。


 それが長老会の結論だった。

 しかし、一家の主を失った母娘にそれを受けれることはできなかった。


「そんなのって、おかしいよ! パパは突然襲われて殺されたのにっ!」

「ええ! その通りよ、ヴィヴィー。……なのに、腰抜けの長老連中は掟が掟がって言うばかりで、何もしやしない……!」


 イレーヌの台詞せりふの後半には、長老達への恨みつらみがまざまざと現れていた。

 そのとき、ふとヴィヴィアンの脳裏に閃くものがあった。


「――ねえ、ママ。もしも私が里長になれたら、パパの仇を取れるようになる?」


 ヴィヴィアンのその言葉を聞いたイレーヌの瞳に光が宿った。


 この当時、当代のバラントン家の当主は長老会に名を連ねていた。

 だから、同年代の間でも優秀なヴィヴィアンが長老になることは難しくはないだろう。里長に指名されるには相当の実績が必要だが、不可能ではないのではないか。――イレーヌはそう思った。


 希望を抱いたイレーヌは、がっしりと愛娘の両肩を掴んだ。


「……そうよ。そうすればいいわ。里長になりさえすれば、人間達に戦争だって仕掛けられる」


 実際には、『サン・ルトゥールの里』における重要事項はほとんどが長老会による合議で決められており、里長の権限は微々たるものなのだが、このときの母娘はまだそれを知らなかった。


「あなたならできるわ、ヴィヴィー。お願い、エルネストの仇を取ってくれる?」


 母親に間近で見下ろされながら、ヴィヴィアンはこくりとうなずいた。


「うん。私やるよ。――たとえ、何年掛かったとしても」


 このときの彼女の答えはその後、長きに渡って続く誓いとなった。


「ありがとう、ヴィヴィー。あなたは私達二人の自慢の娘よ。きっとエルネストも誇りに思ってるわ」

「本当に? ……そうだったら、嬉しいな」


 仲むつまじい母娘の双眸そうぼうはそれぞれくらよどんでいたが、この場にそれを指摘できる者はいなかった。


**


 ――一方その頃、ザルツラント家が治める『シュターツェル』の町では。

 ザルツラント家の本邸にて、バルタザール=ザルツラントが腹心のゼバスからある報告を受けていた。


「若。ゲルダ殿が亡くなりました。昨日の魔物退治の際、崖で足を踏み外して転落したとのことです」

「! ゲルダもか!」


 その報せを聞いた彼は、思わず机を叩いて立ち上がった。


「あの探索行に関わった者が次々と……。まるで呪いだな」


 バルタザールが十五名の供回りを率いて『ブロセリアンド大森林』の探索に赴いたのが数ヶ月前のことだ。

 一行が帰還してからこの日までの間に、探索から生還した七名の内、ゲルダを含む五名が死亡していた。一人はエルフの魔法によって受けた傷口が悪化したことによって、もう一人は探索の間に取った食事からの中毒が死因と見られた。しかし、あとの三名の死因は森の探索とは無関係のものであり、それが不気味に感じられた。


「若も、ゆめゆめ身辺にはお気をつけください」

「ああ……」


 立ち上がったバルタザールはふとゼバスに背を向け、窓の外を眺めた。

 視線の先には、『ブロセリアンド大森林』の奥地を水源とする大河が流れていた。


「……もう一度、エルフと接触なさいますか?」


 ゼバスの問いに対し、バルタザールは首を振った。


「いや。それはないな。いたずらに彼らを刺激すべきではないだろう」

「――とすると?」

「触れを出そう。これより先、民が大森林の奥地へ立ち入ることを禁じる」

「ハッ」


 バルタザールは、後に父親である当時のザルツラント家当主と協議した上で、この言を実行に移した。


「……彼らは、蛮族などではなかった……」


 拳を握りしめるバルタザールの面持ちには、悔恨がにじみ出ていた。


**


 更に時は流れ、忌まわしき事件から二八〇年余りが過ぎた頃、ヴィヴィアンはバラントン家の当主として、長老の一人になっていた。

 しかし、彼女の母であるイレーヌが、ヴィヴィアンが後に行う復讐劇を目にすることは叶わなかった。


「――ママ、ごめんなさい。まだパパの仇を取れなくて……」


 家族と共に長年起居してきた大きな家樹の一室にて、ヴィヴィアンは寝台の上のせ細った母に寄り添っていた。


 エルフの寿命はおよそ四百年から七百年ほどだ。

 この年、四二四歳を迎えたイレーヌの肉体は命の限りを迎え、森の一部にかえろうとしていた。


「……いいの、ヴィヴィー。……あなたは、よくやってるもの。大願が成就する日を、あの人と一緒に見守っているわ……」


 イレーヌはゆっくりとそう語った。


「ええ、楽しみにしていて。――パパによろしくね」


 ヴィヴィアンのその言葉に笑顔で頷いたイレーヌは、静かに息を引き取った。


 ――ぽつり、とイレーヌの頬に涙がこぼれ落ちた。


 ヴィヴィアンは零れた涙を服の袖口で拭うと、決意を新たにした。


(もう、泣くもんか。これから先、勝って奴らに恨みを晴らすまで、誰にも涙は見せない)


***


 時は、現在に戻る。


「――これでわかったでしょう? 人間どもが卑劣で姑息こそくな外道だってことが」

「…………」


 エルフ軍の天幕の中。

 ヴィヴィアンの話を聞き終えて、マリー=アンブローズはいたたまれない心地になっていた。


(確かに、その人間たちの所業は許しがたい。だけど、……)


 『サン・ルトゥールの里』に侵入した人間らが、エルネスト=バラントンに死傷を負わせたという凶事は確かにあったのだろう。

 しかし、その一事をって人間の国一つを相手に戦争を起こすというのはいかがなものか――マリーは、問題の規模感の〝ずれ〟に気づいていた。


(何と言ったものかしらね……)


 言葉に詰まったマリーは、ちらりと天幕の入口を見た。

 予定では、そろそろ〝彼〟が現れるはずだった。

 タイミングよく現れたその人物の姿を見て、ヴィヴィアンはいきどおりをあらわにした。


「――その復讐のためだけに、これだけの大事を起こしたと言うのか。ヴィヴィアン」

「モルガンっ!! この恩知らず! 父に命を助けられておいて!!」


 その人物とはモルガン=サルトゥールだった。

 思わず腰を浮かせたヴィヴィアンだが、両足は未だ縛られたままだったため、その場から動くことは叶わなかった。


 モルガンは小さく頷き、ヴィヴィアンの非難を受け入れた。


「確かにあの時、エルネストが儂をかばわなければ、死んでいたのは儂じゃったろう」

「だったら、なぜお前は――」

「気づいたからじゃよ。復讐など、せんの無いことじゃと」


 ヴィヴィアンの言葉をさえぎるようにして、モルガンは言い切った。


 エルネストの死後、モルガン自身も一時は人間達への報復を誓った。しかし、当時の長老会によってその誓いは無に帰された。

 彼自身、そのことについて葛藤がなかったわけではない。――が、ここでモルガンの事情について、これ以上掘り下げることはしない。


 ともあれ、現在のモルガンはヴィヴィアンの考えを否定する立場にあった。


「無駄だって言いたいの!? 私が今までやってきたことが、全部」

「そうじゃ」


 にべもないモルガンの態度に、ヴィヴィアンは絶句した。


其方そなたとてわかっておろう。あのとき襲ってきた人間たちは皆もう死んでおる。――それに、いったいどれだけの犠牲を出そうとした? ……其方は、やり過ぎた」

「……父の仇よ。それぐらい、やる価値はあるわ」


 今度は、かたくななヴィヴィアンの態度にモルガンが溜め息をく番だった。


 今回の戦で死者が出なかったのは幸いだったが、レティシアやノアがいなければ、『ガスハイム』の町を守る騎士や兵士たち、そして住民の多くに被害が出ていても不思議はなかった。最悪の場合、数百から数千名の命が失われただろうと考えられる。


「……馬鹿者が。人間達にも、それぞれ愛する家族がおるのじゃぞ。其方が父を想う気持ちと人間のそれとの間に優劣などないわ」

「そんなの! そんなの、知らないわよ……」


 呆れたように言うモルガンの言葉にヴィヴィアンは反発しかけたが、直後にその勢いを失った。


「う、うぅぅっ……」

「…………」


 打ちひしがれ、さめざめと涙を流し始めたヴィヴィアンを見て、モルガンはそれ以上かける言葉を持たなかった。


 モルガンは無言できびすを返し、天幕の外側へと姿を消した。

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