第37話 急襲

 儀式魔法を発動させるため、魔導師隊の副長として指揮をっていたオーブリーは、突然、前触れもなく発生した竜巻への対応を迫られていた。


(――もう少しだというのに……!)


 儀式魔法の発動準備は最終工程に達していた。あとほんのわずか――木登り一回分ほどの時間があれば、十分に発動させられただろう。


 迫り来る竜巻が風の上級魔法である〈風嵐ウインドストーム〉であることは、熟練の魔導師である彼には一目で看破できた。

 それを彼だけで相殺そうさいすることは不可能ではない。ただし、それには呪文を詠唱できるだけの十分な時間があれば、という条件がつく。


 オーブリーが気づいた時には、竜巻は目前まで迫っていた。


「ひ、ヒィッ!」


 みるみる近づいて来る竜巻に恐れをなした一人の魔導師が逃げだしたため、儀式魔法の陣形が崩れた。彼を捕まえて元の位置に戻さなければ、儀式魔法は不完全なものとなり、発動できるかも怪しい。

 オーブリーは溜め息をき、儀式魔法の行使を諦める決断をする。


「……〈輪唱火砲カノン〉は中止する。各自、障壁を用意せよ」


 彼は低いトーンでそう告げると、自らも竜巻を防ぐために魔法障壁を展開する。



(ここまでは、これ以上ない出来だ! だが……)


 レティシアは騎馬を走らせながら、作戦の手応えを確認していた。

 彼女たち十一騎の騎兵から成る突撃隊は、エルフ軍第二大隊の右後方から本陣を目掛けて直進していた。


「――もう、あと十呼吸も持ちません!」


 レティシアに続く馬上の魔術師――ヨアヒムが額に脂汗をかきながら叫んだ。

 彼が発動し続けている魔法――それは、発動者自身を含む仲間の姿を他者から認識されなくするという、認識阻害の魔法だ。

 〈不可視の遮幕インビジブル・カーテン〉というその魔法の発動には特殊な触媒を必要とし、魔法力の消費も激しい。使えるのはこの一度限りだ。

 しかし、この魔法の効果は厳しい使用条件に十分見合ったものだ。

 この魔法によって、レティシアら十一騎の騎兵隊は、騎乗した馬も含めて一時的に敵であるエルフ軍全軍の目から逃れることができた。

 レティシア達はその間に進路を変え、エルフ軍の第二大隊を左回りに迂回して、後背の本陣を強襲することを決めた。


 首尾よく第二大隊をやり過ごした後、レティシアは長い呪文の詠唱を終えて〈風嵐ウインドストーム〉の魔法を放った。これは彼女がエルフの魔導師から教わった魔法の中で、最も高威力の魔法である。

 〈風嵐〉の魔法によって生じた竜巻は、エルフ軍の魔導師隊による儀式魔法〈輪唱火砲カノン〉の発動を見事に阻止してみせた。


「――レティシア! ここからどうする?」


 騎士トビアスが、騎馬でレティシアに追いすがってたずねた。


「トビアス達は魔導師隊を頼む! 私はここでバラントンを討つ!」

「無茶な! 離脱できなくなるぞ! 後方へ抜けるんじゃなかったのか?」


 事前の打合せの内容を鑑みれば、トビアスの言は正しかった。

 打合せ時点の作戦では、一撃離脱によって敵を撹乱かくらんし、再び攻撃の機会を得る算段だった。

 しかし、この時のレティシアの直観は、その作戦に警鐘を鳴らしていた。


「――いや。このまま逃げても、魔導師達に背中を撃たれるだけだ! やるしかない!」

「くっ、そういうことか! わかった!」


 トビアスはレティシアの懸念を理解し、彼女以外の騎兵を率いてエルフ軍の魔導師隊の方へ向かう。


 彼らを見送ったレティシアは、ヴィヴィアンの居る本陣の中心へと馬首を向ける。



「クソッ! 〈輪唱火砲カノン〉が阻止されるとは……!」


 ユーグは歯を食いしばり、拳を強く握り締めた。

 彼の目の前では、魔導師隊の隊員らが各々障壁魔法を展開し、〈風嵐ウインドストーム〉の魔法を防いでいた。


 ユーグの傍らで、目を閉じて集中していたヴィヴィアンがふと目を開く。


「……見つけたわ」


 ヴィヴィアンは生命力を感知する技能を発揮し、人間達の気配を感知したのだ。


「――〈帯電する霧スパークリング・ミスト〉!」


 ヴィヴィアンが放ったその魔法は、エルフ軍の魔導師隊を強襲しようとしていた騎兵隊を正確に捉えた。


「「「ぐああぁぁっ‼」」」


 騎士達の煩悶はんもんの声が上がった。彼らは、電撃によって騎馬もろとも痙攣けいれんを起こした状態で姿を現した。

 ちょうどこの時、ヨアヒムによる〈不可視の遮幕インビジブル・カーテン〉の魔法効果が切れたのだ。


ねずみ共め! やっと尻尾を出したわね!」


 それを見たヴィヴィアンが、笑みを浮かべて言い放った。


「さすがは母上! ――よし、今の内に奴らを仕留めるぞ!」


 彼女に追従ついしょうしたユーグが、すかさず手勢を率いて騎士達に攻撃を仕掛けようとする。


「クッ、やむを得ん! 馬を捨てて円陣を組め!」


 と、号令を発したのは、仲間と共に〈帯電する霧スパークリング・ミスト〉の魔法を食らった人間の騎士トビアスだ。

 厳しい訓練によって魔法への抵抗力を獲得した騎士達は、馬よりも早く電撃によるしびれから脱していた。


「こんなの、聞いてませんよ……」

「泣き言を言うな!」


 騎士ではない魔術師のヨアヒムがついボヤくと、トビアスが彼を叱咤しったした。

 ヨアヒムも周囲の騎士達と同じように、体内の魔力を高めて魔法の威力を和らげており、トビアスの指示に従って下馬していた。


「クククッ……さぁて、どう料理してやろうか……――うん?」


 獲物を目前に舌舐めずりをしていたユーグだが、騎士達の面々を眺めていてあることに気がついた。


(レティシアが……いない!?)


 ユーグの目は、物心ついた頃から見知った仲である女エルフの姿を騎士達の中に映すことができなかった。

 人間側の兵の中で、エルフの風魔法である〈風嵐ウインドストーム〉を行使できるのは、レティシア以外にない。

 従って、今ユーグの目の前にいる部隊と確実に行動を共にしていると思われたのだが……。



「……ユーグは何をしているのかしら? さっさとやってしまえばいいものを」


 きょろきょろと辺りを見回すユーグを遠目に見ながら、ヴィヴィアンは苛立った様子で毒いた。


 そのとき、彼女の後方にいた兵士の一人が何かに気づき、大慌てで叫ぶ。


「バ、バラントン様っ‼ 上をっ‼」

「――え?」


 ヴィヴィアンがそれに気づいた時には、もう遅かった。


 事前に〈空歩エア・ウォーク〉の魔法によって空高く駆け上がっていたレティシアが、ヴィヴィアンが立っていた位置に急降下してきていた。


(――ここで、勝負を決める!)


 レティシアは覚悟を決めていた。

 ヴィヴィアンを討たなければ、エルフ軍を止めることはできない。

 もしも彼女の命を奪うことになったとしても、これを達成するためならば仕方がない、と。


 短剣を片手に構えつつ、レティシアは裂帛れっぱくの気合を上げる。


「ヤァーーッ‼」


 ――ブシュワッ!


 何かが斬り裂かれる音に続いて、鮮血が宙を舞った。



 エルフ軍の前線では、依然として四つのエルフの中隊が、左右に分かれた敵騎兵隊の動きに翻弄され続けていた。


「〈風の刃ウインド・カッター〉、放て‼」


 指揮官の号令に合わせ、何十という不可視の風の刃がコンラート率いる騎兵隊に迫る。


 しかし、そのときには騎兵隊は後退しており、エルフ達が放った魔法が彼らを損傷させるにはいたらなかった。

 それを見た指揮官が歯軋はぎしりをする。


「クソッ! ちょこまかと動きおって……!」


 指揮官の心情としては、追いかけて騎士隊を仕留めたいところだったが、自軍の内側に敵兵の一部が侵入している現状で、自分達の部隊だけが突出するわけには行かない、と自制していた。



殿しんがりは敵魔法攻撃に備えよ!」

「ハッ!」


 右翼側の騎兵小隊を率いるコンラートが、部隊を後退させながら指示を発した。

 小隊の最後列、即ち、敵エルフ軍に最も近い位置には魔法防御に長けた騎士を配置していた。

 エルフ軍が放った〈風の刃ウインド・カッター〉のいくつかは小隊の後列に到達していたが、その騎士達によって無効化されていた。


 その少し後で、コンラートに近づく若い騎士がいた。


「隊長! 突撃はまだですか?」


 血気盛んな若者の声を聴き、コンラートは苦笑する。


「それは我々の役割ではない」


 コンラートがそう応えると、騎士はあからさまに肩を落とした。


「……ちぇっ。俺も突撃隊に入りたかったな」


 馬上のコンラートにその騎士の愚痴が届いたわけではなかったが、何を言ったか察することはできた。


「想定外のことが起こるときもある。緊張を切らすなよ」

「は、はい!」


 若い騎士の内心を見透かしたようなコンラートの注意に、彼は慌てて返事をした。


 コンラートの小隊は、左翼側の騎士ヘンドリックが率いる小隊と同様に、前進と後退を繰り返して敵エルフ軍の動きを牽制けんせいしていた。

 それは事前に立てた作戦通りの行動だった。 


 十分に後退したコンラートは再び振り返ってエルフ軍と向かい合う。


 戦場の中央では、半獣人の騎士二人がエルフ軍の一個中隊を相手に大立ち回りを見せていた。

 また、コンラートの位置からでは見えないが、レティシアやトビアスを含む残りの突撃隊十一騎はエルフ軍の後方の部隊を突破して本陣を突いているはずだ。


(事が上手く運んでくれていれば良いが……)


 コンラートは作戦の成否に思いを馳せながら、エルフ軍の注意を引くための次の動きの準備を行う。



 大地に降り立ったレティシアの顔面は蒼白となっていた。

 その手にした短剣に付着した赤い血がぽたり、と地面に落ちる。


「貴様は……」


 呆然とつぶやくヴィヴィアンの眼前には、彼女をかばって肩に大怪我を負った若いエルフの女性兵がいた。


「バ、バラントン様、ご無事、で……」


 ポーラという名のその女兵士は、かすれるような声でヴィヴィアンの無事を確かめた。


 どさり、とポーラが地面に崩れ落ちる。彼女の肩口からおびただしい量の血があふれ、土を赤く染める。


 〈空歩エア・ウォーク〉の魔法で空中を浮遊していたレティシアが、ヴィヴィアンの喉元に短剣の刃を届かせようとしていたその寸前、ヴィヴィアンの前に割って入ったのがポーラだった。

 慌てて刃を引こうと判断したレティシアだったが、実際には短剣の軌道をわずかにずらすのが精一杯だった。


(……なんということだ! すぐに治療をしなければ! ……いや、しかしまずはバラントンを……!)


 レティシアは意図しない相手に重傷を与えてしまったことに激しく動揺し、速やかに次の行動に移ることができなかった。

 ポーラを襲った刃は急所をれたとはいえ、いくつかの動脈が断ち切られたのは間違いない。あまりの出血で彼女の意識は前後不覚となっており、放っておけば命が危うい状況だと見られた。


 ヴィヴィアンの口角が、にいっと持ち上がる。

 レティシアの動揺と逡巡しゅんじゅんは、相対するヴィヴィアンにとっては、またとない絶好の好機となった。


(――しまった!)


 魔法の気配に気づいたレティシアは、慌ててその場から離脱しようとした。が、その判断は遅きに失しており、四肢に絡みついていた水の蛇によって大地に引きずり倒されてしまう。


「ぐはっ!」

「何をほうけているのかしら? こんな戦場の真ん中で」


 苦悶くもんの声を上げるレティシアに対し、その魔法――〈水蛇の桎梏ハイドラ・バインド〉を放ったヴィヴィアンは呆れたような声を上げた。


 レティシアは魔力を高め、水蛇の拘束から逃れようとする。だが、――


「ぐああぁぁっ‼」


 ――レティシアを拘束した水蛇に高圧の電流が流れ、彼女は感電による苦痛で行動を阻害されてしまった。

 通常の〈水蛇の桎梏ハイドラ・バインド〉の魔法には電撃は組み込まれていない。それはヴィヴィアンの魔法特性を活かした、〈雷水蛇の桎梏サンダー・ハイドラ・バインド〉とでも呼ぶべき固有の魔法となっていた。

 ヴィヴィアンはその魔法によって、レティシアに容赦なく致死レベルの電流を見舞った。


「往生際の悪い……。――あら? まだ意識を失ってないのね。オーガ並のタフさね」


 ヴィヴィアンにとって驚くべきことに、常人なら即死してもおかしくないほどの強烈な電流を浴びたレティシアは、四肢を封じられながらもどうにかして立ち上がろうともがいていた。


 レティシアは舌をもつれさせながら、ヴィヴィアンに一つのことを懇願する。


「た、頼む……彼女を、ち、治療して、やってくれ……」


 レティシアは水蛇に縛られた左手で、血溜まりに倒れたままピクリとも動かない女兵士――ポーラを指差した。


 ヴィヴィアンはポーラを素通りすると、震える声で懇願するレティシアの頭を踏みつける。


「……うん? そこの兵士のことね。――可哀想にね。まだ未来のある若者だったのに、裏切り者のお前に殺されてしまったわ」


 ヴィヴィアンはまだポーラの息があるという事実には目を背け、まるでこれから起こる未来が確定したかのように語った。


「ま、まだ間に合う……ち、治療を……」


 レティシアは必死に訴え続けるが、ヴィヴィアンの心が動くことはない。


「どうせすぐ死ぬわ。――丁度いい。これからあなたをその罪で処刑してあげる。それなら、あなたを殺してしまってもカドが立たないでしょう?」


 そう言って、ヴィヴィアンは愉悦の笑みを浮かべた。

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