第45話 涙

 野外と隔てられた天幕の中で、白い魔法の灯りが揺らめいている。


「その姿は……? いったい、何がどうなっているんだ」


 レティシアは、大きな秘密を明かしたヴィンデ――肉体はキュルケそのもの――に対して、当惑を露わにしてそうたずねた。


 レティシアにとって、それは当然の疑問だった。

 キュルケの身体を借りるヴィンデは、その疑問に次のように答える。


「私は本来、四日前に発作で倒れた後、そのまま命を落とすはずでした。しかし、ノアとキュルケの魔法によって、このような形で生き永らえることになったのです」


 レティシアはそれを聞いて息をむ。


「魔法だと……? ――いや、待て。……ということは、ヴィンデ、あなた自身の体はもう……?」

「はい……お察しの通りです」


 レティシアの疑問に対して、ヴィンデは儚い笑みを浮かべてうなずいた。


 この場にはないヴィンデの肉体は、三日前にその生命活動を停止した。

 それは今、キュルケの操る空間魔法によって異次元空間に収容されている。ただし、将来どのような扱いを受けるかは、まだ彼彼女らの間で議論すらされていない。


「そうか――……大変な思いをしたのだな」


 レティシアは事実を知り、ヴィンデが肉体を喪失した悲しみに同調する。

 その次の瞬間、レティシアの双眸そうぼうから涙があふれ出した。


 それを見て慌てたのは、レティシアの眼前にいたヴィンデだ。


「……えっ! レティシアさん?」


 咄嗟とっさにヴィンデが肩に手を添えようとしたところ、逆にレティシアにその手を掴まれることになる。


「……いや、すまない。何度もくどいようだが、本当にありがとう。……そんな、生きるか死ぬかの瀬戸際を彷徨さまよっていたというのにもかかわらず、私達の窮地に駆けつけてくれて……」

「おいおい、落ち着けよ。まったく……」


 涙混じりに謝意を伝えるレティシアに対し、手を掴まれて戸惑いを見せるヴィンデと、苦笑いを浮かべながらなだめるノアの姿が見られた。



「――ということは、つまり、人の魂を操るような、そんな魔法があるということか?」


 少し経ってレティシアのたかぶった感情が落ち着いた後、彼女が疑問に思ったのは、この点だった。

 それはレティシアの持つ魔法に関する知識では、にわかには信じられないことだった。


「それは……」


 魔法自体に詳しいわけではないヴィンデは、そう問われて言葉に詰まり、助けを求めるように顔を横へ向ける。その視線の先にいるのは、ノアだ。


「俺だって、元からそんな魔法を知ってたわけじゃない。それについては、キュルケの話がヒントになったんだ」


 そんな言葉を皮切りに、ノアはその「禁忌」とも言えるような魔法の実現に至った経緯を語る。


**


 かつてキュルケには、〝不死の秘術〟を伝授した師匠に当たる間柄の人物がいた。

 約一二〇〇年前、キュルケが『スミ山』で出逢ったその人物もまた、〝不死の秘術〟によって当時既に長い歳月を生きていた。

 長い生に飽きたその人物は、自身の魂を別の物に移そうとしていた。

 その術に名前は付けられていない。ここでは便宜上、〈転魂術〉と呼ぶことにしよう。


 キュルケは〈転魂術〉そのものの発動を見たわけではないが、〝不死の秘術〟を会得する傍ら、彼が〈転魂術〉を編み出すために試行錯誤している様子を見たことがあった。また、実際に彼の魂が別の物質に宿ったところも見ていた。


「……実はわらわは一度だけ、あの魔法を試したことがある」


 キュルケはノアに〝不死の秘術〟を会得した下りを語った後、こぼれ話としてそれをノアに伝えた。


「かつて死に瀕したユニコーンがおってな。それ以前に多少の付き合いがあったから、実験がてらに妾の持ち物にでも魂を込めようかと言ったのじゃ。……まあ、失敗したがの。今やれば、あの時よりは上手く行く気はするんじゃが……」


 ノアにその話をした時、キュルケ自身は〈転魂術〉に頼るつもりはなかった。

 不死者や魔物とは違う、ただの人間の魂を別の物に移そうとは思わなかったのだ。


 しかし、話を聞いたノアは、その魔法に一縷いちるの希望を見出した。


「キュルケ、頼みがあるんだ。どうか、あの魔法を試させてほしい」


 四日前、ヴィンデが発作で倒れた後、ノアはキュルケに懇願した。

 それにキュルケが頷いた後、二人は魔法の試行錯誤だけでなく、多くの議論を重ねた。

 一時はノアが「新鮮な死体を用意できれば……」などと口走り、「ヴィンデをゾンビにする気か」とキュルケにたしなめられる場面もあった。


 二人が辿たどり着いた結論は、「生きた人間、それもなるべく生命力の高い人間そのもの」を魂の依代よりしろとするのが最も成功の目がある、というものだった。


 当然のように、ノアは自らを依代にしようと考えた。 

 しかし、それに待ったを掛けたのがキュルケだ。


「キュルケ。気持ちはありがたいが、そこまでしてもらっても俺に返せるものなんかないぞ」


たわけ。対価欲しさに言っておるわけではないわ。

 妾の方がお主よりも、依代としての適性に優れておる。それに――」


 キュルケがこのとき想起していたのは、遠い昔、自らの魔法で母親の死期を早めてしまったときのことだった。


(誰かがあんな思いをするのは、もう沢山じゃ。

 妾の体を貸すだけで、フェリクスが〝母親〟を失わずに済むのであれば、その方が良い)


 ほんの十日ほどの付き合いでしかなかったが、古き魔女はその間にすっかりノアたち家族に情を移してしまっていた。


「――お主が父親と母親の一人二役をするより、母親は母親で別におった方がフェリクスにとっても良かろう」


 その理屈を聞き、ノアは納得した。

 それと共に、キュルケに深い感謝の意を示した。


「ありがとう、キュルケ。これから先、俺にできることがあったら何でも言ってくれ」

「……そうじゃな。考えておこう」


 その後、〈転魂術〉は成功し、ヴィンデの魂はキュルケの肉体に間借りすることになった。


**


「――と、いうわけなんだ」

「そういうことだったのか……」


 ノアから一通りの話を聞いても、レティシアはまだ半信半疑なところがあったが、目の前で人格の入れ替わりを見せられれば信じないわけには行かなかった。


「それでは、ヴィンデとキュルケはこれから先、ずっと同じ体を共有して生きていくのか?」


 レティシアに問われ、ヴィンデ――肉体はキュルケ――とノアは顔を見合わせる。

 回答のために口を開くのは、ノアだ。


「当面はそうなる。――でも将来的には、今後の研究次第かな」

「研究だと?」


 いぶかしむレティシアに対し、ノアはその研究の構想を語る。

 それはヴィンデ、またはキュルケのためにもう一つの肉体を用意し、二人がそれぞれ自由に動かせる肉体を得るための研究の構想だ。

 いずれ、それは叶うかもしれない。

 ただし今ここでは、その詳細に踏み込むことはやめておこう。



「……不便はないのか? 元の体を失ってしまって」


 現在のヴィンデの状態について十分に理解できたタイミングで、レティシアはヴィンデにそう訊ねた。


 その問いに対して、ヴィンデは朗らかな笑顔を見せる。


「案外、楽しいですよ。霊体のときは、壁や天井をすり抜けて移動できますし。キュルケに魔法も教わってるんです」

「そ、そうなのか」


 意外に気楽なヴィンデの様子に接して、レティシアは毒気を抜かれた。


 そう。ヴィンデはキュルケに肉体の主導権を返している間も、霊体としてある程度の範囲まで肉体を離れて自由に移動することができる。

 日中の戦闘においては、その特性を活かしてエルフ軍魔導師隊の副長オーブリーの不意を突くことに成功した。



「レティシアさんは、これからどうされるんですか?」

「私か? そうだな……」


 ヴィンデについての話が一段落したところで、逆にヴィンデからレティシアへそんな質問が投じられた。


 そのやや漠然とした問いは、事実として広い意味を含んでいる。


 大宴会で有耶無耶うやむやになった感はあるとはいえ、今回の戦争についてはエルフ側に非がある。

 そもそも『サン・ルトゥールの里』のエルフの側では、反逆を起こしたヴィヴィアン=バラントンと彼女にくみした者たちの処遇についても考えなければならない。

 前里長、モルガン=サルトゥールの孫娘であるレティシアも、そういった対応と無関係ではいられない。


「まずは、明日の会談に臨むことだな。それからは――」


 会談というのは、モルガンと、『ザルツラント領』領主であるヴィンフリートの間で、実施の約束が交わされたものだ。

 そして、レティシアもその場に出席することが決まっていた。

 その理由は、単に彼女が前里長の孫娘だからというものだけではない。レティシア自身が、今回の戦争に際して『ガスハイム』の街にいた人間の騎士たちとよしみを結んでいたから、という経緯もあった。


「――どうするんだろうな……」


 会談の後、レティシアがどういう立場で何を為すことになるのか。

 現時点では、彼女には全く答えが見えなかった。


「…………」


 ノアとヴィンデは、そんな彼女を優しげな表情で見守っていた。



 魔獣討伐を祝う宴会の会場となった、『ガスハイム』の町から西側の野外陣地。

 そこからわずか五町(約五五〇メートル)を隔てた場所に、エルフ軍の陣地も小さめに築かれていた。


 エルフ軍の陣地について特筆すべき点として、今回の反乱の中心となったエルフたちの扱いがある。

 総勢十名ほどになる彼らは、それぞれ魔法を封じられて拘束された上で、いくつかの檻や天幕の中に収容されていた。


 その内の一つ――小さな天幕の内側に、反乱の首謀者たるヴィヴィアン=バラントンの姿がある。


「う……」


 レティシアとの一対一での戦いの末に意識を失ったヴィヴィアンは、それから数刻が経った今、目を覚ました。

 横向きに寝かされていたヴィヴィアンは、体の左側面に鈍い痛みを感じる。

 それから身を起こそうとして、両手両足が縛られていることに気づく。


(魔法も使えない、か……)


 ヴィヴィアンは魔力を練ろうとして失敗した事から、自身の状況をほぼ正確に把握した。


「……負けちゃったの、私……」


 ヴィヴィアンが意識を失う直前、彼女が最後の望みを懸けて召喚した〝怪物のベランベラン・ラ・モンストル〟はノアと戦っていた。

 その〝ベラン〟が最終的にどうなったのかはわからないが、おそらく、彼女が期待したような戦果は出せなかったのだろう。


 何一つ成し得ることのなかった、惨めな敗北だった。


 それを自覚したとき、ヴィヴィアンの胸に込み上げるものがあった。


「う、うぅ……」


 彼女の目尻から涙があふれようとするそのとき、天幕内に魔法の明かりがく。


 ヴィヴィアンは慌てて涙を抑えようと思うが、溢れ出した涙は止まらない。後ろ手に縛られた現状では、涙を拭うことさえできない。


「――失礼。お目めになりましたか」


 玲瓏れいろうな女性の声が響いた。

 天幕内に何者かが入って来たようだ。

 ヴィヴィアンには、その声の主が誰かわかった。


「……何よ。私を笑いに来たのかしら、マリー?」


 ヴィヴィアンは力なく横向きに倒れたまま、ややはなが混ざった声で悪態をいた。


 声の主である小柄な女性は足を進め、ヴィヴィアンから見える位置までやって来ると、軽く会釈をした。

 彼女の名はマリー=アンブローズ。ヴィヴィアンとほぼ同年代の彼女は、日中の戦争ではヴィヴィアンと一対一で魔法対決をする一幕も演じた。


「そのようなことは……。ただ、明日の会談の前にお話を伺っておきたくて」

「……」


 マリーは少し居心地が悪そうな様子でそう言った。

 それは、意図せずヴィヴィアンの涙を見てしまったからだ。


 なぜ、〝バラントン〟の名を持つ有力氏族の彼女が、『サン・ルトゥールの里』を乗っ取って、人間の領地に戦争を挑むことを企んだのか。

 このときのマリーは、まだその正確な理由を知らなかった。


「そのままでは不便でしょう」


 マリーはそう言うと、ヴィヴィアンの背後に回って両手を拘束していた縄を解く。これによって、ヴィヴィアンは自力で上体を起こすことができた。


 マリーと向き合うヴィヴィアンは、かつての出来事に思いを馳せる。


「――そういえば、三百年前のあのときには、あなたはまだ生まれていなかったわね」


 マリーの年齢はあと数年で三百歳に達するところで、正確にはヴィヴィアンより二十歳ほど若い。

 ――だから、その忌まわしき出来事について、詳細を知る機会はなかった。


「…………」


 マリーはただ静かに、彼女の語る声に耳を傾ける。


「いいわ。話してあげる。あいつら人間どもがどれだけの外道なのかってことを」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る