第41話 救援③

 ――時は、わずかに巻き戻る。


「放て!」


 第三中隊に属するエルフの指揮官が号令を発する。

 それを合図に、レオンハルトの肩を蹴って空高く跳び上がった騎士ヒルデガルトを目掛けて、数十の〈魔法の矢マジック・アロー〉が束となって襲いかかる。


(――これは、死んだか……?)


 身動きの取れない空中にいる自身に殺到する〈魔法の矢〉を見ながら、銀狼人の半獣人であるヒルデガルトは、死を覚悟した。

 足元では同僚の騎士であるレオンハルトが、泥沼に沈みながら大声で彼女の名を呼んでいた。


 ヒルデガルトはせめて少しでもダメージを減らすべく、防御の体勢を取る。


 ――ズドン、と体を貫くような衝撃が走った。


「クッ……!」


 衝撃は続く。四方八方から飛来する〈魔法の矢〉が次々と、自由落下の状態に入ったヒルデガルトに命中する。 


(――……どういうことだ?)


 ヒルデガルトは攻撃魔法を受けたことによる身体の負傷が無く、痛みさえ無いことに気がついた。

 また一つ、正面から飛来した〈魔法の矢〉は、彼女に当たる前に見えない壁に遮られて霧散した。


「これは……魔法障壁……?」


 無事に着地を決めながら、ヒルデガルトは独りごちた。

 彼女の全身は淡い魔法の防護膜に覆われていた。それは魔術師が行使する魔法障壁によく似ていた。


 ――誰かが助けてくれたのか……?


 ヒルデガルトの脳裏にそんな疑問がよぎったのは、ほんの一瞬のことだ。


 彼女がレオンハルトの肩を借りて跳び上がった高さは、せいぜい三間(約五・五メートル)に満たないほどだ。

 即ち、ヒルデガルトが泥沼から跳躍して落下するまで、たった呼吸一つ分ほどの時間しか経過していなかった。


(……何にせよ、狙い通り泥沼から脱出できた。後は血路を開くのみ)


 泥沼の中心にはレオンハルトが取り残されたままだが、ヒルデガルトに彼を気にかける余裕はなかった。彼女自身が、既にエルフの兵士達に取り囲まれつつあったからだ。


「――止めを刺せ! 奴はもう虫の息だ!」


 エルフの指揮官のそんな声が、ヒルデガルトの耳にも届いた。


「よっしゃ! 手柄は俺がいただくぜ!」

「あっ、てめぇ! 待ちやがれ!」


 功を焦ったエルフの兵士が数名、先を争うようにしてヒルデガルトに槍の穂先を伸ばして来る。

 対するヒルデガルトは、不用意に伸びて来た手近な一本の槍を掴む。


「……へ?」


 槍を掴まれた兵士にとって、それは想像の外の出来事だった。


「――ぅうわあぁぁぁっ‼」

「ななっ――ぶへっ!」


 次の瞬間、彼は槍に引っ張られて振り回され、その体で以って同じ立場の兵士達をぎ倒しながら、最終的にはある兵士と一塊になって囲みの外側に投げ出されることになった。


「……誰が虫の息だって?」


 エルフの兵士達の目前には、依然として戦意をたぎらせる獰猛な狼が立っていた。


「ヒッ……」

「ば、化物か……」


 その狼人は、数多の〈魔法の矢マジック・アロー〉の直撃を受けたはずなのに、まるでこたえた様子がなかった。

 兵士達はその様子に恐怖を感じた。


(――しかし、誰が魔法障壁を……?)


 ヒルデガルトがその問いの答えを得るのは、この戦争の決着が着いた後のことだった。



 二人の獣人騎士を取り囲んだエルフ部隊の後方にいたロドルフ=アンブローズの前に、兵士達とは異なるエルフが対峙たいじしていた。


「……里で大人しくしていればいいものを。年寄りの冷や水は寿命を縮めるぞ」


 ロドルフにそう言われたそのエルフは、無表情のままで次のように返した。


「貴様が言えたセリフではあるまい」


 長い木の杖を握るその老エルフの名は、モルガン=サルトゥール。レティシアの祖父であり、ヴィヴィアンにその立場を追われるまで『サン・ルトゥールの里』の里長を務めていた者だ。

 彼こそが、何十という〈魔法の矢マジック・アロー〉の的になっていたヒルデガルトに魔法障壁を掛けて、その窮地を救った者だ。


 数名のエルフ兵を護衛として伴っていたロドルフに対し、モルガンもまた一人ではなかった。


「アンブローズ以外は任せるぞ、イヴァン」

「ああ」


 モルガンの言葉に短く応じたのは、彼の息子にしてレティシアの父であるイヴァン=サルトゥールだ。


 モルガンやイヴァンは、マリー=アンブローズやフラヴィらと同様に、魔女キュルケが操るとある手段・・・・・によってこの戦場まで運ばれてきた。


(――あれ・・の相手をせずに済んだのは、幸いと思うべきか……)


 とは、ロドルフの胸中で生じた率直な思いだ。


 ロドルフの言うところのあれ・・――魔女キュルケがかつて調伏した大型のドラゴン・・・・――は、モルガンやフラヴィらをこの近くで降ろした後、何処かへ飛び去って行った。


 その黒い竜を一目見たとき、ロドルフは戦慄した。

 ロドルフにとってその感覚は、これまでの生涯で二回だけ戦ったことのある、あの怪物の正面に立ったときと同じものだった。ただし、当時は共に怪物に挑むにあたって心強い仲間が大勢いた。

 しかして、いまロドルフの周りにたむろする雑兵を率いたところで、黒竜の相手は到底務まらないだろう。一見してそれが察せられるほど、黒竜は絶対的な上位存在だった。


 ――いったいそのドラゴンはどこから連れて来たのか。


 その問いを始めとして、ロドルフからモルガンに問いたいことは山ほどあった。

 しかし、ヴィヴィアンと手を組んでモルガンを陥れた彼が、この場で気兼ねなく問いを発することはできなかった。


「――……のこのこと戦場まで出てきたことを後悔させてやろう。手心をかけてもらえると思わぬことだ」


 ロドルフは当座の疑問を棚上げし、モルガンに対して強気の言葉を放った。


「……」


 対するモルガンは、ただ静かに目を細めて杖を構えた。



 一人、また一人と、エルフ軍の本陣に控えていた腕利きのエルフが、ノアやレティシアの手に掛かって倒れていく。

 ここへ来てヴィヴィアンは、はっきりと形勢の不利を悟った。


(――前線の戦況はわからない。でもどの道、ここが落とされたら終わり……!)


「……他所見よそみは良くありませんよ、バラントン様」

「くっ、このっ……!」


 相対するマリー=アンブローズが矢継ぎ早に魔法を放ってくるため、ヴィヴィアンは対応を余儀なくされる。


「バラントン様!」

「加勢いたします!」


 そのとき、二名のエルフがヴィヴィアンの援護をするべく現れた。


「助かったわ! ここは任せたわよ!」

「「ハッ!」」


 ヴィヴィアンはこれ幸いと、マリーの相手を二人に任せ、自身は〈飛行フライ〉の魔法を発動して素早く後方へ離脱する。


「――しまった!」


 これに焦ったマリーだが、駆けつけた二名のエルフが彼女の前に立ち塞がったため、ヴィヴィアンの後を追うことはできない。


 後方へ逃げるヴィヴィアンの姿に、少し離れた場所で戦っていたレティシアも気づいた。


「ノア! バラントン殿が――!」

「ああ。まずいな……」


 レティシアの声に頷き、後を追おうと考えたノアだったが、それを即座に実行することはできなかった。


「――ユーグ! そいつらをこっちに来させるんじゃないわよ!」

「ああ! 任せてくれ!」


 なぜなら、その場にはユーグを含む有力なエルフの兵士達がまだ数多く残っていたからだ。

 ノアやレティシアは彼らより頭一つ飛び出た実力の持ち主だが、それでも彼らを無視してヴィヴィアンを追うのは困難だった。


 〈飛行フライ〉の魔法によって低空を滑るように高速で移動しながら、ヴィヴィアンはある決意を固める。


(……やってやる。アレ・・を起こして、この戦況をひっくり返す……!)



 エルフ軍第一大隊の戦況は混沌としていた。五つの中隊の内、第一、第二中隊は人間側の右翼を担うコンラート隊に引きつけられ、逆側では第四、第五中隊が人間側のヘンドリック隊に対応していた。

 そして、ロドルフ=アンブローズと共にわずか二名の人間側の騎士を追い詰めていた中央の第三中隊は、『サン・ルトゥールの里』から文字通り飛んで来た数名のエルフの急襲を受け、今では逆に壊滅の危機にあった。


「うらぁっ! せやぁっ!」


 鞘に入れたままの長剣を振り回し、エルフ兵を次々に昏倒させているのは獅子面の半獣人である騎士レオンハルトだ。

 そこに、槍を振り回すもう一人の半獣人の騎士が現れ、レオンハルトの背後に立って背中合わせになる。銀狼人の半獣人、ヒルデガルトだ。


「……無事だったか」

「ああ! フラヴィとかいうエルフに助けられた!」


 安堵あんどが混ざったヒルデガルトの言葉に対し、レオンハルトは快活に応えた。


「エルフだと? レティシア殿の仲間か?」

「たぶんな!」


 二人は、エルフ兵たちの攻撃をいなしながら会話を続けていた。


 二人からやや離れた場所では、フラヴィやモルガンと共にこの場に飛んで来たエルフの戦士――シモンが、並居るエルフ兵を倒しながら駆け回っていた。

 彼一人に倒された第三中隊のエルフ兵は、この時点で三十に達しようとしていた。


「……我々も負けてはいられないな」


 とは、シモンの修羅のごとき戦いぶりを遠目に確認した、このときのヒルデガルトの言だ。


 一方のシモンはこの後、二人の騎士やフラヴィらによってこの場の戦局が優位に傾いたことを確認すると、ロドルフ=アンブローズを倒すべく、モルガンの援護に向かう。



「獣人って元気ねえ。泥沼から脱出させてあげたら、あっという間に飛び出して行っちゃったわ」


 泥沼の魔法にはまったレオンハルトを救出したエルフの一人、フラヴィがどこか呆れたような調子でそう言った。


「ああ。あの分なら、加勢の必要もないかもしれないな」


 と応えたのは、フラヴィと共にレオンハルトを救出したエルフの戦士、アロイスだ。

 アロイスは、『サン・ルトゥールの里』で長老の一人を務めていたアデラールの孫息子だ。アデラールと共に地下収容所に囚われていたが、ロドルフの張った結界が解けた際に志願して、この戦場へ同行して来た。


「そうね。でも、あっちの方にはまだまだ元気なエルフがたくさんいるみたいだし……」


 そういうフラヴィの視線の先には、エルフ軍の本陣へと援護に向かう第二大隊の軍勢があった。いまだ戦闘らしい戦闘をしていないこの大隊には、四百名以上の兵士が属している。


「そうだな。局所的には盛り返していても、我々の方が圧倒的に数は少ない。ノア達が首尾よくバラントン殿を捕えることを願おう」

「ええ。私たちにできるのは、ちょっとした嫌がらせぐらいかしら?」


 二人がそんな会話をしていた頃、エルフ軍の本陣の方角から一筋の赤い光が立ち昇り、天頂を貫いた。


「……なんだ、あの光は?」


 アロイスのそんな声に続いて二人の耳に聴こえてきたのは、戦場となった平原一帯の空気を震わせるような叫び声だ。


「これは……魔獣の声? 何が出てきたっていうの……?」


 フラヴィの頬を一筋の汗が流れる。

 辺り一帯に響くほどの声量の持ち主の大きさはどれほどに達するのか――それを想像し、彼女の表情はくもった。


「そんな、まさか……」


 いぶかしむフラヴィに対し、アロイスの顔色が蒼白になる。


「アロイス、あれが何かわかるの?」

「……あり得ない。まだ、アレ・・が復活するには早すぎる……」


 ――アレ・・とは何なのか。

 アロイスの言葉は要領を得ず、フラヴィは苛立ちを募らせた。


「ねえ、アロイス。私にわかるように言ってくれる?」


 フラヴィにそう言われて、アロイスはハッとして彼女に向き直った。


「……あぁ、悪い。あまりにも予想の範疇はんちゅうを超えていたものだから」


 そう前置きした後、アロイスは本陣に現れたものの正体を告げる。


「オレの想像が正しければ、あそこに現れたのは〝怪物のベランベラン・ラ・モンストル〟。『帰らずの谷』に二百年に一度現れると言われる、不滅の災厄だ」


 ――戦いは、最後にして最大の局面を迎えようとしていた。

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