第34話 開戦

 『ガスハイム』の町を守るように立ちはだかる騎士隊から半里ほど離れた位置で対峙たいじするのは、ヴィヴィアン=バラントンを総大将とする総勢千名の『サン・ルトゥール』エルフ軍だ。


 レティシアやレオンハルトといった騎士隊に属する面々がエルフ軍の動きを待っていた頃、エルフ軍側ではヴィヴィアンとロドルフが敵の戦力を見て分析していた。


「騎兵のみ、か……」

「まあ、そう来るよねぇ」


 独白のようなロドルフの言に対し、ヴィヴィアンが同調するような声を上げた。


 横に長く布陣した『ザルツラント領』の騎士達の数は約百騎ほどであり、千人のエルフ軍を迎え討つには心許こころもとない戦力だ。

 この時にはまだ、領都『シュターツェル』から人間側の援軍は到着していなかった。


 ヴィヴィアンには、敵である『ザルツラント領』の騎士達の狙いが手に取るようにわかった。

 本来、戦力で劣る彼らは街壁の内側で防御に徹したいのだ。

 しかし、それをやるとエルフ軍に高威力の魔法を好きなように撃たれてしまう。

 それを防ぐために、機動力のある騎兵を町の外に出してきたのだろう。

 そして、そういった作戦立案のための判断材料となる情報を『ザルツラント』側にもたらしたのは――


「レティシアめ……」


 ――『サン・ルトゥールの里』出身のエルフである、レティシアに他ならなかった。


**


「千人全員が魔法使いの軍とはな……」


 『ガスハイム』の町を守る守備隊の本拠地で、この地に駐留する騎士達を束ねる騎士長のコンラートがうめくように言った。

 周囲に居並ぶ守備隊の隊長や参謀も一様に青めた顔をしていた。


 時はエルフ軍と騎士隊が『ガスハイム』の西側で対峙する二日前の夜。即ち、レティシアが騎士トビアスと騎士レオンハルトと森で再会したその日の夜のことだ。

 五年前にここ『ガスハイム』の町を騒がせた手練てだれの女エルフ、レティシアを伴った騎士トビアスから報告を受けたコンラートは、即座に急使を立てて領都『シュターツェル』にたせると共に、『ガスハイム』を防衛する作戦を検討するための緊急会議を設けることを即断した。


 エルフ軍の戦力について解説するのは主にはレティシアの役割だが、彼女から事前にある程度の情報を聞いたトビアスがそのフォローを行った。


「千人全員が生粋の戦士というわけではありません。多くは急造の兵士のようです。戦士でない彼らは必ずしも戦闘向けの魔法が得意というわけではありませんが、それでも訓練によって〈魔法の矢マジック・アロー〉や〈風の刃ウインド・カッター〉といった下級の攻撃魔法を身に着けている可能性が高いとのことです。――そうだな、レティシア?」

「ああ、その通りだ」


 トビアスが丁寧に説明し、レティシアが首肯と共にその内容を保証した。


 騎士長コンラートは思わず溜め息をこぼした。


「それでも、恐るべきはその数だ。我らが『ザルツラント領』の魔術師を集結させてもその十分の一にも届かん」


 コンラートがほんの少し『ザルツラント領』の戦力事情を開示すると、守備隊の面々の顔色は一層青くなった。

 そう。人間中心の社会において、魔術師とはそれだけ希少な存在だった。


「なんと……」

「千人の魔法兵から一斉に魔法を放たれたら、手の打ちようがありませんな……」

「街壁の内側に立てもって戦うしか……」


 悲観的な意見が多い中、コンラートがその最後の言葉を拾って頷きを見せる。


「奴等に対抗するには、こちらは騎士達を前面に出しつつ、兵力で圧倒するしかない。だから、援軍が来るまでの間、基本的には専守防衛に務める方針としたい」

「それしかありませんな」


 守備隊の参謀は、顎髭をしごきながらコンラートの案に賛意を示した。


「しかし、ただ閉じ籠もっていれば済むかというと、事はそう簡単な話ではない。――そうだな、騎士トビアス、レティシア殿?」

「ハッ」

「ああ」


 トビアスはレティシアと目配せを交わすと、咳払いを挟んで説明を始める。


「先程、ここにいるレティシア殿に街壁の厚みと強度を確認してもらいました。それによれば、壁の強度は中級までの攻撃魔法を防ぐには十分だが、上級の魔法を操る魔導師の攻撃を防ぐには心許ないとのことです」

「なんと……」


 トビアスがそう告げると、その場の面々から悲嘆の声が漏れた。


「その上級魔法の使い手は何人いるのだ?」

「少なくとも二名。敵の首魁しゅかいであるヴィヴィアン=バラントンと、魔導師長ロドルフ=アンブローズが上級の魔導師と判明しております」


 トビアスの回答に対し、コンラートが続けて質問する。


「残りはわからんのか?」

「ハッ。ただ、多く見積もってもせいぜいあと一、二名とのことです。それも先に挙げた二名よりは幾分か力量は劣ることになります」

「……なるほど」


 コンラートは頷きつつ、腕を組んだ。ここまではほぼ、会議前にトビアスから聞いて既に把握していた内容だった。

 しかし、トビアスの話はそこで終わらなかった。


「――ただし、エルフの魔導師の間では、複数名が協調して発動させる儀式魔法が存在します。この魔法の威力は上級を超える最上級魔法に相当するとのことです」

「なにっ!? 聞いとらんぞ」

「……申し訳ありません。私もつい先程聞いたところでして……」


 それは、レティシアが会議の直前になってトビアスに明かした情報だった。

 コンラートは情報を咀嚼そしゃくするかのように、瞑目めいもくして眉間を揉みほぐす。


 冒頭からエルフの戦力情報にふるえ上がっていた守備隊の隊長が、恐る恐るといった様子でコンラートに訊ねる。


「……どうされますか?」


 コンラートは目を開くと、溜め息を押し殺して方針を告げる。


「……立て籠もっていても、防壁を壊されて終いだ。騎兵を出して敵を撹乱かくらんし、援軍が来るまで持ちこたえる。それしかあるまい」


 それは、会議前にコンラートが頭の中で導き出していた結論だった。

 想定していたよりも敵方の魔法攻撃力が上だということが判明したが、やること自体は変わらない。


「――エルフ軍に使者を送るのはいかがですかな?」


 そう提案したのは守備隊の参謀を務める高齢の男だ。


「……なるほどな。時間を稼ぎつつ、エルフ軍の陣容を探ることもできる。良い案だ」


 コンラートはその案を聞いて、ほんの少し表情を緩めた。

 騎士長である彼がそう評価したことで使者を送ることは確定となり、騎士トビアスが代表として指名された。



「――それでは、これで会議を終えよう。各位、エルフ軍の侵攻に備えて動いてくれ」

「待ってくれ!」


 会議を締めくくろうとしたコンラートに対して、待ったを掛けたのはレティシアだった。


 その場の人間達の視線がレティシアに集中する。


「レティシア殿。……どうされたのだ?」


 コンラートが一同を代表して訊ねた。

 レティシアは少々躊躇ためらうような仕草を見せながら、真剣な表情で口を開く。


「皆に、どうしてもお願いしたいことがある――」


**


 場面は再び、開戦直前のエルフ軍の陣営に戻る。


「全軍前進! 第一大隊は敵騎兵隊を取り囲んで攻撃! 第二大隊は後方で守備に務めよ」

「ハッ」


 ヴィヴィアンが指示を出すと、指揮官がそれを受けて指示を各隊に通達する。


「魔導師隊、〈輪唱火砲カノン〉の用意をせよ! あの貧相な壁に風穴を開けてやりなさい」

「……承知」


 ヴィヴィアンが続けて指示を出すと、魔導師隊の副長であるオーブリーが恭しく礼をして、高威力の儀式魔法の準備に取り掛かる。

 ちなみに、魔導師隊の隊長はロドルフだが、彼はこの戦いでは隊の指揮をオーブリーに任せ、単独で遊撃を務めることになっている。


「ロドルフ、私らもやるよ」


 ヴィヴィアンはロドルフと共に上級攻撃魔法を放つべく、声を掛けた。

 ロドルフは反射的に頷きかけたが、ふと思い直して首を横に振る。


「ああ――いや、遠距離攻撃は其方そなたと魔導師隊に任せよう。わしは敵の出方に合わせて動く」

「そうかい。なら、そっちは任せるよ」

「ああ」


 会話を終えると、ロドルフは〈飛行フライ〉の魔法で飛び上がって、先行しつつあった第一大隊の後方に向かう。


 ヴィヴィアンは杖を構えて魔法の詠唱を始める前に、ぺろりと自身の唇をめる。


「……さあ、蹂躙じゅうりん劇の幕開けよ!」


 エルフの兵が高らかに角笛を鳴らす。――それが開戦の合図となった。



 エルフ軍に相対する『ガスハイム』の騎士隊の隊員らは、笛の音と共に前進してくるエルフの集団を見て戦意を高めていた。

 現時点で騎士隊全体の指揮を取るのは、騎士長のコンラートだ。


「全隊、前進!」


 コンラート自ら先頭に立ち、騎馬を速歩はやあしから駈歩かけあしへと変えて走らせる。

 しばらくの間、約百騎の騎士隊は一団となって駆け続けた。


 前進して来るエルフ軍との距離が五町(約五百メートル)に迫ろうという頃、集団の中程にいたレティシアが叫ぶ。


「攻撃魔法が来るぞ‼」

「――この距離でだと!?」


 一人の騎士が驚きと共に叫び返した。

 人間の魔術師の場合、一町以上離れた標的まで高威力の魔法を到達させられるものは稀だ。

 しかし、ロドルフ=アンブローズというエルフ軍で最強の魔導師は、そのような人間の尺度に収まらない、規格外の魔法の使い手だった。


 コンラートは、レティシアの警告を聞いて即座に作戦の前倒しを決める。


「……やむを得ん。予定より早いが、突撃隊を除いて隊を左右に分ける!! ヘンドリック、左翼は任せたぞ!」

「ハッ! 左翼小隊、続け‼」


 騎士隊の副官であるヘンドリックがコンラートの指示を受けて、騎士隊の中から四十騎余りを率いて進路を大きく左へ変える。

 コンラート自身も、ヘンドリックとほぼ同数の騎兵を率いて逆側に進路を変える。


「レティシア殿、正面は任せましたぞ‼」

「ああ、任された‼」


 大半の騎兵が左右に分かれた後、中央の部隊として残されたのはレティシアやレオンハルト、トビアスを含む十数騎のみだ。


 この騎士隊の動きに驚いたのがエルフ軍の前線にいた面々と、その中にいたロドルフである。


(部隊を三つに分けただと……!?)


 攻撃魔法の詠唱を続けながら、ロドルフは胸中で驚嘆していた。

 ロドルフは、数で劣る人間の騎兵達は一団となって動くに違いないと思っていたのだ。それを更に少数の隊に分けることは、悪手だとしか思えなかった。


(いったい、何を考えておるのだ?)


 完成しつつある魔法をどの隊にぶつけるか、ロドルフは迷った。


(……左右はおとりか。――本命は、レティシアのいる中央の隊だ!)


 敵の狙いを看破したロドルフは、正面から真っ直ぐ迫ってくる少数の騎兵隊に狙いを定める。


「喰らうがいい! 〈氷柱雨アイシクル・レイン〉」


 ロドルフの正面から多数の鋭い氷の刃が生まれ、真っ直ぐに騎兵隊を目掛けて飛翔する。

 しかし、その攻撃は速やかに進路を変えたレティシア達によって悠々とかわされてしまった。


「おのれっ……!」


 ロドルフは歯噛みした。元の騎兵集団に対して放っていれば、多少は損害を与えられたはずの魔法だったが、少数の機動力の高い敵に向けて放つには距離が離れ過ぎていた。


 次の迎撃手段を考えるロドルフだったが、そのとき味方である第一エルフ大隊の動きが硬直していることに気がつく。


「何をやっておるのだ……!」


 自軍の不甲斐ふがい無さに対する落胆を隠しもせず、ロドルフは現場指揮官のもとへ急行する。

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