第35話 中央突破

 エルフ軍第一大隊長であるセドリックは、突如三つに分かれた敵騎兵部隊に対し、どう対処すべきか判断を下せずにいた。


 楽な戦いだと思っていた。

 エルフ軍の大隊四五〇名に対し、敵騎兵はわずかに百騎。それも、ろくに魔法も使えない人間が相手だ。

 ノコノコと近付いて来た敵に対して、集団で攻撃魔法を撃つだけの単なる的当てゲーム。

 セドリックはそんな風に想定していた。


「――セドリック、どうするんだ?」

「……どうすれば良いと思う?」


 副隊長のエルフの質問に対し、セドリックはつい質問で返してしまった。

 そんなセドリックに対して、副隊長は目を瞬かせる。


「そんなの、このまま進むか、引いて戦うかじゃないのか?」

「……だから、それをどっちにすれば良いのかって聞いてるんだよ!」


 声を荒げたセドリックに対して、副隊長は呆れが混じった溜め息をく。


「それを決めるのはお前だ、セドリック」

「……ちくしょう。好き勝手言いやがって」


 勝ち馬に乗るつもりで、つい見栄を張って今の役職に就いたセドリックだったが、今この時には自身の過去の軽挙を後悔すらしていた。

 家柄の良さも手伝って周囲から大隊長として認められていたが、セドリック自身は用兵術という言葉さえ知らない素人の指揮官に過ぎなかった。


 二人がそんなやりとりをしていた時、どこからともなく一人のエルフの老魔導師が空中からその場に降り立った。


「こ、これはアンブローズ様!」


 それは、前線から大隊の中央後部に位置するこの指揮所まで戻ってきたロドルフ=アンブローズだ。

 慌てて頭を下げようとするセドリックに副隊長も続く。

 ロドルフは彼らの動きを手で制して止めると、鋭い視線でセドリックを見据える。


「貴様がここの指揮官だな? 兵が浮足立っておるぞ。何をしているのだ?」

「ハ、ハッ! 敵の動きに対応すべく、策を練っておりました!」

「ほう? では、その策とやらを聞かせてもらおうか」

「そ、それは……」


 しどろもどろになったセドリックから視線を外し、ロドルフは副隊長の方を見る。


「……おい。貴様はどう思う?」

「ハッ! 敵に合わせ、大隊を三つに分けて対処するのが妥当かと」


 セドリックは副隊長の言葉を聞いて絶望した。どうしてそれをさっき自分が訊ねたときに言ってくれなかったんだ、と思わずにはいられなかった。


 ロドルフは彼の案に頷いた。


「……まあ、それでよかろう。さっさと軍を動かせ」

「「ハッ!」」


 ロドルフは返事をした二人が動き出すのを待たずに、さっさとその場から飛び立つと、レティシア達を迎え討つために再び前線に戻る。


 セドリックはそんなロドルフを見送った後、矢継ぎ早に命令を出す。


「第一、第二中隊は敵右翼部隊、第三中隊は敵中央部隊、第四、第五中隊は敵左翼部隊にそれぞれ対応せよ!」

「「「ハッ!」」」


 命令を受けた伝令役のエルフ兵達が、それぞれ受け持ちの中隊に風魔法で内容を伝達する。


 ――彼らのその判断は、『ザルツラント領』騎士隊の思惑通りの対応だった。



「敵左翼、こちらに向かって来ます!」

「……ようやく動いたか。あまりに動きが鈍いので心配したぞ」


 エルフ軍の観測をしていた従士の報告に、『ザルツラント領』騎士隊の右翼小隊を率いる騎士長コンラートはほっと胸をで下ろした。


「このまま敵を引き付けるぞ! 魔法攻撃に気をつけろ!」

「「「ハッ!」」」


 コンラートは小隊を率いてエルフ軍の後方へ回り込むような動きをする。

 戦場を俯瞰ふかんして見れば、ヘンドリック率いる左翼小隊も同様の動きをしており、戦場はおおむね左右対称な展開を見せていた。


「あとは頼むぞ……!」


 コンラートは正面で突撃隊を担う者達の顔を思い浮かべながら、作戦の成功を祈った。



「く、来るぞっ‼」


 突撃してくる騎兵達の真正面に立っていた第三中隊のエルフ兵が、驚きおののきながら言った。騎兵隊の先頭で手綱を握るのは彼と同じエルフのレティシアだが、それは彼にとって何の慰めにもならなかった。


「前列の兵は槍を構えろ! 後列、〈魔法の矢マジック・アロー〉詠唱用意!」


 中隊の指揮をる隊長エルフが命じると、百名弱のエルフ達が一斉に動きだした。


 すると、正面から突撃して来るかに見えた敵騎兵部隊が突如とつじょ、転進してエルフ軍第三中隊の右手へ向かう進路を取った。

 中隊長の顔色がサッと変わる。


「い、行かんッ! 敵の動きに合わせて動け! ここを抜かせるな!」


 中隊長は慌てふためいて命令を発した。

 しかし、槍を構えていた前列の兵も、魔法の詠唱を始めていた後列の兵もそう機敏には動けない。指示に従おうとした兵同士の接触が起こり、そこかしこで転倒事故が起こりかけていた。



 〈飛行フライ〉の魔法を使い、空中から前線全体の動きを俯瞰していたロドルフは、このときになって自軍の失策を悟った。


「抜かった……! これが奴等の狙いか!」


 三方に分離した敵騎兵部隊に合わせて、三手に分かれたエルフ軍のそれぞれの間に切れ目が生じ、しかもそれが大きく広がりつつあった。



「敵が分かれたぜ!」

「ああ!」


 快哉かいさいを上げたレオンハルトにレティシアがこたえた。

 レティシアは馬の手綱を強く握り、前方へ向かって速度を上げる。

 彼女たち中央の突撃隊は、敵の出方を伺うために一旦、速度を落としていたのだ。


「続け!」

「「「応ッ‼」」」


 レティシアの号令に後方の騎士達が応じた。

 十騎余りの突撃隊はやじりのような密集隊形を組んで、エルフ軍の第三中隊を貫かんと駆ける。


 戦場の動きは、騎士隊が事前に立てた作戦の通りに進行していた。

 左右に別れたコンラート、並びに、ヘンドリックが率いる部隊がエルフ軍を左右に引き伸ばし、そこに空いた隙間を縫って、レティシアを先頭とする突撃隊が突破を図る。突撃隊は、レティシアを除くほぼ全員が騎士で構成されたりすぐりの分隊だ。


「転進!」


 レティシアの合図に合わせ、突撃隊はまるで一つの生き物のように進路を左へと変える。エルフ軍から見て右側の空隙くうげきを狙っての動きだ。


「撃ち方用意! ってぇーっ‼」


「――障壁展開!」


 焦りを多分に含んだエルフ軍第三中隊長の号令と、レティシアの指示はほぼ同時だった。

 エルフ軍の後列から雨のような〈魔法の矢マジック・アロー〉の光が放たれ、突撃隊に殺到する。狙いが甘く、虚空に吸い込まれたものも多い中、騎士達の動きを正確に捉えた一部の〈魔法の矢〉は、レティシアともう一人の人間の魔術師が展開した魔法障壁にはばまれた。


 これに動揺したのは、エルフ軍の中隊長と、中隊の右手側にいた兵士達だ。


「お、おいっ! こっちに来るぞ‼」

「もっと右へ行け! 抜かれちまうぞ!」


 中隊の右端にいた兵達が、ややまばらになりながら横一列に展開する。

 それは、鋭く進む矢の前に薄紙一枚を挟む程度の意味しかなかった。


退けぇぇっ‼」

「「うわあぁっ‼」」


 人馬一体となったレティシアが、風をまとってエルフ兵の薄壁に突っ込むと、エルフ側の布陣はたちまちに崩れた。運悪く進路上にいた数名の兵は吹き飛ばされ、続く突撃隊の全騎がそこに生じた穴を通り抜けて行く。

 ほどなくして、レティシア率いる突撃隊は第三中隊を置き去りにする形となった。


「お、追えっ! 逃がすなっ‼」


 中隊長が必死で叫ぶが、鎧を着込んだ兵士達はそう機敏に動けるものではない。

 レティシアら騎兵達は次第に遠ざかっていく。

 第三中隊の後方から散発的に攻撃魔法が飛んだが、それらが的に当たることはなかった。



「――転進!」


 第三中隊を抜いてから息吐く間もなく、再びレティシアの合図によって、突撃隊が進路を変える。

 その直後、ボコッと音を立てて地面が崩落し、突撃隊の元の進路の先に大きな穴が空いた。同じく第三中隊の後方にいたロドルフが、落とし穴の魔法を使ったのだ。


小癪こしゃくな……!」


 魔法を避けられたロドルフは舌打ちをした。


「レオン、ヒルデ!」

「ハッ!」

「おぉ、あの爺さんを引き付ければ良いんだな!」


 レティシアの呼び掛けに対し、ヒルデガルトとレオンハルトが即座に応えた。


「そうだ!」

「前線には他のエルフ兵もいる。囲まれないように気をつけろ!」


 頷くレティシアに続いて、トビアスが助言を送った。



(なんじゃ……更に二騎が分かれおった)


 レティシア達を追うべく、再び〈飛行フライ〉の魔法を発動させようとしたロドルフは、彼女ら騎兵の分隊の内、二騎が馬首を返したことに気づいた。しかも、その二騎が更に左右に分かれ、ロドルフに迫って来ていた。


(狙いは……わしか?)


「行くぜえぇっ!」


 馬上で気炎を上げた男の騎士――レオンハルトが抜剣して馬から飛び降りる。

 まだ二町(約二百メートル)ほどの距離があったが、彼が剣を振りかぶると同時に、ロドルフは彼の体内で〈プラーナ〉――生命エネルギーの爆発的な高まりを感知した。


「まずいっ!」


 ロドルフは咄嗟とっさに魔法障壁を展開した。

 その直後、剣を振り抜いたレオンハルトが音速の斬撃を放ち、それが障壁と激突して激しい衝撃をもたらした。

 かつてレティシアをも瞠目どうもくさせた、空を駆ける斬撃だ。


「ぬぅっ……!」


 辛くも斬撃を防いだロドルフだったが、その逆側から女の騎士――ヒルデガルトが迫っていた。


 普段はただの人間そのもののヒルデガルトだが、今は鎧兜の内側でその容姿を変貌させていた。

 彼女の鼻と顎は前に突き出し、口が裂けて歯が尖り、耳が上向きにせり上がっていた。また、その耳からもみあげのラインも含めてふさふさとした銀色の毛に覆われ、全身の体毛がやや濃くなっていた。


 獣化――レオンハルトのそれに相応する能力をヒルデガルトも保有しているのだ。

 ただし、彼女はレオンハルトとは異なり、獅子人ではなく、銀狼人をルーツに持つ。また、獣化の程度もレオンハルトほど顕著ではない。


 元ははしばみ色だったヒルデガルトの瞳は、今は銀色に輝いている。


「オオオォォンッッ‼」


 大きく息を吸ったヒルデガルトが、大気を震わせる咆哮ほうこうを放った。


「うぐっ……!」


 〈飛行フライ〉の魔法によってこの場から離脱しようとしていたロドルフは、咆哮を受けて硬直した。

 ヒルデガルトの咆哮は、〈咆哮ハウル〉という名のスキルだ。

 ある種の魔力を帯びたそれは、標的になった者の耳に届いた際にその身をすくませる効果を持っている。


(い、いかんっ……‼)


 為すすべなく棒立ちになったロドルフの左右から、二人の騎士が迫る。



(もう一つ、あの部隊を抜ければ……!)


 レオンハルトら二騎が離脱した後、レティシアを筆頭とする突撃隊は敵本陣を目指して進軍していた。

 その前に立ちはだかるのが、エルフ軍の第二大隊だ。


「敵は少数だ! 取り囲め!」


 第二大隊の長である女傑じょけつが冷静に命令を発した。

 先刻と異なり、圧倒的少数となったレティシア達は、もう第一大隊をやり過ごした際と同じ手段を用いることはできない。


 レティシアはある決心と共に、次の指示を出す。


「ヨアヒム、例の魔法を頼む!」

「ええ! 長くは持ちませんよ!」

「わかっている!」


 レティシアの指示を受け、突撃隊で唯一の人間の魔術師――ヨアヒムがとある魔法を発動するための呪文を唱え始める。

 それは、突撃隊が敵陣を突破するための最後の切り札だった。

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