第33話 敵対と戦端

 時は二日前。『ブロセリアンド大森林』の某所で、レティシアがトビアスやレオンハルトといった『ザルツラント領』の騎士達と話していた頃までさかのぼる。


「――待て。それは流石に無謀が過ぎる」


 単独で「エルフ軍の首魁しゅかいを討つ」と宣言したレティシアに対して、真っ向から異を唱えたのは騎士トビアスだった。

 思わぬ反発を受けたレティシアは、眉根を寄せて渋面を浮かべた。


「しかし、それ以外に戦争を回避する手段など……」


 そう言うレティシアだったが、トビアスから見れば、先の彼女の宣言は勇気というよりもむしろ蛮勇であった。


「相手は千人のエルフだぞ。たとえこの場の三人が力を合わせたところで、敵の首魁しゅかいにたどり着く前にどこかで捕まるのが関の山だ」


 冷静なトビアスの意見に、レティシアはむっとして言い返す。


「だから、私一人で行くと言っているのだ」

「レティシア」


 トビアスがたしなめるような声音で呼び掛けると、レティシアは口をつぐむ。


「その前に、エルフの軍の情報をもっと教えてくれ。――まずは、そうだな。魔法を使える者は何人いるんだ?」



 その後、レティシアからエルフ軍の戦力を詳細に聞き出した結果、トビアスは頭を抱えることになった。


「……『ガスハイム』の戦力で太刀打ちできないのはわかっていたが、これは想像以上だ。『ザルツラント領』の全戦力を結集しても勝負はわからん。条件によっては、こちらが一方的にやられる……」

「やはり、大将を討つしかないのではないか?」


 ぶつぶつと考えをまとめながら喋るトビアスに対し、レティシアが安直な意見を述べた。すると、トビアスは目をいて反論した。


「いや、それはなしだ! 君がいなかったら、『ガスハイム』の防衛は絶望的だ。その君を無謀な賭けで失うわけにはいかない」


 そのトビアスの剣幕に押され、レティシアは顎に手を当てて納得の姿勢を見せた。


「むう……。そう言われれば、そんな気がしてきた」

「頼むぞ」


 トビアスは、念を押すようにレティシアに言うと、この場に居たもう一人の騎士レオンハルトの方を振り返った。


「事は一刻を争う。すぐに出立しよう」

「おうよ」


 それからトビアスは、周囲を警戒しながら待機していた四名の従士達にも声を掛ける。


「ああ、お前達、マルティン様を連れて後から追って来てくれ。我々は先行して『ガスハイム』へ戻る」


 それを聞いた従士達は、一様に驚いた顔をしてお互いの顔色を伺った。そして、その内の一人が恐る恐るといった様子で次のように訊ねた。


「――あの、どうやってお運びしたら……?」


 このとき、椅子に腰掛けたマルティンは相変わらず白目を剥き、口の端から泡を吹きこぼしていた。


 トビアスはそんなマルティンの様子を見ると、わずかに黙考して次のように述べた。


「……このまま、お連れするのが良いかもしれんな。まあ、上手くやってくれ」


 トビアスから雑な指示を受けた四人の従士達は、再び顔を見合わせると、息を合わせてがっくりと肩を落とした。


**


 時は再び二日後に戻る。

 『ブロセリアンド大森林』と『ガスハイム』の間の平原では、『サン・ルトゥール』エルフ軍と『ザルツラント領』からの使者との間で会談が行われたところだった。


 会談の主な参加者は、『ザルツラント領』側が二名に対し、エルフ側も同じく二名であった。

 『ザルツラント領』側の使者は騎士トビアスだ。レティシアはエルフだが、彼の護衛兼相談役という名目で同行していた。彼女がこの役割を買って出たのは、騎士トビアスからの推薦と、彼女自身の希望があったからだ。

 対するエルフ側からは、里の首長にして軍の総大将でもあるヴィヴィアン=バラントンが代表者として、彼女の息子であるユーグが護衛として同席した。


 四名は急遽きゅうきょ、エルフの兵士らによって設置された天幕の中で会談を行った。

 会談の詳細な推移については割愛するが、決して和やかな雰囲気のものではなかったことを記しておく。


「あんなに胃の痛い思いは、二度と経験したくない」


 とは、後の騎士トビアスの言だ。



「――ほら、あれ。やっぱりレティシア様でねえか」

「まんず。……見間違いじゃなかったか」


 天幕の入口から並ぶ人垣の合間から顔を覗かせて囁き合うのは、『サン・ルトゥールの里』で徴兵されたエルフのカタンとブリスだ。

 二人の視線の先には、今まさに会談を終えて天幕から再び姿を見せたレティシアの姿があった。


「レティシア様のお顔を見んの、久しぶりだな〜。……なして人間と一緒にいるんだ?」

「俺が知るかよ……」


 呑気な口調で疑問を呈するカタンに対し、ブリスは投げりに回答した。


 天幕を出たレティシアは、エルフの兵士に預けていた馬に飛び乗る。同様に騎乗したトビアスと共に、二列に立ち並ぶエルフ兵達によって築かれた道を東へと進んで行く。

 二騎の騎馬がエルフ達の隊列の間を抜けようという頃、レティシアはふと馬首を返して後方に向き直る。


 千人のエルフ達が馬上のレティシアを見上げていた。

 不安、戸惑いなど様々な感情が入り混じるエルフの面々と相対して、レティシアが特に強く感じたのは敵意だった。

 隊列を築いた兵士達や、天幕により近い位置にいたバラントン派のエルフ達が、突き刺すような視線を彼女に向けていた。


 本来は温かく彼女の帰還を迎えてくれるはずだった同胞達のその姿に、レティシアは一抹いちまつの寂しさを感じた。

 しかし、そんな友好的とは言い難い視線の群れにもくじけることなく、レティシアは彼彼女らを見渡して息を吸い込む。


「みんな! 聞いてくれ!」

「――レティシア‼」


 レティシアの言葉をさえぎったのは、同じ天幕から姿を見せたヴィヴィアンだ。距離はかなり離れていたが、魔術を使って指向性を持たされたその声は、レティシアとトビアスにはよく聴こえた。

 ハッとして息を飲んだレティシアに対し、ヴィヴィアンが言葉を続ける。


「余計なことを言うなら、ただじゃ帰さないよ」

「くっ……」


 レティシアが歯を食い縛って押し黙ると、彼女に続いて馬首を返そうとしていたトビアスが声を掛ける。


「レティシア、ここは引こう」

「やむを得んか……」


 レティシアは悔しさをにじませながら、トビアスに従って馬首を巡らせる。

 それから、二騎の騎馬は再び東へ進み、エルフの軍から徐々に離れて行った。



「……おい、レティシア様はなんて言ったんだ?」

「わかんね」


 立ち並ぶエルフ達の間に紛れて、ブリスとカタンの二人がささやき合う。

 ブリスの問いに雑な答えを返したカタンの視線は、レティシアとトビアスが去って行った方角へ向けられていた。


 そんな囁きを交わし合っていたのは、この二人のエルフだけではない。

 其処そこ彼処かしこでヒソヒソと小声でやりとりするエルフ達が見受けられ、『サン・ルトゥール』エルフ軍は、全体としてやや浮足立っていたと言える。

 全軍を統括するヴィヴィアンにとって、それは看過し得ない事態だった。


「――傾注! 総大将バラントン様よりお言葉がある!」


 拡声の魔術が掛けられた大声が響き、空気ががらりと入れ換わった。無論、ヴィヴィアンの指示によるものだ。


 先程まで立てられていた天幕は既に畳まれ、今はその位置にヴィヴィアンが立つための台座が置かれていた。彼女がそこに上ると、その場の誰よりも高い位置からエルフ軍の全員を見渡すことができた。


「皆の者、これから話すことを心して聞け」


 ヴィヴィアンはそう前置きしてから、聴衆のエルフ達に言葉がみ渡るまで長い間を取った。

 すぐに静まり返ったエルフ軍だが、やがて全員がわずかな物音さえ発することを止めると、穏やかな風が奏でる音すら明瞭に聴こえるほどまでになった。

 誰かがごくりと唾を飲んだ音が、周囲の者たちに伝わった。


 ヴィヴィアンはすっと息を吸って、落ち着いた声音で語りだす。


「先程ここに人間達が使者を寄越してきた。使者は当然人間だったが、その伴をしていたのは皆もよく知るエルフ――先代里長の孫、レティシア=サルトゥールだ」


 ヴィヴィアンがその言葉を放つと、多くのエルフ達が動揺を見せ、あちこちでざわめきが起こる。


 ――あれはやはりレティシア様だったのか。

 ――なぜ、人間と一緒に?


 エルフの兵士達の間からそんな声が漏れ聴こえていた。


 パン、と乾いた音が鳴り響く。

 ヴィヴィアンが両の掌を打ち合わせた音だ。

 それは何ら仕掛けのない純粋な音に過ぎなかったが、その開手ひらての音はまるで魔法のように、ざわめいていたエルフの群衆に先程までの静寂を取り戻させた。


 十分に聴衆が静まり返ったのを確かめた後、ヴィヴィアンが話を続ける。


「レティシアが里を離れて五年が経った。歳月は彼女を変えてしまったらしい。彼女はすっかり人間に染まってしまったようだ。彼女は人間の味方――即ち、我々エルフの敵だ!」


 おお、というどよめきがエルフ達から上がるが、ヴィヴィアンが掲げた手を伏せるとすぐに元通り静まり返る。まるで、ヴィヴィアンが聴衆であるエルフ達を自在に操っているかのように。


「これからの戦いでは、我々の前にレティシアが立ちはだかることもあるだろう。最早あの娘は同胞ではない。相対したならば、迷うことはない。敵として攻撃し、倒すのだ!」


 その言葉を受け、「おお」と同調を示すエルフ達がいる一方で、再び動揺を見せるエルフ達の姿も見受けられた。

 後者の反応を見せるエルフ達の中には、カタンとブリスも含まれていた。


「……今の聞いたか、カタン?」


 ブリスが傍らに立つカタンに問い掛けたとき、カタンは険しく眉根を寄せていた。


「……ああ。納得は行かねえけんども」

「おいおい、滅多なことは言うなよ」


 カタンにとって、次期里長候補のレティシアは手の届かない憧れのような存在だった。

 彼は、そのレティシアに刃を向ける自分がどうしても想像できずにいた。


 そういった逡巡しゅんじゅんを見せているのは、カタンだけではなかった。


 やや反応の乏しいエルフ軍に対して、ヴィヴィアンが更に言葉を続ける。


「……どうした? 人間の町は目の前だぞ。今こそ我らの積年の思いをぶつけるときだ!」


 その言葉に、先程もヴィヴィアンに同調したバラントン派の信奉者であるエルフ達が積極的に追従する。


「そうだ! 人間達を倒すぞ!」

「おお! みんなでエルフの国を作ろうぜ!」

「バラントン様、万歳‼」


 各所から上がった掛け声が周囲に伝播でんぱしていき、やがてエルフ軍全体を轟かす大合唱となっていく。


ときの声を上げよ! 我々はここにただ戦うために来たのではない、勝つために来たのだ!」

「――皆の者、行くぞ! えいえい」

「「「「おおーーッッ‼‼」」」」


 ヴィヴィアンの指示に従った指揮官の掛け声に合わせ、エルフ軍が一体となって鬨の声を上げる。その大音声は平原に広く響き渡り、『ガスハイム』の西側の外壁まで届いた。


 その渦中にあって、カタンだけは周囲の声に唱和することもなく、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……やるしかねえのかよ」


 彼のそのつぶやきに答える者はいなかった。



 一刻後。

 合戦の舞台となったのは、『ガスハイム』の町の西側の外壁から半里ほどの地点だ。


「――へへっ、懐かしい場所だな」

「そうだな」


 馬上で文字通りの騎士となったレオンハルトの言葉に、レティシアも同意を示した。


 そこは丁度、五年前に『ガスハイム』の町から逃走したレティシアとそれを追った騎士レオンハルトが交戦した場所のごく近くだった。


 今、その二人は共にくつわを並べ、西側から迫るエルフ軍と対峙たいじしている。


「こうして一緒に戦うことになるなんて、あの時は思いもしなかったぜ」

「私もだ」


 レオンハルトの言葉に、レティシアは再び同調した。


 開戦が待ち切れないといった様子で、ウズウズと貧乏揺すりを繰り返すレオンハルトを見ていたレティシアは、ふと不安に駆られた。


「……作戦はわかっているんだよな? 一騎で勝手に飛び出すんじゃないぞ」

「わーってるよ! ……ったく、どいつもこいつもよう」


 レティシアが念を押すように言うと、彼は不貞腐れた態度を見せた。

 レティシアにとっては、五年前のあの時からレオンハルトといえば何かと単独行動をしているイメージが強かった。


 そんな折、レティシアから見てレオンハルトの逆側の脇から一騎の騎馬が姿を見せる。


「レティシア殿、ご安心ください」

「ん、其方そなたは……」


 その馬に騎乗していたのは、一人の女性騎士だ。


「騎士ヒルデガルトと申します。この猪武者の手綱は私が握っておきますので」


 ヒルデガルトが馬上で簡単にレティシアに礼を示した一方で、レオンハルトは顔を赤く染めて憤慨した。


「あー、もう! お前まで俺を何だと思ってるんだ? ガキか?」

「「そうだな」」

「ぐはっ……」


 二人の女戦士のにべもない一言に、レオンハルトは開戦前から大きな精神的ダメージを受けた。


「お前達、お喋りはそこまでにしておけ」


 少し離れた場所にいたトビアスがそう言うと、レティシアらを含むその場の一同は西側の敵軍に対して向き直り、空気を切り替えた。


「……そろそろ敵が動くぞ。これからが勝負だ」


 『サン・ルトゥール』のエルフ軍と『ザルツラント領』の騎士隊による戦いの火蓋が、今まさに切られようとしていた。

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