第39話 救援①

(――なんで、なんで彼女・・が今ここにいるのよ……!)


 ヴィヴィアンの感情は、混乱と怒りによって千々ちぢに乱れていた。


 ――あと一息で、憎きレティシアにとどめを刺してやれたというのに。

 急に視界をまばゆい光で塞がれたヴィヴィアンは、別方向から飛来した攻撃魔法を相殺そうさいするため、準備していた魔法をぶつけざるを得なかった。


 光が消えた後、ヴィヴィアンの側にレティシアの姿はもうなかった。その代わりに、彼女の正面に一人の小柄な女エルフが佇んでいた。

 ヴィヴィアン同様、『サン・ルトゥールの里』産の古木から作られた杖を握った銀髪の女エルフだ。


「……このような血生臭い場ではありますが、若者達の情熱というのは美しいものですね。――そうは思いませんか、バラントン様――いえ、首長殿?」


 レティシアとノアのちぐはぐとした掛け合いを横目で見やりながら、そのエルフの女魔導師はどこか皮肉を交えたようなセリフを投げかけた。

 それを耳に入れたヴィヴィアンの額に青筋が浮かぶ。


(――どうでもいいわよ、そんなこと!)


 ヴィヴィアンは怒りのままに、彼女の名前を呼ぶ。


「――マリー=アンブローズ……!」


 銀髪の女エルフ――マリーはその呼び声に応じて、涼やかな微笑を浮かべる。


「はい。しばらくぶりですね」



「万事休すか……」


 エルフの魔導師隊が放った〈大風刃結界ラージ・エッジ・サイクロン〉に取り囲まれ、騎士トビアスは死を覚悟した。


(――欲をかきすぎたか……いや、今更だな……)


 トビアスは作戦を振り返って反省しそうになった頭を切り替え、迫り来る風刃の嵐に背を向ける。運命を共にした突撃隊の面々と顔を合わせると、彼らはそれぞれ恐怖や悔恨といった思いを表情に浮かべていた。トビアスはそんな彼らに、今生の別れとなるべき言葉を告げる。


「みんな、すまなかった! あの世で会ったら、いくらでもこの俺に罵声を浴びせて……」

「――あ……!」

「――お、おい……後ろ!」


 トビアスの言葉は中途で遮られた。

 彼を見ていた突撃隊の表情が純粋な驚きに変わり、何名かがトビアスの背後を指差した。


「……なんだ?」


 それを受けて、トビアスは再び騎士達による円陣の外側に向き直る。


(――え……?)


 気づけば、いつの間にか風がんでいた。


 振り返ったトビアスの視線の先には、彼に背を向けた一人の女性の姿があった。ローブに身を包み、とんがり帽子を被った彼女は、さながらおとぎ話に登場する魔女のようであった。


 トビアスの視線を感じたのか、円陣の外側を見ていた魔女は、ちらりと彼の方に流し目を送る。


「……おや、邪魔をしたかの? エルフの魔法はき消しておいたから、存分に続きを語るがよいぞ。人間の生涯は短いからの」


 紫髪の魔女の場違いなほど呑気のんきな口調に、トビアスは張り詰めていた空気が弛緩しかんしたかのように感じた。

 トビアスは躊躇ためらいがちに疑問の声を上げる。


「ええと……どちら様で?」


 それはトビアスを含むその場の人間達にとって、当然の疑問だった。



「ヒルデガルトーーッ‼」


 ロドルフ=アンブローズが魔法によって生み出した泥沼に肩まで浸かりながら、騎士レオンハルトは必死に空中に腕を伸ばした。

 彼の視線の先では、空中に跳び上がって身動きの取れないところを数十名のエルフらが放った〈魔法の矢マジック・アロー〉に狙われた騎士ヒルデガルトの姿があった。


 レオンハルトが見ている先で、〈魔法の矢〉は次々にヒルデガルトの体に命中する。銀狼人の半獣人であるヒルデガルトは通常の騎士よりも更に高い魔法抵抗力を有しているが、それでも到底無事に済むとは考えられなかった。


「ちくしょうッ! この、クソ沼がぁーッ‼」


 レオンハルトは必死に手足をバタつかせるが、それは自身の体を更に泥沼の深くへと導く愚行でしかなかった。


「じっとしてて!」

「――!?」


 突然、誰かのささやき声がレオンハルトの耳元で響いた。レオンハルトは言われた通り身動きを止めて、声のした方を振り向いた。

 しかし、そこには誰の姿もない。


 レオンハルトはこの現象に心当たりがあった。

 エルフ軍を迎え討つ準備をしていたこの二日の間で、レティシアから風の魔法で伝言を受け取る機会があったからだ。


 レオンハルトにとって聞き覚えのないその声は、女性のものだった。

 誰かはわからないが、なにがしかの女エルフが彼に話し掛けたのだろう。


 悪意は感じられなかった。

 他に選択肢がなかったこともあり、レオンハルトはその声の指示に従うことにした。


 レオンハルトが動きを止めたことを確認したのか、声の主は新たな指示を告げる。


「……ありがと。今助けるから、そのまま両手を空に上げて待ってて」


 レオンハルトは、今度も言われた通りに両手をなるべく高い位置まで伸ばした。


 ヒルデガルトの安否が気がかりなレオンハルトだったが、現状の彼にはそうやって助けを待つ以外に出来ることがなかった。


「……うん?」


 両手を上げたままの姿勢で待っていたレオンハルトの耳に、遠くから何かが弾き飛ばされるような音と、エルフの兵士達の悲鳴が聞こえてきた。


「……――な、なんだ、ありゃあ?」


 首を巡らせて音や声のした方向を見たレオンハルトは、目を疑った。

 そこではエルフの兵士達が次々と空中を舞っていた。彼彼女らの内、ある者は殴られ、またある者は蹴られ、あるいは投げ飛ばされて悲鳴を上げるか、あっさりと失神していた。


 レオンハルトがもっとよく目を凝らしていれば、その近くでより目立たない方法で無力化されていたエルフ兵もいたことに気づいたかもしれない。


 ――どうやら、強力な援軍が現れたらしい。


 レオンハルトはそう理解して、一つ安堵あんどの息をいた。

 彼のその理解は正しく、エルフの兵士達が続々と倒されていく声や音は、次第にレオンハルトのもとへ近づいて来た。


「――よかった。間に合った」


 そして、レオンハルトの首が泥沼に浸かるよりも早く、彼は彼女の声を直に聴くことができた。


「あんたは――?」

「私? 私の名前はフラヴィ。フラヴィ=アンブローズよ。もう少しだけそのままでいてね」


 彼が見上げる先では、銀髪の若い女エルフが快活な笑みを見せていた。



「……痛てて。――だ、大丈夫か?」

「……あ、ああ。すまない」


 順に、ノアとレティシアのセリフである。


 死の間際にあった自分を救い出した男エルフが最愛のノアだとわかるや否や、彼の頭を掴んで自らの顔に引き寄せたレティシアは、両者の鼻頭の正面衝突という事故を発生させた。

 その結果として、二人とも鼻頭を抑えて悶絶もんぜつすることになった。


 未だ魔力の回復しないレティシアのために、互いの鼻に治癒魔法をかけながら、ノアは内心で軽くパニックを起こしていた。


(――あっぶね〜! ……ってか、いまレティシア、キスしようとしてなかった??)


 両者の鼻が衝突しなければ、二人は唇を重ねていてもおかしくはなかった。

 ――エルフが鼻の高い種族で良かった、とノアは転生して初めてそう思った。


「……むぅ、失敗か。意外と難しいな……。次の機会には必ず……」


 ノアの治療を受けながら、レティシアがぶつぶつと不穏なことをつぶやいていた。が、ノアは努めてそれを無視した。


 勿論もちろんノアは、先程のレティシアによる〝告白未遂(?)事件〟を克明に記憶している。

 しかし、ノアは絶対にそれを蒸し返そうとは思わなかった。やぶの中に潜む蛇を表に出したくはない――彼は強くそう思っていた。


 そのとき、レティシアが何かに気づいたかのように目を見開く。

 物問いたげな彼女の様子に、ノアもすぐに気がついた。


「――どうかしたのか?」

「ノア、お前はどうしてここに来たんだ? 『ゼーハム』の町にいたはずだろう」


 レティシアにとって、それはごく自然に生じた疑問だ。

 その問いにノアは、一つ首肯を挟んでから回答する。


「あぁ。レティに渡していた魔道具が使えなくなっただろう? 何かあったんじゃないかと思ってね」

「! そんなことで――」


 レティシアは、幼馴染の察しの良さと思いやりに感動した。

 ――いつもそうだった。ノアという男は、こちらが心の底で望んでいたことを、さも当然のような顔をしてやってくれるのだ。

 思わず胸がいっぱいになりかけたレティシアだったが、脳内に花畑を広げている場合ではないことも理解していた。


 しかしながら、レティシアにはどうしても、もう一つここでいておかなければならないことがあった。それは――


「……ヴィンデは息災か?」


 ――その一事を口にした瞬間、レティシアはその場の空気が重くなったように錯覚した。


 レティシアが最後にノアの妻、ヴィンデに会ったのは、この十四日ほど前のことだ。

 その時にはもう、あの白い髪の彼女の生命エネルギーは尽きかけていた。類稀たぐいまれな〈プラーナ〉――生命エネルギーの感知能力を持つレティシアは、その事実に気づいていた。


 ――もしや、既にこの世を去っているのではないか。


 そんな危惧めいた予想をしながら、レティシアは質問した。レティシアにとっては、答えを聞くことが恐ろしくもあった。


 そんな質問を受けたノアは、屈託のない笑みと共にうなずいた。


「ああ。もう何の心配も要らないよ」


 その回答を聞いて、レティシアは心から安堵した。


「それは良かった。――もしかして、キュルケが助けてくれたのか?」


 その問いは、レティシアにとってちょっとした思いつきに過ぎなかった。

 レティシアにとって、キュルケは未だ謎の多い人物であるが、優れた魔法使いであることは疑いがない。

 何百年も生きた不死の魔女であれば、死にかけた人間一人を救う手立てを持っていてもおかしくはないのではないか――レティシアは、そんな想像をした。


 レティシアのその憶測は、果たして的を射ていたようだ。

 ノアがゆっくりと首を縦に振る。


「そうだよ。――俺一人では、どうにもできなかったな……」


 ノアはかすかに眉をしかめて歯を食いしばりながら、それでも口の端で笑みを形作ろうとしていた。

 ――それは安堵のようでもあり、悔恨のようでもあり、自嘲や自責のようでもあった。

 レティシアは、ノアの複雑な胸中を朧気おぼろげに察することしかできなかった。


 ――どうやら、ヴィンデが一命を取り留めた経緯には複雑な事情がありそうだ。


 レティシアにわかったのは、その程度のことだ。ひょっとしたら、それは手放しでは喜べない事情なのかもしれない。

 しかし、二人にとってその詳細を話すべき時は、今ではなかった。


「詳しいことは後で話そう。まずは、この状況をなんとかしないとな」


 ノアはそう言うと、レティシアに施していた治療を切り上げ、腰を浮かせて周辺に注意を向ける。

 彼の眼前では、ヴィヴィアン=バラントンとマリー=アンブローズという、『サン・ルトゥールの里』でも屈指の魔導師の二人が本気の上級魔法をぶつけ合っていた。


「ああ、そうだな」


 そうこたえると、レティシアもまた立ち上がり、ノアと肩を並べる。


(この戦いが終わったら、必ず事情を聞こう)


 レティシアは先の話題に関して、心の中でそう決意した。


 そんな固い決意とは裏腹に、立ち上がったレティシアの足元はやや覚束おぼつかず、その肩をノアに支えられる結果となった。


「おいおい、まだ休んでろよ。治癒魔法で体力は回復しないんだぞ」


 ノアの呆れた声を聞きながらも、レティシアははっきりとかぶりを振った。


「そうは行かん。これはもう、私の戦いでもあるんだ。少し疲れたぐらいで休んでいたら、これから先、一生後悔することになる」


 強硬なレティシアの態度に対し、ノアは片手をヒラヒラと振りつつ、聞えよがしに溜め息をつく。


「――じゃあ、とっとと終わらせるか」


 その応えを聞いて、レティシアは満足げな笑みを浮かべる。


「ああ。そうしよう」



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// 【補足】


ヴィヴィアンを庇って大怪我を負った女兵士ポーラは、この間にノアの治癒魔法で助かっています。

レティシアとノアの間では、当然その件に関するやりとりもありました。……が、本文はよりテンポ良く進めたかったので、そのやりとりについては割愛することにしました。

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