第30話 決別と決意

 『サン・ルトゥールの里』のやや北西寄りに位置する地下収容施設。

 フラヴィとマリーのアンブローズ母娘は、その施設の内部で地上出口を目指して駆けていた。二人とも魔法による身体強化を発動させ、常人を倍する速さで走っていた。


 フラヴィの作戦が成功し、既に施設の制圧は済んでいる。

 フラヴィ達から離れた場所では、シモンとグレースが次々に囚われていたエルフ達を解放しては、比較的元気な者たちと協力して、元の囚人達の代わりにバラントン派のエルフ達を牢獄に収容していた。


 地上への道中で、母娘は会話を続ける。


「お祖父じい様は『守りの大樹』に居たのね?」

「うん。作戦前に、最後に使い魔で位置を確認したときには」


 マリーの問いに対し、フラヴィが答えた。


「急ぎましょう。お祖父様なら、もうこちらの動きに感づいていてもおかしくないわ」


 更に速度を上げようとするマリーに対し、フラヴィはある疑問をぶつける。


「ねえ、ママ。お祖父様たちは一体どうしてこんな真似をしたの?」


 それはフラヴィにとって、ヴィヴィアンが人間達との戦争を宣言したときから抱いていた疑問だった。

 この時に至るまでは、バラントン派の耳目を気にする必要があったためにたずねることができずにいた。


 マリーは、しばし沈黙して考え込む様子を見せる。


「……はっきりとはわからない。お祖父様は昔のことは語ってくれないし。でも、聞いたことがある。私が生まれるほんの五年ほど前に、人間達がこの里に侵攻を仕掛けてきたことがあると」

「そんなの初耳よ!」


 フラヴィはつい叫び声を上げた。

 フラヴィにとって、かつて『サン・ルトゥールの里』のエルフが人間達と争ったのは遠い昔の御伽話おとぎばなしの出来事だった。それが、それほど身近な出来事だとは思っていなかった。


 マリーは娘の反応にわずかに苦笑を見せるも、すぐに真顔に戻る。


「三百年も昔の話よ。――そして、その時に命を落としたエルフがいるらしいわ」

「その人って……?」


 マリーはフラヴィの問いに首を振る。


「当時を知る者は、誰も答えてはくれなかったわ」


 その答えに気を落としかけたフラヴィだったが、マリーの言葉には続きがあった。


「……でも、私は知っている。バラントン様には、昔から父親がいなかったってことを」

「! それじゃあ――」


 その先の言葉を言う前に、フラヴィは手で自分の口を覆った。

 マリーがこくりとそれに頷く。


「……おそらく、そういうことよ」


 明言を避けながらも、二人ともそれが何を意味するかを察していた。



 フラヴィとマリーの二人はやがて、収容所から地上へと続くスロープ状の出入口に辿たどり着いた。

 緩やかな上り坂を駆け上がった二人がその先で目にしたものは、高らかに杖を掲げる一人の老エルフの姿だった。


「お祖父様!?」

「――しまった‼ くっ……!」


 そこではロドルフ=アンブローズが、今にも大規模な魔法を行使しようとしていた。


 驚愕の声を上げるフラヴィを他所よそに、マリーはロドルフの妨害のために魔法を準備する。しかし、それは遅きに失していた。


「遅い」


 いち早く大魔法を完成させたロドルフが杖を振るう。

 ロドルフの正面に魔法の壁が生まれ、マリーの放った攻撃魔法を霧散させた。

 魔法の壁は彼の面前を起点として上下左右に広がり続け、地下収容所の出入口を塞ぐのみに留まらず、地下も含めて収容所全体を覆う巨大な結界となった。


「そんな……」

「やられた。完全に閉じ込められたわね……」


 フラヴィは今後の作戦が絶望的になったことを悟り、マリーも現状を打開する手立てが見出だせずにいた。


 結界の向こう側から、ロドルフの勝ち誇ったような声が響く。


「表立って反抗せねば良いと好きに泳がせていたら、やはり動きおったな」

「まとめて閉じ込めるなんて! あなた達に従った人達まで同じ目に遭わせるの?」


 ロドルフの物言いに対し、マリーが柳眉りゅうびを逆立てた。

 しかし、ロドルフはそれを鼻で笑う。


「フン。お前達に遅れを取る程度の弱者など要らぬ」


 フラヴィが一歩前に出て叫ぶ。


「お祖父様、戦争なんてやめて!」


 孫娘の訴えを聞いて、ロドルフは若干たじろぐ様子を見せた。


「……今更、何を言う」


 マリーもまた娘の横に並ぶ。


「争いはまた新たな憎しみを生むだけよ! 過去に囚われるのはやめて!」


 そんな言葉を聞いて、ロドルフは苛立ったように真っ白な頭をがしがしと引っ掻く。


「ええい、知った風な口を聞くな! 過去がなんだ! これは未来のための戦いなのだ!」


 最後の一文を言い終えると同時に、ロドルフは娘達に背を向けた。

 これ以上の問答は無用だと、声なき背中が語っていた。


「お祖父様‼」


 フラヴィが再び叫んだが、もうロドルフが振り返ることはなかった。

 やがてロドルフは魔法で宙に浮き、夜闇に紛れて去って行く。


 マリーがフラヴィの手を引く。


「一度、戻りましょう。結界を解くためには他のエルフの力も必要よ」


 フラヴィはロドルフが去った方を名残なごり惜しそうに見つめながらも、やがてはきびすを返した。



 ロドルフは集落の中心地付近で〈飛行フライ〉の魔法を解除すると、アンブローズ家の家樹いえきを目指して歩きだす。

 その脳裏で、先ほどマリーが放った言葉がリフレインしていた。


『争いはまた新たな憎しみを生むだけよ! 過去に囚われるのはやめて!』


 ロドロフはぎりっと歯をきしませる。


「過去を清算せずして、未来がひらけるものか……」


**


 時を少しさかのぼる。

 シモンとレティシアが一時的な隠れ家とした家樹の中でフラヴィと合流し、作戦のための打合せを行っていた時のことだ。


「――それでレティ、結局ノアには会えたの?」

「ああ」


 フラヴィの問いに対して、レティシアはうなずいた。

 その答えにフラヴィはほっと安堵あんどの息をいた。そもそも、レティシアが集落を出たのは、集落の掟を破って出奔したノアを連れ戻すため、という名目だった。


「ノアは今、森の南方にある国で暮らしている。あいつがいれば頼もしいが……さすがに今から駆け付けるのは無理だろう」


 レティシアの脳裏にノアと、その傍らに立つ彼の妻、ヴィンデの姿が思い浮かんだ。


 ――そもそも、ノアは余命の短いヴィンデのもとを離れることができるのか――


 レティシアは思考が脇道に逸れかかったことに気づき、突然ぶんぶんと頭を振りだした。


「……どうしたの?」

「なんでもない。――そうだ! 確かこれで……」


 レティシアの妙な行動に呆れるような声音を出したフラヴィだが、レティシアはそれもどこ吹く風といった様子で背負っていた背嚢はいのうを肩から外し、がさごそと中をあさりだした。

 レティシアが取り出した物は、両手に収まる程度の大きさの石板である。それは先刻ユーグ達に奪われかけた物であり、『ゼーハム』の町で別れ際にノアから手渡された物でもある。


「何それ?」


 フラヴィはそれを見て首を傾げた。

 一見して何か仕掛けがあるようには見えない、地味な石板だった。


 レティシアは、ノアから聞いた説明を思い出しながらフラヴィの問いに答える。


「ノアから持たされたのだが、離れた相手と通信ができる魔道具だそうだ。これでノアと連絡が取れるはずだ」

「すごいじゃない! さすがはノアね!」


 その説明を聞いて、フラヴィは快哉かいさいを上げた。

 フラヴィはノアが集落に居た頃、彼から手ほどきを受けて〈双子紙〉程度の魔道具なら自作できるまでに成長した。しかし、その石板の機能を実現する仕組みについては、皆目見当がつかなかった。


「どうやって使うの?」


 フラヴィは興味津々しんしんといった様子で、石板をのぞき込みながら訊ねた。

 しかし、石板を両手で握り込んだレティシアの顔に、段々と焦燥の色が浮かび上がってくる。


「……駄目だ。魔力を注いでみても何の反応もない。これで起動するはずなんだが……」

「あら……それは残念ね」


 フラヴィは心からの落胆を込めてそう言った。

 どうやら、魔道具は故障しているらしい。

 フラヴィとしては、時間が許すなら石板を預かって詳しく解析したいところだが、あいにく作戦を開始する予定の時刻も迫っていた。


「おそらく、先ほどユーグ達に襲撃されたときの揉み合いで壊れてしまったのだろう。おのれ、ユーグめ……」


 レティシアはそう言って、悔しげに歯噛みした。

 フラヴィはそっと彼女の肩に手を置く。


「その石板と同じ目に遭わせてやりましょう」

「そうだな」


 フラヴィの提案に対し、レティシアは短く賛意を示した。



 所変わって、『サン・ルトゥールの里』から遠く離れた『ゼーハム』の町の片隅にある、真っ白な外壁を持つ家の中でのこと。


 この家は、五年前に『サン・ルトゥールの里』を出奔したエルフのノアが約四年前に建てたものだ。


 その家の中にある小さな自分の部屋で、ノアは唯一の机に向かって座り、レティシアに渡した物と同じ石板型の魔道具を起動していた。

 その折、彼の部屋に紫髪の優美な女性が影を見せる。


「……レティシアから連絡かの?」


 たまたま通りかかった彼女――キュルケが、部屋の内側に踏み込んでノアに声を掛けた。

 その魔道具について、レティシアよりも詳しい説明をノアから聞いたキュルケは、その用途を正しく理解している。


 椅子に腰掛けたまま背伸びをしていたノアは、キュルケに気づくと椅子ごと振り返り、首を横に振る。


「いいや」


 ノアは答えながら、抱えていたままの石板の上面をなぞり、何かの操作をする。

 それが上手く行かなかったのか、ノアは片手で頭をきだす。


「どうしたんじゃ?」

「やっぱり駄目だな。レティシアに渡した方とのリンクが切れてる。あっちで何か異常があったってことだな……」


 独り言のようにつぶやきながら、ノアは眉根を寄せて眉間にしわを作った。

 通信の魔道具が使えない以上、遠く離れたレティシアと連絡を取る手段はない。

 ノアの胸中で漠然とした不安のようなやきもきした思いが募っていた。


「もうそろそろ、里に着いている頃だと思うんだけど」


 そう言ってノアは石板を机上に置くと、頭の後ろで両手を組んだ。

 キュルケは顎に指を添え、思案する。


「ふむ……。様子が気になるが、今のヴィンデを置いて見に行くわけにもいかんしのう」


 キュルケのその言葉にノアも頷く。


 この家を訪れたレティシアが『サン・ルトゥールの里』へ旅立ってから、九日が経過していた。

 ノアとキュルケが手を尽くして治療に当たったことで、ヴィンデの病状は九日前のキュルケの見立てほどには進行していない。


 しかし、それは所詮しょせん、やがて来る死をほんの少し遠ざけているだけの行為に過ぎないということを、ノアもキュルケも理解していた。依然として、ヴィンデの症状は余談を許さない状態だった。


 二人がそんな会話をしながら思い悩んでいたとき、両者にとって予想外のことが起こる。


 キュルケよりもわずかに早くそれに気づいたノアは、慌てて石板を放置して席を立った。

 自室の入口を抜けたノアが見たものは、青息吐息で壁に寄りかかりながら立っていた妻のヴィンデだった。


「あなた……」


 苦しげな息と共に声を発するヴィンデに対し、ノアは躊躇ためらいなく彼女の脇に手を回し、体を支えた。


「ヴィンデ、何をしているんだ!」


 ノアは、押し殺した声で彼女をとがめた。

 ごめんなさい、とヴィンデは消え入るような声で謝罪した。


 寝室で休んでいたヴィンデは、ふと目を覚ましたときに尿意を催し、近くに誰もいなかったので一人で用を足しに行くことにした。立ち上がった瞬間はなんとか動けるように感じたものの、用を済ませたときには全身を襲う疼痛とうつうに苦しむことになった。

 必死で寝室に戻ろうと足を進めている途中、ヴィンデの耳にノアとキュルケの会話が聴こえてきたのだった。


「……あなた、行ってください。……私はもう、死に行く運命にある者……。レティシアさんを、優先してあげて……」


 途切れ途切れの言葉でそう言い終えると、ヴィンデはがっくりと全身の力を失った。意識を落としてしまったのだ。ノアは、ぐったりともたれかかる彼女を正面から抱きかかえた。


「――キュルケ」

「うん?」


 この間、紫髪の魔女は小部屋の入口にたたずんで、二人のやりとりを見守っていた。


「頼みがあるんだ」

「……聞こう」


 ヴィンデを抱えたままの姿勢で、ノアは大きく息を吸った。


 そして、魔女に願いを告げる。


「――――」


 頭を下げるノアに対し、キュルケはニヤリと口角を吊り上げてみせた。


「……よかろう。かつては『災厄の魔女』と呼ばれたこのわらわが、その望み、叶えてしんぜよう」


 キュルケは内心で冷や汗を掻きつつ、不敵な笑みと共にそううそぶいた。

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