第40話 救援②
(――これじゃあ、計画がメチャクチャじゃない!)
眼前に現れたマリー=アンブローズと
ヴィヴィアンはほんのわずか前まで、自身が圧倒的な優位に立っていると思っていた。
実際、彼女はレティシアの命を奪う寸前まで至っていた。しかし、それが止めの魔法を放つ寸前の一呼吸で逆転され、一転して劣勢に追い込まれていた。
「――バラントン様、魔法比べを致しましょう」
「くっ……!」
マリーが涼やかな声音で告げながら、魔力を高めて呪文の詠唱を始める。
ヴィヴィアンもそれを見て、慌てて対抗魔法の準備をする。
(このままじゃ
ある意味で、マリーによって魔法勝負に引き込まれたことは、この時のヴィヴィアンにとっては幸いだったかもしれない。
魔法を操ることは精密な作業に似ており、冷静さと集中力が要求される。優れた魔導師であるヴィヴィアンは、魔法に向き合うことで
ヴィヴィアンは無詠唱で対抗魔法の構成を組み上げながら、これまでの間に起こった一連の出来事に対する推測を組み立てる。
「……やられたわ。さっきのあの光はノアの
呪文の詠唱を止め、ヴィヴィアン同様に無詠唱に切り替えたマリーがにこやかに笑う。
「ええ。ご明察の通りですわ」
あくまで余裕を見せるマリーに対して、ヴィヴィアンはぎりっと歯を食いしばる。
ヴィヴィアンの推測は正しかった。
彼女がレティシアの命を絶とうと魔法を放つ寸前、辺り一面に魔法で強い光を放ったのはノアだった。
光に幻惑されたヴィヴィアンに向かって、攻撃魔法を放ったのはマリーだ。それを察知したヴィヴィアンは、完成させていた上級攻撃魔法をそちらに放って彼女の魔法を相殺したのだ。
推測は当たったが、それはヴィヴィアンにとって全く喜ばしくないことだった。
(――
なぜならば、集落を離れていたはずのノアが、この戦いに敵として参加してきたという事実を認めることになるからだ。
五年前、ノアが『サン・ルトゥールの里』から出奔したことを知ったとき、ヴィヴィアンはその場で立ち上がって拍手を送りたいほどの喜びと
ロドルフ=アンブローズには、「邪道」として魔法の才を軽視されていたノアだったが、ヴィヴィアンはノアの才能を正しく評価し、大きな脅威と認識していた。
ヴィヴィアンは当時においても、集落を乗っ取って人間達に反旗を
だからヴィヴィアンは、息子のユーグを
レティシアに好意を寄せていたユーグは、ヴィヴィアンが思った通りの行動を取ってくれた。
だが、まさかそれから何年か経ってノアがいきなり集落を出奔するとは、ヴィヴィアンにも予想できなかった。「頭上から蜜玉(エルフの
レティシアが「ノアを連れ戻す」と言い出した際、ヴィヴィアンは悩んだ末に彼女の後押しをすることを決めた。ただし、ノアが集落の外で生活を固められるだけの時間を稼ぐために、レティシアがノアと別の方角へ向かうような誘導を併せて行った。そう、ヴィヴィアンは独自に森番を動かして、ノアの行き先を大まかに把握していたのだ。
……まさか、レティシアが無関係の大陸へ渡って消息不明になるとは、ヴィヴィアンも予想だにしなかったが。
「――考え事ですか、バラントン様?」
「チッ――!」
間一髪でヴィヴィアンの魔法も間に合い、なんとかマリーの魔法を相殺することができた。
(――厄介な! そもそも彼女が今ここにいることも計算外!)
ヴィヴィアンにとって、マリーは二十歳ほど歳下ではある。が、彼女らほどの年齢になれば二十年の差は才能と努力で十分に埋められるものだ。ヴィヴィアンとしてはマリーに勝ちを譲るつもりはないが、次代の〝アンブローズ〟の名は伊達ではない。
勝負の行方は
「――それにしても、よくもロドルフの結界から脱出できたものね! しばらくは出てこれないと思っていたのだけど?」
ヴィヴィアンのこの問いには、計画を狂わせた要因を探る意味もあった。
『集落の主だったエルフらは地下収容所にまとめて結界で閉じ込めた。一月はそのままだ』
数日前、マリーやシモンといった『サン・ルトゥールの里』に残っていた戦力について、ロドルフ=アンブローズはそのように語っていた。
ロドルフの語り口には確かな自信が見られた。それには相応の理由があった。
マリーやフラヴィの眼前で発動したあの大規模な結界魔法は、彼がアンブローズ家に伝わる秘宝を持ち出し、長い日数を掛けて収容所を囲む魔法陣を描いて発動したものだ。
たとえ、結界内に閉じ込められたマリーやモルガン=サルトゥールといったエルフらが総出で力を合わせたとしても、一日や二日で解除できるものではない。ロドルフはそう確信していた。
先のヴィヴィアンの質問に対して、当時なすすべなく結界に閉じ込められたマリーは、何ら
「――ええ。父の張った結界は完璧でした。私達も途方に暮れたものです」
「……え?」
ヴィヴィアンにとって、マリーの反応は意外なものだった。
――では、どうやって結界を破ったというのか。
ロドルフの考えは誤りではなかった。
しかし、彼にとって最大の誤算となる存在が、後に『サン・ルトゥールの里』を訪れた。
マリーがその解答を明かす。
「助けてもらったんですよ。ノアと〝魔女〟にね」
「〝魔女〟ですって?」
マリーは、ヴィヴィアンに対して次の魔法を放つための詠唱をしながら、横目でちらりと隣の戦場を確認した。
そこでは、紫髪の魔女が人間の騎士達の円陣の外側に立ち、周囲を取り囲むエルフ達との戦いに臨もうとしていた。
(――正直言って、
マリーがそう思ってしまうほど、その〝魔女〟が彼女に与えた印象は鮮烈だった。
思わず微笑を浮かべてしまったマリーを見て、ヴィヴィアンの胸中に再び火が灯る。
(――人を馬鹿にして!)
「……〝魔女〟だかなんだか知らないけど、こんな所で
再び対抗魔法のための呪文を唱えながら気炎を吐くヴィヴィアンを見て、マリーは表情を消した。
マリーにとって、ヴィヴィアンの必死な姿はどこか滑稽で、哀れでさえあった。
*
(――何が起こった?)
エルフ軍魔導師隊の副長オーブリーは予想外の出来事に困惑していた。
本陣に飛び込んできた人間の決死隊に止めを刺すべく、彼が魔導師隊を率いて放った魔法〈
魔法の嵐が収まった後、騎士達の手前側に先ほどまではいなかった、とんがり帽子にローブ姿の何者かが杖を構えて立っていた。その姿はオーブリーにも見えていた。
(――あの魔術師の仕業か……?)
優れた視力を持つエルフであるオーブリーは、その人物の体のラインから、彼女が女性だと判別した。
〈
しかし、ひょっとしたらあの魔術師は人間達の隠し玉なのかもしれない――オーブリーは、
「――オーブリー、どうするのだ?」
「敵の魔術師に攻撃を――」
そこまで答えかけて、オーブリーはふと空間の揺らぎを感じた。
「――お主がこの隊の指揮官かの?」
オーブリーにとって聞き覚えのない、
オーブリーが振り返ると、そこにはとんがり帽子を
「何っ!?」
オーブリーは思わず、人間の騎士達の方と彼女との間で視線を往復させる。
つい先ほどまで騎士達の手前に立っていた魔術師の姿は掻き消え、魔導師隊の真っ只中に彼女が出現していた。
(転移魔法だと――!?)
それは、『サン・ルトゥールの里』の魔導師達にとっては、時代の中で失われた伝説の魔法の一つだった。
あのロドルフ=アンブローズといえども、何の準備もなく己の魔法のみで任意地点に転移することは叶わない。
それを、オーブリーの眼前のこの魔女は事も無げにやってみせたのだ。
「……
魔女――キュルケはそう言った。
「……何者だ? 人間共の味方か?」
オーブリーの問いに、キュルケは少し間を置いて答える。
「質問は一つずつにしてほしいものじゃが……、初めの方から行こうかの。
「〝魔女〟だと……」
キュルケの名前をオーブリーが耳にするのはこれが初めてのことだ。
彼にはその〝魔女〟の正体がまるで掴めなかった。
「そして二つ目の問いじゃが、妾は別に人間達の味方がしたいわけではない」
「なに?」
キュルケの答えは、オーブリーにとって意外なものだった。
キュルケも元は人間ではある。が、ここ『ザルツラント辺境領』で暮らす人々に対して、特別な思い入れがあるわけではない。
そんな彼女が、ノアと共にここでエルフ軍と敵対する形で参戦した理由とは――
「――ただ、頼まれただけのことよ。『この場の誰一人として、命を落とさずに済むようにしてほしい』とな」
――戦いで失われるであろう命を救う。
それは、キュルケにとって行動するに足る理由であった。
キュルケのセリフの意味を理解したとき、オーブリーの胸中に様々な感情が
「絵空事を……」
オーブリーは会話を切り上げ、右手を大きく振り上げる。周囲の魔導師達にキュルケを攻撃させるためだ。
「絵空事かどうか、試してみるかの?」
「――魔導師隊、〝魔女〟を攻撃せよ!」
しかし、オーブリーの号令に応えてキュルケを攻撃しようという者は現れなかった。
「何をやっている……!」
それを不審に思ったオーブリーが横手を振り返ると、二人を取り囲むように立っていたエルフの魔導師達が一斉にその場で崩れ落ちた。
「なっ……!?」
オーブリーは驚愕した。
彼にとって、その現象は何の前触れもなく唐突に起こった。
「誰一人、気づきもせんとはな……。お主ら、長く森に引き籠もり過ぎて、ボケてしまったのではないか?」
「魔女、貴様の仕業かっ!」
オーブリーを除くエルフの魔導師達はすやすやと眠りこけていた。
それは、キュルケが魔法の発動を巧妙に隠して放った、眠りの魔法によるものだった。
「左様」
「クッ……!」
オーブリーは杖を構えながら、〈
――このまま戦っても勝ち目はない。
オーブリーにはそれが理解できた。敵の魔女は、転移魔法を操り、誰にも悟られずに強力な魔法を発動させる、遥かに格上の存在だ、と。
「――〈
オーブリーの発動しようとしている魔法を看破したキュルケがそう
オーブリーは
ふとオーブリーは違和感を感じる。
急に全身が重くなったような感覚だ。
キュルケの言葉は続く。
「――逃げられるかは、別の話じゃがな」
オーブリーは背後に何者かの気配を感じた。
今にも〈飛行〉の魔法を発動しようとしていたオーブリーは、ちらりと後ろを振り返る。
「……ひ、ヒイィヤアァァッ――‼」
オーブリーは恐怖の叫び声を上げ、泡を噴いてそのまま失神した。
その顔つきは、まるでこの世で最も恐ろしいものを目にしてしまったかのようだった。
そこには薄ぼんやりとした、白い何者かの影があった。
ただし、余人がその影を目にしたとしても、取り立てて恐怖を感じることはなかっただろう。
「――〈
キュルケが、立ち尽くしたままの白い影に向かってそう言った。
白い影はこくりと頷き、キュルケに向かって一直線に進む。そして、そのままキュルケの体内に吸い込まれるように入ると、誰の目にも映らなくなった。
「……なんじゃ? 機嫌が悪そうじゃのう。化物のような目で見られてショックじゃったか? ……ん? 違う?
『あんなに叫ぶとは思わなかったから、こっちの方が怖かった』じゃと?
――ワッハッハ! 確かに、ドラゴンもびっくりな怯え様じゃったのう!」
キュルケの傍には誰の姿もなかったが、彼女はまるで誰かと会話でもするかのように一人で話し続けていた。
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