挿話 三百年前の出来事①

 ――三百年前。


 木々が生い茂る『サン・ルトゥールの里』の中にある霊験れいげんあらたかな泉――『バラントンの泉』。そのほとりに立つ家樹いえきは、この時期から既に周りよりも比較的大きな大樹であった。

 その家樹こそ、この年で十五歳を迎えるヴィヴィアン=バラントンの生家だった。


 ヴィヴィアンはその家樹で両親と暮らしながら、平和で穏やかな日々を過ごしていた。


 そんなある日の夕方。

 外出から戻って来たヴィヴィアンが、家樹の中ほどの一室でくつろいでいた父、エルネスト=バラントンの姿を見るなり、勢い込んで話し掛けた。


「――パパ、聞いて! 私、〈水蛇の桎梏ハイドラ・バインド〉の魔法が使えるようになったのよ」

「すごいじゃないか! ヴィヴィーは天才だな」


 魔法の習得を鼻高々で自慢するヴィヴィアンに対し、エルネストも誇らしげに彼女を称賛した。


 エルネストは両手を広げて、飛びついてきた愛娘を抱き止めると、「頑張ったな」と言いながら彼女の頭を優しく手ででた。ヴィヴィアンは父の手つきに対して、くすぐったそうに目を細めた。


 一通り父親の愛撫あいぶを堪能した後、ヴィヴィアンは彼に一つの願い事を言った。


「ねえ、パパ。今度、私も森番の仕事に連れて行ってほしいな」


 その言葉を聞いた瞬間、エルネストの動きがぴたりと止まった。

 エルネストはヴィヴィアンの両肩に手を当て、彼女の体から半歩分の距離を取った。


「ヴィヴィー、それはできないよ」


 困ったような苦笑いを見せたエルネストに対し、ヴィヴィアンの機嫌も急降下した。


「……どうして? パパは前に、『身を守る手段を身に着けたら』って言ってたじゃない」

「ああ、ヴィヴィー。それは違うんだ」


 涙目になって父親を非難しだしたヴィヴィアンを目の当たりにして、エルネストは焦った。慌てた彼は、片手で再び彼女の頭を撫で始めた。


「魔法は、ただ使えるようになっただけじゃ駄目なんだ。状況に合わせて適切に使い分けられるように、習練が必要なんだぞ」

「むう〜〜」


 エルネストに理詰めで諭され、ヴィヴィアンは頬を膨らませた。


「……じゃあ、パパがやり方を教えてくれる?」


 娘に上目遣いにそう問われたエルネストは、屈託のない笑顔を見せた。


「もちろんさ」

「やったあ!」


 ヴィヴィアンは思わず、振り上げた片手で握り拳を作った。


 父娘がそんなやりとりをしていた家樹の一室を、この住居のもう一人の住人が訪れた。


「二人とも、夕食の支度ができたわよ」


 そう言ったのは、エルネストの妻であり、ヴィヴィアンの母親であったイレーヌだ。

 彼女は階下で家族三人分の食事の用意をしていたのだ。


「じゃあ、行こうか。ヴィヴィー」

「はーい」


 そんな言葉を交わし、親子三人はダイニングキッチンに当たる一階に移動した。



 夕食を終えた後の夜。

 同じ家樹の一階では、エルネストとイレーヌが会話をしていた。このとき、ヴィヴィアンは既に就寝していた。


「近頃の森の様子はどう?」


 と、たずねたのはイレーヌだ。

 家族想いの彼女は、エルネストの態度から常にはない微妙にぴりぴりとした空気を感じ取っていた。


 エルネストは、察しの良い妻に降参したかのように両手を上げてみせた。


「……何かがあったってわけじゃないんだ。――ただ、森が少し騒いでいる。遠くから、〝何か〟が近づいて来ているのかもしれん」


 エルネストはやや歯切れの悪い口調で、弁解するようにそう言った。


「〝何か〟って?」


 イレーヌにえてぼかした言葉を問いただされ、エルネストは肩をすくめた。


「それはわからない。魔獣のたぐいか、あるいは……」


 エルネストはその先の言葉を濁し、顔を横に向けた。何を言っても妄想にしかならないからだ。

 イレーヌは彼の視線を追った。その方向は、家樹の出入り口となっている隙間だった。


 夜の深い闇に包まれた森は、黒々とうごめく生き物のようにも見えた。


**


 この当時、後に『ザルツラント』と呼ばれる地方はまだ東の王国の一部ではなかった。


 その地方に、バルタザール=ザルツラントという名の人物がいた。

 少壮気鋭の彼は、この地方で最も有力な豪族『ザルツラント家』の長男で、次代の当主を担うことが確実視されていた。

 そんな彼はこの頃、大陸の中央東部で急速に勢力を拡大していた『ヒルデブラン王国』を脅威と認識していた。


(エルフ、か……。野蛮な森の民だが、強力な魔法を操るという。……使えるかもしれんな)


 そこでバルタザールが着目したのが、『ブロセリアンド大森林』の奥地に潜むといわれるエルフの存在だ。

 尚、当時のこの地方の人々の間では、エルフといえば未開の森の奥に住み、獣同然の生活をする野蛮な部族だという認識が一般的だった。


「若、頼まれていた件、裏が取れました。商人のヤンが『ブロセリアンド大森林』でエルフに助けられたのは事実です」

「そうか! ゼバス、でかしたぞ」


 代々ザルツラント家に仕える腹心の男ゼバスの報告を受け、バルタザールは横手を打った。

 その報告は、大森林の奥にエルフの部族が暮らしていることの証左だった。


「すぐに出立なさいますか?」

「そうだな。……だが、長い探検になるだろう。準備が必要だな」


 エルフらが生息すると見られる地域に辿り着くには、『ブロセリアンド大森林』の表層から少なく見積もっても十日は掛かると見られていた。

 従って、バルタザールの言は自然な反応だった。


 しかし、このゼバスという男は極めて優秀だった。


「――万事、整えてございます」

「なに!」


 あまりに予想外なゼバスの言葉に、バルタザールは驚きを隠せなかった。

 先程のゼバスの口ぶりから、商人のヤンの話についての確証が掴めたのはここ一日以内のことだったろう。ということは、その前から探検のための手筈てはずを整えていたことになる。

 いや、実際にはいつでも探検に臨めるように手配していたのだろう。


 主の意向を先んじて汲み取り、それに応じた行動を行う――まさしく、家人けにんかがみのような男だった。


「……さすがだな。当然、腕利きの者も手配しているな?」

「フーゴ殿とゲルダ殿にはいつでも出られるよう、待機してもらっております。後は、用心棒連中から幾人か選んで頂ければ良いかと」


 ゼバスの打てば響くような回答に対し、バルタザールは我が意を得たり、と笑みを浮かべた。


「行程図はあるか?」

「こちらに」


 バルタザールの問いに対し、ゼバスは下男に持たせていた紙筒を受け取り、テーブルの上に広げた。

 探検の詳しい日程計画が書かれたそれに、バルタザールは素早く視線を走らせた。


「……順調に行って一月といったところか。よし、では一刻後に出立するぞ! 俺は用心棒連中に声を掛ける。他の諸々は任せるぞ」


 バルタザールの決定に対し、ゼバスは畏まって礼をした。


「ハッ! ……明日以降の元々の予定はどうなさいますか?」


 念のため主の確認を怠らなかったゼバスだが、バルタザールの答えは決まっていた。


「――委細、お前に任せる」


 その答えに、ゼバスは口元をほころばせた。


「承知いたしました」


**


 それから十数日が経った頃、バルタザールの姿は鬱蒼うっそうと生い茂る森の木々の只中にあった。

 彼は十余人の供回りを引き連れて、『ブロセリアンド大森林』の中を奥へ奥へと進行していた。


「――バル坊、本当にこんなところにエルフの連中がいるのかよ?」


 そんなある時、不機嫌そうな声でそう言ったのは、フーゴという神経質そうな男だ。フーゴは、ザルツラント家で食客として遇されており、専ら荒事の際に戦闘要員として腕を振るっていた。

 彼がザルツラント家に食客として招かれてから、この年で八年になろうとしていた。自然、次期当主であるバルタザールとは彼が少年の頃からの付き合いであり、それがこの気安い態度に繋がっていた。


 ここ数日でもう何度目になるかわからないその問いに対し、バルタザールは声を張り上げて答えた。


「ああ! さっき遠目に見えたあの巨大樹の近くまで行けば、きっと手がかりが掴めるだろう」


 それを聞いて、フーゴはあからさまにげんなりとした表情を見せた。


「それ、昨日も言ってたぜぇ……。あのデカい樹、ちっとも近づいてる気がしねえよぉ」


 フーゴは情けない声を上げた。彼は、先行きの不透明な探索行に精神的な疲労を強く感じていた。


 ここでバルタザールが言った「巨大樹」こそ、『サン・ルトゥールの里』の中心地にそびえる『守りの大樹』なのだが、一行の中にそれを知る者はいなかった。


 フーゴの弱音を聞いて、一行の中にくすくすと笑い出す女の姿があった。


「……ニッシシシッ。フーゴ、もうへばったんか? あたいはまだまだ余裕だゾ」


 はすっぱな口調でそう言ったのは、赤毛の炎魔術師、ゲルダだった。

 彼女もザルツラント家が抱える食客の一人で、フーゴやバルタザール達とは数年来の付き合いだった。


「うるせー。俺は短期集中型なんだよ。こういう地道なのは向いてねぇのよ、実際」


 フーゴはげんなりとした表情のまま、後方にいたゲルダに対して半ば自棄やけになったような返事をした。

 それから再びバルタザールの方に向き直った彼は、新たな問いを発した。


「……つうか、エルフって蛮族だろ? そんな連中捕まえたところで、ちゃんと扱い切れんのか?」

「それは……正直わからん」

「おいおい」


 フーゴはバルタザールから返ってきた頼りない答えに、ガクッと上体を崩してみせた。


「……だが、もし味方にできれば強力な手札になるはずだ。それはの王国に対抗する切り札になり得るだろう」

「エルフの魔法はすごいって聞くもんねえ」


 ゲルダが追従するように言った言葉に、バルタザールもうなずいた。


「そういうことだ。――二人とも、もう少し周囲に注意を払ってくれ。こうして話している内に、いつエルフが現れても不思議はない」


 ――バルタザールのそんな言葉が呼び水となったのか、彼らの前にエルフが姿を現したのは、それから間もなくのことだった。



「――野蛮な者たちよ、神聖なるこの森に何用か」

「――今すぐ立ち去るというなら、危害は加えない」


 何の前触れもなく、二名の男性がバルタザールら一行の目前の茂みに立っていた。

 痩身そうしんで小柄な彼ら二名は、いずれも耳の後背部が鋭く伸びていた。それはエルフの特徴そのものだった。


 先の台詞せりふは順に、若き日のモルガン=サルトゥールと、エルネストのものだった。

 この日、森番の役目を果たしていた二人は、集落の外縁を巡回していた際に、侵入者と見られる不審な一行を発見した。

 そこで、まずは警告を発することにしたのだった。


 一方、対面した侵入者――バルタザールの一行は、不意の邂逅かいこうに虚をかれた形となった。

 すぐに我に返ったバルタザールは、一同を代表して交渉に当たることにした。


「ま、待ってくれ! 俺たちは怪しい者じゃない!」


 バルタザールは集団の先頭に立ち、戦意がないことを示すために両手を上げて見せた。


「「……」」


 しかし、立ちはだかった二人のエルフ――モルガンとエルネスト――が警戒を解くことはない。

 それも当然のことだ。バルタザール以外の護衛の者たちは、誰もが武器に手を伸ばしていたのだから。


 それを察したバルタザールは、供の者たちを振り返り、片方の手を大きく横に振った。


「お前達も武器から手を離せ」


 バルタザールの指示に従い、十余名の人間らが無手になったことを確認して、ようやく対面するエルフ二名の警戒が緩んだ。


 ――悲劇は、ここから始まった。


「……見てわかるかとは思うが、俺たちは人間だ。この森の東からやって来た。あなたがたの代表に――」


 モルガンとエルネストがバルタザールの口上に意識を割いていたとき、人間たち一行の影に紛れて一人の男が音もなく動き出していた。

 〈隠形おんぎょう〉という特殊なスキルを修得していた彼は、誰にも気づかれることなく二名のエルフの背後に回り、死角からモルガンに対して致命の一撃を繰り出した。


 エルネストは、間一髪のところで彼――フーゴのその攻撃を察知した。


「モルガンッ!!」

「うおっ!!」


 エルネストに横から弾き飛ばされたモルガンは、たたらを踏みながらも転倒を免れた。


「ぐはぁっ……!」


 ――振り返ったモルガンが目にしたものは、フーゴの持つ短剣で脇腹を深く突き刺されたエルネストの姿だった。



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// 【改稿履歴】

(2024年9月26日)ゼバスを執事→腹心に変更

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