第36話 レティシアの願い

「敵は少数だ! 取り囲め!」


 エルフ軍の第二大隊長――ジュディットは、またとない絶好の機会に興奮していた。

 第一大隊がまんまと敵を取り逃がしてくれたおかげで、第二大隊にお鉢が回ってきた形だ。

 開戦時、ヴィヴィアンから守備を命じられた時は、活躍の場が巡ってくる可能性をほぼ諦めていたジュディットだが、事ここに至って俄然がぜん、やる気が湧いていた。


「第六、第十中隊はやや前へ! 半包囲の陣を敷くぞ! 一兵たりとも敵を逃がすな!」


 ジュディットは伝令を通じて各中隊に指示を発した。


(レティシア様、お覚悟を……!)


 前線を突破してきた敵騎士隊の中に、レティシアがいることはわかっている。

 前里長の孫娘である彼女に刃を向けることについては、ジュディットとしても思うところが無いわけではなかったが、今は自身の職責を果たすべきだ――彼女はそういう割り切りをしていた。


 そして、ジュディットが率いる四百名余りのエルフ達が完璧に敵騎兵隊を掌中に収めつつあったその時、レティシア達十一騎の騎兵が忽然こつぜんと姿を消した。


「なにぃっ!?」

「だ、大隊長!! 敵がっ……!」


 ジュディットと、そのかたわらにいた副隊長は揃って驚嘆の声を上げた。


「何かの魔法か? 魔導師に敵の動きを探らせろ!」

「ハ、ハッ!」


 驚きつつもすぐに思考を切り替えたジュディットの指示を受け、副隊長は大隊に所属する魔導師に連絡を取る。


「全隊、前列は槍を構えろ! 敵がどこから来るかわからんぞ!」

「「「ハッ!」」」


 更に指示を出した後、ジュディットは思わず右手親指を口元に運び、爪を噛んだ。


(なんてことよ。ここまで来て、敵を見失うなんて……)


 彼女の胸中では、じわじわと焦燥する思いがくすぶっていた。



 一方その頃、エルフ軍第一大隊の後方では、レオンハルトとヒルデガルトという二人の半獣人の騎士達が、エルフ軍最強の魔導師であるロドルフ=アンブローズを追い詰めようとしていた。


「御免!」


 馬上で騎槍ランスを構えたヒルデガルトは、棒立ちのロドルフ目掛け真っ直ぐに突進する。

 ロドルフは、この直前にヒルデガルトが放った〈咆哮ハウル〉というスキルの効果で身動きが取れない状態にあった。


(い、いかんっ……‼)


 焦りに焦ったロドルフの眼前に、軽鎧を着込んだ一人のエルフ兵が彼を守るように背を向けて立つ。


「あ、アンブローズ様はやらせねぇだ!」


 なまりのある独特の口調で気勢を上げたのは、カタンという若い男のエルフ兵だ。彼は槍を構えてはいたが、初陣による緊張で震えていた。


 ロドルフはそんなカタンの様子を見て、落胆と恐怖を覚えた。

 こんな弱兵一人で騎兵の突撃チャージを防げるわけがない。自分の命運もここまでか――そのように思った。


「……チッ」


 しかし、ヒルデガルトはロドルフの前に立ち塞がったカタンを見て舌打ちをすると、騎馬の進路をわずかに横にらした。

 そして、すれ違い様にカタンの肩口を狙って槍を突き出したが、カタンは慌てて横っ飛びにそれをかわした。


 カタンはほっと胸をで下ろしつつ、ふと疑問に思った。


「なして、いまオラをけただ……?」


 匹夫の勇をって立ち向かったカタンではあったが、大きな騎槍を構えた騎兵の突撃を正面から受けていたら、無事に済んだとは思えない。むしろ、ひとたまりもなかっただろう。


 だが、カタンには考えにふける時間はなかった。

 下馬して騎槍を手放し、代わりに背中の大剣を抜いたヒルデガルトが再びロドルフに襲いかかろうとしていたからだ。


「お、おめぇの相手はオラだ!」


 カタンは槍を強く握り締め、銀狼の女騎士の前に再び立ちはだかる。



 一方、逆側からロドルフを攻撃しようとしていたレオンハルトの前には、カタンと同様に軽鎧を着込んだエルフ兵――ブリスが立ち塞がっていた。

 槍を握るブリスの手は、先のカタン同様に戦慄わなないている。


 既に獣化を果たしていた獅子面の騎士レオンハルトが、唸るような声で威嚇いかくする。


「死にたくなきゃ、そこを退くんだな」

「ヘ、ヘッ! ここを通りたきゃ、俺を倒してから行くんだな!」


 明らかな虚勢だったが、レオンハルトは少し困ったように後頭部を手でいた。


「……あぁ、だりぃな」


 レオンハルトは先刻ロドルフに対して斬撃を放った長剣を背に納めたまま、全身のばねを活かして一瞬でブリスの懐に潜り込む。


「へ?」


 ブリスはレオンハルトの動きに全く反応できなかった。


(やられる――!)


「おっと」


 ガントレットをまとった拳をブリスに叩きつけようとしていたレオンハルトだが、寸前で身を翻し、再びブリスから距離を取った。


 〈咆哮ハウル〉による硬直からわずかに回復したロドルフが、レオンハルトに対して牽制の〈魔法の矢マジック・アロー〉を放ったのだ。


 ロドルフはこの間の一連の出来事から、半獣人の騎士達に共通するある特徴を看破した。それによって自尊心を損なわれた彼は、怒りを激発させる。


「ふざけおって! 貴様ら、敵に情けをかけているつもりかっ!」


 その言葉を耳にした二人のエルフの兵士――カタンとブリスはハッと息を飲んだ。

 二人にもロドルフの放った言葉に心当たりがあった。

 必死で立ち向かうエルフの兵士に対し、半獣人の騎士はいずれも殺意までは向けていなかった。


「おめぇ、まさか……」

「手加減してたってのかよ……」


 カタンはヒルデガルトに、ブリスはレオンハルトにそれぞれ声を投げかける。特に、ブリスの言葉には悔しさがにじんでいた。


 エルフらの言葉を聞いたレオンハルトは、口角を上げて笑う。


「――だとよ、ヒルデガルト! どうなんだ!」


 問われたヒルデガルトは、大剣を構えたままの姿勢で応える。


「私はただ、レティシア殿の意思に従っているだけだ!」

「――なんだとっ!」


 ヒルデガルトの主張を耳にしたロドルフは、驚愕きょうがくに目を見開いた。

 カタンやブリスもその言葉に驚きを感じていた。


「レティシア様が……」

「俺たちのことを……?」


 その場の敵エルフらの反応を確認したレオンハルトは、ますます笑みを深める。


「そういうことさ」


**


 時は、二日前の夜。


「――皆に、どうしてもお願いしたいことがある」


 レティシアは、『ガスハイム』の守備隊本拠地にて、居並ぶ武官を相手にある一事を依頼しようとしていた。

 守備隊本拠地の会議場では、それまでに議論していたエルフ軍の侵攻への対応の話が一通り終わったところだった。よって、その場を後にしようとしていた人々の中には、困惑の表情を浮かべる者もいた。


 レティシアの視線を受け、それまで議論の進行役を担っていた騎士長のコンラートは咳払いをする。


「それは何かな?」


 コンラートに促され、レティシアは発言を続ける。


「その前に、改めておびしたい。この度の同胞が招いた騒動について、同じ『サン・ルトゥールの里』のエルフとして申し訳なく思っている」


 そう言って、レティシアは深々と頭を下げた。その態度に周囲の人々の多くが息を飲んだ。

 誰もが無言で彼女を見守りながら、たっぷりと十秒は経っただろうか。


 さすがに見かねたコンラートが声を掛けようと身動みじろぎしたその瞬間、レティシアは頭を上げた。そして、神妙な顔つきで彼女に注目する面々を一通り見渡すと、再び口を開く。


「その上で伏して願う。これから起こる戦いで、可能な限り命を奪うことを避けてほしいのだ」


 そう言って彼女が再び頭を下げると、其処彼処そこかしこでざわめきが起こった。


「……なんだと?」

「さすがにそれは……」


 列席していた武官らの間から懸念や呆れの声が上がった。


 レティシアの願いは、これから戦争を仕掛けようとしているエルフの一員が口にするものとしては、とても信じられないようなたぐいのものだった。

 彼女の同胞たるエルフらの命惜しさに、攻撃を受ける側である『ガスハイム』の人々に無理難題を押し付けている――そう取られても仕方がなかった。


 騒然となりつつあった会議場の中で、コンラートがすっと息を吸う。


「静粛に!」


 コンラートの声が会場中に響き渡り、その場に静寂が戻った。

 そんな中、レティシアだけは未だに頭を下げて、ただ自身の足元を見続けていた。


「レティシア殿、ひとまず頭を上げてくれ」


 騎士長コンラートの言葉を受けて、レティシアは頭を上げた。

 コンラートは彼女の正面に立ち、目と目を合わせる。


「一つ、聞かせてほしい。どうしてそれを願うのかね?」


 そうかれたレティシアが見る間に悲痛な表情を浮かべたため、たずねた当のコンラートは内心でどきりとした。


 レティシアは次のように語った。


「――今から五年前、初めて里を出てこの町を訪れたとき、私は右も左もわからぬ田舎者に過ぎなかった。

 同胞たちの九割九分は当時の私同様、外界を知らぬ者たちだ。バラントン殿の言葉を疑いもせず、言われるがまま従軍している者がほとんどだろう。

 私は、そんな同胞たちの命が無為に奪われることには耐えられないのだ」


 レティシアはそこで言葉を切った。


 彼女のその言葉は、的を射ていた。

 『サン・ルトゥールの里』の掟では、そこで暮らすエルフが森の外へ出ることは厳しく制限される。外界から隔離された集落の中だけで、その長い生涯を全うする者も珍しくないのだ。

 そんな彼彼女らは、里長や長老といった上役の者らの決定に異を唱えるだけの知識や判断材料を持つことがなかった。

 だから、ヴィヴィアン=バラントンは前里長であるモルガンを陥れた後、比較的容易に集落を掌握し、軍隊を組織することができたのだ。


 発言を終えたレティシアに対し、コンラートは努めて平静に更なる質問を重ねる。


「その結果、我々『ザルツラント領』の者たちが命の危険に晒されるとしてもかね?」


 その問いを聴いたレティシアは慌ててかぶりを振った。


「違う! それは私の本意ではない。――あくまで、自分たちの命を守れる範囲で、可能な限りの協力をお願いしたい……」


 終盤で若干尻すぼみになりながらも、レティシアは最後まで言葉を言い切った。


「……なるほどな」


 レティシアの発言を一通り聞き終えたコンラートは、両腕を組んで瞑目めいもくした。

 彼女の言葉を吟味し、対応を検討するため、沈思黙考することにしたのだ。


 誰もが固唾かたずを呑んでコンラートの決断を待つこと、十呼吸ほど。

 再び目を開いたコンラートは、厳かな声で告げた。


「良いだろう。騎士隊全名に通達しておこう」


 ざわり、と周囲の武官たちがどよめいた。


「騎士長殿!? 正気ですか?」


 思わずそう訊ねてしまったのは、守備隊の隊長だ。

 コンラートは彼に向き直りながら、鷹揚おうようとした態度を見せた。


「――何がかね? 話は聞いていただろう。レティシア殿の心情は理解できるものだ。それに、我々に無茶無謀を強いているというわけでもない」


 意外な返答を受け、守備隊隊長はたじろいだ。


「し、しかし……それで手心を加えて、こちらが不利になるようなことがあったら……」


 周囲には、その隊長の言葉に首肯を見せる者も複数名見られた。彼の言葉は、そういった者達の意見を代表したものだった。

 コンラート自身もその言葉に頷きつつ、見る者を安心させるような柔和な笑みをかたどった。


「もともと不利は承知の上での戦いだ。なに、うちの騎士達に戦闘狂はいるが、快楽殺人者はいない。線引を誤ることはあるまいよ。――それに、頼もしい味方も得られたことだしな」


 レティシアは彼らのやりとりを緊張した態度で見守っていたが、コンラートの最後の言葉にふと小首をかしげた。

 それに気づいたコンラートは、笑みを苦笑に変えた。


「あなたのことだよ、レティシア殿。同胞の命が無為に奪われぬよう、頑張ってくれるのだろう?」


 唐突に呼びかけられ、レティシアは弾かれたように頷いた。


「! ああ、当然だ!」


**


 再び、時は『ガスハイム』西側の戦いの場面へと進む。


「――良い様にやられちゃって! アンブローズは何をしているの?」


 エルフ軍の本陣にて。

 大魔法によって『ガスハイム』の外壁を破壊すべく魔法の詠唱をしていた総大将ヴィヴィアン=バラントンだが、刻一刻と変わる状況に対応するため、詠唱を中断せざるを得なくなっていた。


「敵の騎士と交戦中らしい。どうやらただの人間だけでなく、獣人も混じっていたようだ」


 伝令から報告を受けていたユーグがヴィヴィアンの問いに答えた。


「獣風情が、よくも!」


 それを聞いたヴィヴィアンは歯軋はぎしりした。


 こうなれば、頼みの綱は魔導師集団による儀式魔法だ。

 これを人間の町にぶつければ、状況はぐっとこちらの有利に傾くだろう。


 ヴィヴィアンがそう思っていた矢先、どこからともなく竜巻が発生していた。それは次第に大きくなりながら、儀式魔法の準備を行っている無防備な魔導師達に接近していく。


 それを見つけたヴィヴィアンの顔色が真っ青に変わる。


「や、止めろっ! 誰か、あれを止めなさい!」

「む……い、行かんッ!」


 気が動転したヴィヴィアンにつられて、ユーグも焦った声を出した。

 しかし、その場で最も優れた魔導師であるヴィヴィアンに手出しが出来ない以上、他の誰にも為す術はなかった。

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