第38話 危機

「――レティシア!」


 敵エルフ軍の首魁しゅかい、ヴィヴィアン=バラントンの魔法によって拘束されたレティシアを見て、騎士トビアスが血相を変えた。彼はレティシアの後を引き継いで残り九名の突撃隊隊員をまとめ、エルフ軍の精鋭連中に囲まれながらも円陣を組んで奮戦していた。


「最悪の展開ですね……」


 と応じたのは、その傍らでなけなしの魔力を振り絞って魔法障壁を展開する、魔術師ヨアヒムだ。


「ヨアヒム! ……なんとかならないか?」

「無茶言わないでくださいよ……」


 一縷いちるの望みを口にしたトビアスだが、魔力の尽きた魔術師に打開策はなかった。

 トビアスはレティシアから突撃隊の指揮を預かった者として、苦渋の決断をする。


「――仕方ない。レティシアの作戦は失敗だ。我々だけでも血路を切り開いて離脱するぞ」

「何っ……!?」

「そんな……!」


 トビアスの宣言を聴いた周囲の騎士達の中には、敵であるエルフ達と刃を交えながらも、動揺を隠せない者が幾人もいた。

 突撃隊の騎士らの間では、見目麗しい女エルフでありながら人間の騎士達に交じって闊達かったつに振る舞うレティシアに好意を持つ者が少なくなかった。

 そんな彼らにとって、トビアスの非情な決断は衝撃だったのだ。


「……レティシア殿はどうされるので?」


 そうした者らの動揺を代表するようにヨアヒムがたずねたが、トビアスは首を横に振った。


「残念だが、我々にも彼女を助けられるような余裕はない」

「――トビアス、俺に行かせてくれ! レティシア殿を連れて戻ってみせる!」


 一人の騎士が再び馬に跨って気炎を吐いたが、トビアスは目をいて反対する。


「駄目だ! 無謀過ぎる!」


 そのとき、騎士達と切り結んでいた十人ほどのエルフ達が一斉に後退した。

 それによって、円陣を組む人間達の周囲に広い空間が生じた。


「なんだ……?」


 トビアスが疑問を口にした次の瞬間、風が唸り声を上げた。

 土埃を巻き上げながら幾重にも重なり合った風が渦を巻きながら人間の騎士達を取り囲む。

 さながら、彼らが台風の目の中に入り込んでしまったかのようだった。


「遅かった、か……」


 トビアスの顔つきは能面のような無表情に変わっていた。


 彼らを取り囲む風は、ただの強風ではなかった。


 ――ヒヒィン……


 騎士達の円陣の外側にいた一頭の馬が風に巻き込まれた。

 その馬は全身を風の刃に切り刻まれ、ものの数秒で絶命に至った。


「ト、トビアス……!」


 騎士の動揺の声に対して、トビアスはただ唇を噛むのみだった。


 それは〈風刃結界エッジ・サイクロン〉という魔法を大規模化したものだ。言うまでもなく、エルフ軍の魔導師隊によるものだ。

 トビアスら突撃隊の人員を逃さず仕留めるために、魔導師隊の副長オーブリーによってその魔法が選択された。


 風刃の結界は徐々にその大きなあぎとを閉じ、内側の人間達に鋭い牙を突き立てようとしていた。



「ぐぅっ……。がはっ……」

「――やっと大人しくなってきたわね」


 〈雷水蛇の桎梏サンダー・ハイドラ・バインド〉の魔法に囚われたレティシアは、その後も複数回に渡って高圧電流によるダメージを受け、遂には指一本さえ動かせなくなった。そんなレティシアを見下ろしながら、ヴィヴィアン=バラントンは彼女に止めを刺すべく新たに魔法を唱え始める。


 そのとき、レティシアの衣服の陰から小ぶりな何かが飛び出す。

 その何かはヴィヴィアンに向かって飛びかかり、彼女が杖を握る手に牙を立てる。


「痛っ!」


 魔法を中断させられ、杖を取り落としたヴィヴィアンは、噛みつかれた手を大きく振り回した。彼女の手に噛みついたその何かが、地面に叩きつけられる。


「ギャンッ!」


 その生物が鳴き声を上げた。

 その正体は、今の今までレティシアに同行していたキツネコのシャパルだ。


「何するのよっ、このクソ猫がっ!」


 激しい怒りをあらわにしたヴィヴィアンが、背中から地面に落ちたシャパルを躊躇ためらいなく蹴り飛ばす。


「グギャッ!」


 シャパルは横腹を強く蹴られ、まりのように勢いよく地面を転がっていった。


「シャ、シャパル……」


 身動きの取れないレティシアには、その一連の様子をただ見ていることしかできなかった。


「フン! 主人に似て、しつけのなってないドラ猫ね」

「…………」


 再び杖を手にしたヴィヴィアンは、改めて魔法の詠唱を再開する。


「――それじゃあ、さようなら、レティシア。あなたには散々手を焼かされたけど、神樹様のお導きがあると良いわね?」


 呪文の詠唱を終えたヴィヴィアンは、死に行くレティシアへの手向けとしてそんな言葉を掛ける。

 ヴィヴィアンがこれから放とうとしている上級攻撃魔法を喰らえば、弱り果てたレティシアは即死を免れないだろう。


「くっ……こ、これまでか……」


 最後まで諦めたくはないレティシアだったが、何度も致死レベルの電流を受けたために全身がボロボロに傷ついており、依然として身動き一つ取れなかった。


 レティシアの脳裏に、彼女のこれまでの数十年の生涯が走馬灯のように流れる。エルフとしては短い一生になるが、その最後の五年間にはとりわけ色濃い出来事が並んでいた。

 思い出の走馬灯が流れ終わった後、脳裏に浮かび上がるのは一人の変わり者の幼馴染のエルフだ。


(ノア……最期さいごに一目会いたかった)


 レティシアの唇が、その男エルフの名を呼ぶかのように形を変えた。

 彼女の双眸そうぼうに涙がにじむ。


「バイバイ、レティシア」


 ヴィヴィアンの言葉と共に、レティシアの視界は魔法による真っ白な光で覆い尽くされる。



 エルフ軍第一大隊の後方で、魔導師ロドルフ=アンブローズを含むエルフらと戦っていた半獣人の騎士レオンハルトとヒルデガルトは、エルフ軍の第三中隊のエルフら数十名に取り囲まれ、刃を向けられていた。


「チッ。こりゃ、退き際を誤ったな……」

「今さら言っても仕方なかろう……」


 レオンハルトのボヤきに、ヒルデガルトは少々ばつが悪そうに応えた。


 ロドルフが放った濃霧の魔法で視界が閉ざされたとき、撤退を提案したレオンハルトに反対したのがヒルデガルトだった。

 レオンハルトと共にロドルフの足留めを引き受けたヒルデガルトとしては、満足な成果が得られていないと感じたのだ。

 ――しかし、その判断は誤りだった。


 霧が晴れたとき、二人の騎士は数十名のエルフ兵に取り囲まれていた。


 だからといって、過ぎたことをいつまでも引きずるレオンハルトではない。


「違いねぇ。――時間稼ぎはもう十分だろ。なんとかしてこの場を切り抜けるぞ」

「ああ」


 エルフの兵らは二人を遠巻きに取り囲むばかりで、安易に近づく者はいなかった。迂闊うかつに接近すれば、返り討ちになることがわかっているからだ。自軍の勝利が確定している状況で、進んで貧乏くじを引きたいと思う者はいない。


 そんな中、カタンという若い男エルフが一歩前に進む。


「投降しろ。おめぇらの命はオラが保証してやる」


 その年若い兵士の提言を受け、レオンハルトとヒルデガルトは小声で会話を交わす。


「――だとよ。どうするよ?」

「聞けぬ提案だな。そう易々と敵の手に落ちるわけには行かない」

「……だよな」


 吐き捨てるようなヒルデガルトの言葉を受けて、レオンハルトがカタンに返答する。


「悪ぃな。……っつーわけで、まだ捕まるわけには行かねぇ」


 カタンはどこか納得したような様子で顔をうつむかせる。


「そうけ。残念だべな……」


 そうつぶやいたカタンが再び部隊の輪に戻るのを待つことなく、周囲のエルフ兵達は攻撃魔法の詠唱を始めていた。

 小休止していた戦場の空気が再び緊張を募らせる。


 二人の騎士が包囲の薄い所を突破するべく目星をつけていた頃、その場でもう一つの変化が起こった。


「――やべぇ!」

「これは……!」


 レオンハルトとヒルデガルトは、鉄靴サバトンまとった両足が地面に沈んでいることに気づいた。

 いつの間にか、二人の足元の地面が泥沼へと変化していた。

 それは、ロドルフ=アンブローズの魔法による所業だった。


 二人の下半身がズブズブと地面に呑まれていく。

 泥沼の範囲は広く、脱出は困難と見られた。


「おい、ヒルデ! 俺の体を踏み台にしてこっから抜け出せ!」

「チッ……! それしかないか!」


 レオンハルトの強い口調に、ヒルデガルトは舌打ちしながら応じた。

 ヒルデガルトは遠慮なくレオンハルトの肩に手を掛けると、泥沼から速やかに足を抜く。

 彼女が彼の肩を蹴って飛び上がると、反動でレオンハルトの体はより深く泥沼に沈んだ。


 しかし、高く跳び上がったヒルデガルトは、エルフ兵らの魔法の格好の的になった。


「――放て!」


 指揮官の号令を合図に数十の〈魔法の矢マジック・アロー〉が束となって、空中で身動きの取れないヒルデガルトに襲いかかる。


「ヒルデガルトーーッ‼」


 泥沼から必死に手を伸ばしながら、レオンハルトは叫んだ。

 


(――存外、痛みはないものだな)


 魔法の光によって視界が塞がれた後で、レティシアはそう思った。

 ヴィヴィアンの攻撃魔法には強い魔力が込められていた。きっとひと思いに殺してくれるのだろう――そう思ったレティシアだったが、いつまで経ってもそれらしい瞬間は訪れなかった。


 それどころか、レティシアが先ほどまで感じていた、電流による全身の痛みが和らいでいるようにさえ感じられた。


(――なんだ……? 誰かが私を抱えている……?)


 身動きが取れず、閉ざされた視界の中で、レティシアは誰かに自分の両肩が抱えられて移動したように感じた。


 ようやく光が収まった後、仰向けになったレティシアが見上げたものは、ちょうどその直前に自分の脳内に出演していた、変わり者の男エルフだった。

 それを見て、レティシアは目の前で起こっていることは、きっと現実ではないのだと思った。


 ――きっと、バラントンの魔法をらった自分はもう、死んでしまったのだろう。


「――夢か幻か……。神樹様が、死んだ私に気を利かせてくれているのか……」

「レティ。傷にさわるから、しばらく動かない方がいい」


 その男エルフ――ノアは、ボロボロになったレティシアの体を魔法で治療しているようだった。


 レティシアが視線を正面に向けると、そこには先ほど彼女の攻撃で重傷を負った女兵士――ポーラも仰向けに寝かされていた。

 斬り裂かれたはずのポーラの右肩の傷はえており、彼女の胸は呼吸でゆっくりと上下している。


「……そうか。あの娘もいるということは、やはりここは死後の世界なのだな。なぜ、ここでノアの幻を見ているのかはわからんが……」

「レティ、何言ってるの?」


 ノアはレティシアの治療を続けながら、不思議なことを言う彼女に対して眉をひそめた。が、彼のその言葉はレティシアの耳には届いたものの、彼女の理解には至っていなかった。


「声までノアそのものとは、恐れ入る……」


 レティシアは妙なポイントに感心を示した後、強い眼差しでノアに語りかける。


「ノア、幻だとしても言わせてくれ。――気づいたんだ。私はお前が好きだった。愛してい」

「レティ、ステイ! それ以上は行けない」


 そのときになってようやくレティシアの勘違いを察したノアは、慌てて語気を強めて彼女の言葉を遮った。


 死を経験した(と思っている)レティシアにとって、最大の心残りはノアに自分の想いを告白できなかったことだった。

 ノアの治療によって我知らず怪我から回復しつつあったレティシアは、その思いの丈をここで打ち明けられずにはいられなかった。


 そんなレティシアだったが、ノアにたしなめられたことでやや冷静さを取り戻す。

 ――目の前のノアが幻だとしたら、自分が幻に抱えられているこの状況は何なのだ、と。


 自分の腕が動くようになったことに気づいたレティシアは、片手を伸ばしてノアの頬に添える。彼の頬はほのかに熱を帯びていた。


「ノア……? ほんもの、なのか……?」


 ノアは困ったような笑顔を見せる。レティシアにとって思い出深い、あの笑顔だ。


「ああ。夢でも幻でもない。本物の俺だよ」


 そう答えたノアの頭にレティシアはもう一方の手をも伸ばす。


「――ちょっ……!」


 ノアの制止の声はむなしく途切れた。


 次の瞬間、ノアの顔はレティシアの顔に引き寄せられていた。



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// 【おまけ】


フラヴィ「――くしゅんっ!」

マリー「フラウ、どうしたの? 風邪?」

フ「さあ? 何かいわれのない風評被害を受けたような気がしたんだけど……」

マ「なあに、それ?」

フ「わからないけど、シャパルの巻き添えで私までばかにされたような気がするわ!」

マ「我が子ながら、何を言ってるのかさっぱりね」

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