挿話 三百年前の出来事②

【前書き】

前話で一点だけ修正しています。ゼバスを「執事」ではなくバルタザールの「腹心」としました。


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「ぐはぁっ……!」


 振り返ったモルガンが目にしたものは、フーゴの持つ短剣で深々と脇腹を刺されたエルネストの姿だった。

 エルネストの反撃を予感したフーゴは、速やかに剣を引いてその場から飛び退いた。


「ハハハッ、順番が狂っちまったなぁ! だが、これで一人はヤったぜ……!」


 勝ち誇るようなフーゴの声を聞いたとき、バルタザールは交渉が台無しになったことを理解した。


「フーゴ!! 貴様、血迷ったか!?」


 バルタザールは怒声を上げてフーゴの凶行をとがめたが、彼は全く意に介していなかった。


「……あぁん? 何言ってんだ? 生け捕りは一人で十分だろうがよ」


 フーゴのその言葉を聞いて、バルタザールは初めて、自分と自分以外の者たちとの間でエルフへの対応方針が致命的にすれ違っていたことに気づいた。

 交渉によって可能な限り穏便にことを進めようとしていたバルタザールに対して、供回りの者たちは初めから力でエルフらを従わせるつもりだった。

 そして、バルタザールがそれに気づいたときには、既に事態は取り返しのつかないところまで進行していた。


 風が巻き起こった。

 渦を巻く風は勢いを増し、木々の梢を激しく揺らして、枝葉混じりの竜巻を成した。


「人間どもめ! やってくれたな!」


 モルガンによる〈風嵐ウインドストーム〉の魔法が発動していた。


「うわあぁぁっ!!」

「身を低くしろっ!」

「何かに掴まれ!!」


 扇状に展開していたバルタザールの配下達は一人、また一人と竜巻によって空中高く飛ばされて行った。


「クッ、こんなはずでは……ッ!」


 バルタザールは引き抜いた剣を地面に突き刺し、姿勢を低く保ちながら、意に沿わぬ展開になったことを嘆いていた。


「腹くくれよ、バル坊! ここまで来たらもうやるしかねぇぜ!」


 逸早いちはやく竜巻の効果範囲から逃れていたフーゴは、バルタザールを叱咤しったしながら再び横手からモルガンに襲い掛かった。


「チィッ……!」


 フーゴが振りかざした刃は、もう一人のエルフが構えたこんによって食い止められていた。『サン・ルトゥールの里』の古木を削り出して作られたその棍は、金属製の刃物に負けないだけの強度を持っていた。


「ぐっ、貴様の好きにはさせんぞ……!」


 苦悶の声を上げながらもフーゴの攻撃を防いだのは、先ほど彼の凶刃をその身に受けたエルネストだった。フーゴの剣撃に耐える彼の脇腹の傷口から、みるみる内に赤い血の染みが広がって行った。


「往生際の悪ぃやつだな……。なら、先にトドメを刺してやんよ!!」


 フーゴの振るう短剣が勢いを増した。

 エルネストは棍を巧みに操り、なんとかそれを防ぎながら、ある一つの魔法を準備していた。


「……これでも喰らえっ!」


 そんな攻防の間隙かんげきを縫って、人間の女魔術師ゲルダが〈火球ファイヤーボール〉の魔法をモルガンに向かって放った。

 しかし、それは唐突に現れた魔法障壁によって呆気あっけなく無効化された。


「ウソ。あたいの魔法が……」


 ゲルダが驚愕きょうがくの声を上げた。そこで放った〈火球〉の魔法は、彼女にとっては会心の出来だったのだ。


「……同胞たちが世話になったようだな」


 新たに現れたもう一人のエルフの男は、低く冷徹な声でそう言った。

 ゲルダの魔法を防いだ彼は、若き日のロドルフ=アンブローズその人だった。


 彼はこの場の戦闘の様子を見て、およその状況を推察した。


「――貴様ら、生きて森を出られると思うなよ!」


 ロドルフは怒りをあらわにした。

 彼は祖先の頃から守り受け継いできた森を大事に想っていたため、そこへ土足で踏み込むような真似をしてきた侵入者たちに対して、全く容赦ようしゃをする気にならなかった。


「ヒッ……」


 そんなロドルフを見て、ゲルダが怯えの声を上げた。

 人間たち一行の中で唯一、魔力を感じ取る能力のある彼女は、ロドルフの魔力量が尋常ではないことに気づいた。


(――格が、違う……)


 敵はたった三人のエルフだった。しかも、内一人は重傷を負っていた。しかし、五倍の人数差があったにもかかわらず、ゲルダには彼らにかなうヴィジョンがまるで描けなかった。


「若! みな浮足立っております。指示を出してください!」


 家臣の一人にそうわれて、バルタザールは苛立った声を発した。


「ええい、勝手なことを! ……とにかく、接近戦を挑め! 魔法を撃たれては敵わん。ただし、なるべく深手を与えるな!」

「若、それは無理ですぜ!」


 ともあれ、バルタザールの指示に従って、人間たちはエルフの戦士たちを無力化するために接近戦を主体に戦おうとした。

 しかし、そこで彼らが学んだことは、森の中でエルフに戦いを挑むことが如何いかに無謀か、ということだった。


 手負いのエルネストを含め、三名のエルフは軽やかに樹上へと移動し、人間たちに反撃の機会を与えることがなかった。


「フーゴ! 何をしている!」

「……クソがっ! 動けねぇ!!」


 人間たちの中で唯一、機動力の点でエルフ達に対抗できる可能性があったフーゴは、エルネストが彼の攻撃をしのぎながら放った〈水蛇の桎梏ハイドラ・バインド〉の魔法によって、地面に縛り付けられていた。


「――エルネスト、後は俺たちに任せて休んでいろ」

「……ハアッ、ハアッ。頼んだぞ……」


 モルガンはエルネストに肩を貸し、彼をある樹上の枝の又で休ませた。

 エルネストは蒼白な顔で、人間たちとの戦いに戻るモルガンを見送った。


 そこからは、一方的な展開だった。


「下手クソ! どこ狙ってるんだいっ!」

「……そんなこと言ったって、奴ら、動きが速すぎるっ!!」

「――がはッ……!」

「ハンネスがやられたぞ! カバーに入れ!!」


 弓矢は外れ、盾や鎧で魔法は防げず、人間たちはただ右往左往するだけの烏合の衆と化した。


「若、ここは危険です! お退がりください!」

「エルフの魔法がこれほどとは……」


 バルタザールは家臣に腕を引かれながら、連れてきた腕自慢の者たちが一人また一人と倒れていくのを呆然と見ていた。


 バルタザールとて、エルフと争い事になる可能性は考慮していた。エルフが蛮族だという認識は彼にもあったのだから。だからこそ、この探索行には選りすぐりの者たちを伴ってきたのだ。

 それがまさか、これほどまで力量に隔たりがあるとは予想だにしなかった。


「バル坊! 何やってんだい!」

「……なに?」


 後退してきたバルタザールに焦った様子で話し掛けたのは、女魔術師のゲルダだ。

 常ならば彼女のぞんざいな口ぶりを注意する家臣も、さすがにこの非常時に口を挟むことはしなかった。


「さっさと撤退の指示を出さないかい! このままじゃ、みんなやられちまうよ!」

「――!!」


 ゲルダの指摘は、まさに正鵠せいこくを射ていた。


 交渉は決裂し、既に供回りの数名が討ち死にし、重傷者も多い。


 成果はなく、被害は甚大じんだいだった。りとて、これ以上この場に留まっていては、より被害が大きくなることは明白だった。

 それを理解したバルタザールは、速やかに決断し、実行した。


「撤収! 撤収だ!! 来た道を戻れ! 殿しんがりは盾持ちが務めろ!!」


 バルタザールの指示に従い、人々はまばらに隊列を組んで森の東側へと後退して行った。


「――うぬ! 逃げるか!」


 これを見て追撃を仕掛けようとしたのはエルフの森番の一人、ロドルフだった。

 しかし、もう一人の森番であるモルガンが彼を制止した。


「ロドルフ、深追いはせ! それより、エルネストの手当が先だ!」

「……口惜しいが、やむを得んな」


 ロドルフは渋々といった様子でモルガンに従った。



 バルタザールの一行は、森の浅い方を目指して必死で走り続けた。

 彼らが足を緩めたのは、戦闘が行われた現場から半里ほど離れてからだ。

 その人数は戦闘が始まる前と比べて、半分以下になっていた。


 後方を振り返ったバルタザールは探索隊がこうむった損害の大きさをはっきりと認識し、強く胸を痛めた。


「……フーゴはどうした?」


 彼にそう問われた家臣の男は、無言で視線を下げて首を横に振った。


「――そうか……」


 バルタザールは、深々と息を吐いた。


 短剣を手にした人間の男は、真っ先にエルフたちの魔法の標的となり、深い森の片隅で事切れていた。


**


 この日の昼下がり、ヴィヴィアンは同年代の少年と共に集落内にある広場の一つで魔法の練習をしていた。


「それ、〈氷柱槍アイシクル・ランス〉!」

「わわっ!」


 ヴィヴィアンの魔法の的にされたポールという名の少年は、慌てて横に大きく跳んでそれをかわした。姿勢を崩した彼は、そのままごろごろと地面を転がった。

 ヴィヴィアンはそんなポールを見てクスクスと笑った。


「もう、ポールったら。避けちゃったら、魔法の練習にならないでしょう?」


 ポールはのろのろと立ち上がり、体に付いた土埃つちぼこりを手で払い落としながら、情けない声を上げた。


「ヴィヴィアンが魔法を撃つのが速いんだよぉ……」


 そんなやりとりの後、二人が練習を続けようとしたとき、広場に息を切らせて駆け込んできた女性がいた。


「ヴィヴィー! ここにいたの!」


 その女性とは、ヴィヴィアンの母親のイレーヌだった。


「ママ? 何かあったの?」


 ヴィヴィアンを探して、集落内のあちらこちらを走り回ったのだろう。常にない疲労困憊こんぱいした様子を見せる母親の姿を見て、ヴィヴィアンは表情を強張こわばらせた。

 イレーヌは呼吸を整える間も惜しんで、ヴィヴィアンに重大な事実を伝えた。


「エルネストが、治療所に、運ばれたわ! ひどい怪我で……!」


 それを聞いたヴィヴィアンの表情から血の気が引いた。


「嘘っ! パパが……」

「本当よ! とにかく、早く来て!」


 そう言ってきびすを返そうとするイレーヌを見て、ヴィヴィアンは弾かれたように駆け出した。

 ヴィヴィアンはあっという間にトップスピードに達すると、彼女を先導しようとしていたイレーヌに追いつき、そのまま追い抜いた。

 その場に取り残されたポールは、ただ呆然と母娘を見送るばかりだった。


(パパ! 無事でいて!)


 ヴィヴィアンは祈りながら駆け続けた。



 ヴィヴィアンが息き切って治療所の前に辿たどり着いたとき、その入口には一人の男性が佇んでいた。

 父と同じ氏族の戦士である彼は、ヴィヴィアンにとっても交流がある人物だった。


「ロドルフ、さん……」


 ヴィヴィアンが息を弾ませながら呼び掛けたところ、瞑目めいもくしていたロドルフは目を開き、ヴィヴィアンの姿を確認した。


「……」


 彼は無言のまま、治療所の中の方へ顎をしゃくった。

 それに促され、ヴィヴィアンはロドルフの横をすり抜けて治療所の中へ駆け込んだ。母親のイレーヌが彼女に追いついたのは、それから数呼吸ほど後のことだった。


「パパッ!!」


 治療所の寝台に横たわった父、エルネストの生気のない顔を見て、ヴィヴィアンは悲鳴のような声を上げた。

 エルネストのそばで治療に当たっていた治療師の女性が「静かに」とたしなめたが、その注意がヴィヴィアンの耳に届いたかは怪しかった。


 そのまま父親にすがりつこうとしたヴィヴィアンを、治療師が制止した。


「動かしちゃ駄目よ! もう、長くはないわ。……手は尽くしたのだけど……」

「嘘っ……」


 ばつが悪そうに目を伏せた治療師の言葉を聞いて、ヴィヴィアンは目の前が真っ暗になったように感じた。

 それから間もなく、エルネストの妻であるイレーヌも治療所の中に入って来た。


「エルネ……」


 イレーヌは静かにヴィヴィアンの逆側に回り込んで、そっとエルネストの手を取った。


「……ぅ……」


 それに反応したかのように、エルネストがわずかに声を上げた。


「パパ!」


 父の声を聴いて、ヴィヴィアンも――なるべく静かに――エルネストのもう片方の手を握った。


「――……ヴィ、ヴィー……イレー、ヌ……いる、のか……?」


 エルネストは朦朧もうろうとする意識の中で、愛する二人の気配を確かめていた。

 彼の妻と娘はそれに応えるかのように、エルネストの手をより強く握った。


「エルネ!」

「いるわ、ここに!」


 最愛の二人の声を聴き、エルネストも両の手に力を込めた。

 その手は、死の床にある者のそれとは思えぬほど力強かった。


「……人間に、やられた……。奴らは、卑劣にも、だまし討ちを……」


 エルネストは荒々しい呼吸と共に、怒りと悔しさをにじませながらそう言った。


「……人間、ですって?」


 イレーヌは耳を疑った。大森林の奥にまで人間が訪れることはまれであるため、イレーヌは人間についてほぼ無知であった。


「パパ、もう喋らないで!」


 苦しそうに語るエルネストがまるで命の残り火を燃やしているかのように感じ、ヴィヴィアンは大粒の涙を流しながら懇願こんがんした。

 しかし、この時のエルネストにその声がどこまで届いていたかは定かではない。


 エルネストは、時折り痛みに顔をゆがめながら、譫言うわごとのような言葉を紡ぎ続けていた。


「…………悔しい、な……。……もっと、この先も、お前たちと……――」


 そして、彼の表情から生気が失われた。


「エルネっ!!」

「パパぁぁっっ!!」


 エルネストの命の灯が消えたことがわかり、妻と娘は遺体に縋り付いて慟哭どうこくした。

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