第29話 地下収容所の戦い
『サン・ルトゥール』のエルフ軍が出陣した後、集落内の警備の人手は主に、北方にある人質の収監に用いた家樹の周辺と、人間達との戦争に反対したエルフ達が収容された地下施設に配置されていた。
この二者の距離は十町(約一・一キロメートル)ほど離れている。
人質、及びエルフの虜囚達を解放するため、フラヴィは次のような作戦を立てた。
まず、レティシアとシモンで地下収容所及び捕虜収監所の周辺の見張りのエルフを倒す。
その間、フラヴィは地下収容所内に戻り、何食わぬ顔でふだん通りに振る舞う。
次に、レティシアとシモンで人間の捕虜を解放したら、レティシアはその足で捕虜の返還に向かう。他方、シモンは地下収容所の方に戻って、正面から突破を図る。
シモンの突入を収容所の内部からサポートするのがフラヴィの役割だ。
作戦立案時に不在だったシモンの妻であるグレースは、シモンの采配によって、地下収容所に突入する際に彼の後方支援を担当することになった。
その夜のことだ。
「フラヴィ様、囚人達への配食が終わりました」
ある若手の森番エルフが、収容所内でフラヴィに割り当てられた部屋まで報告のためにやって来た。
バラントン派のナンバーツーに座するロドルフ=アンブローズの孫であるフラヴィは、収容所内で明確な役職が与えられていないにも関わらず、下にも置かない扱いを受けていた。
この若い男エルフの場合、「配食が終わったら私の部屋まで来てほしい」というフラヴィの頼みを聞いて、何ら疑念を持つこともなくここへやって来た。
「あ、良いところに来てくれたわ。ちょっと、こっちに来て手伝ってもらえる?」
「はい」
彼は、机に向かって何かの作業をしていたらしいフラヴィの
「古い魔法陣を見つけたんだけど、術式が上手く読み取れなくて。あなたの意見も聞きたいの」
フラヴィは机上の石板に描かれた魔法陣の解析を行っていたようだ。石板の出所はわからないが、彼女がどこかから見つけて来たのだろう。
「これがそれですか」
「ええ。よーく目を凝らして見てもらえる?」
男エルフは、フラヴィの言葉に従ってじっくりと石板の魔法陣を見つめる。
「はい……これ……は……」
すると、男エルフは突然、立っていられないほどの睡魔に襲われた。
「お休みなさい」
フラヴィは彼が足元から地面に崩れ落ちるのを冷静に観察した後、駄目押しで眠りの魔法を掛け、更に深い眠りに落とした。
石板に描かれた魔法陣は、フラヴィが
当時、集落の多くのエルフを夢の世界に誘った悪名高い魔法陣だが、悪ノリしたフラヴィが隙を突いてロドルフを眠らせたところ、カンカンに怒ったロドルフが長老会で利用を禁止させた禁忌の魔法陣でもある。
フラヴィは眠りこけたエルフをその場に残すと、片手に握っていた一片の紙切れの状態を確かめる。それは緑色の小さな正方形の紙片だが、二つ折りにされて縦長の長方形になっている。
フラヴィは紙片を元通り片手に収め、部屋の出口から廊下側へ顔を出す。
「誰かいる?」
「――はい! いかがされましたか?」
「こっちに来て。中を見てくれる?」
「はい。ただいま……」
ノコノコと寄って来たもう一人のエルフも、先ほどの男エルフと同様に、石板の魔法陣の餌食になった。
「若い森番なら、こんなものかしら」
フラヴィは、中堅以上の森番が相手の場合、これほど簡単に引っ掛かってはくれないだろうと予想していた。
経験の深い森番は、概して警戒心が強い。
レティシアやシモンほどの戦闘能力を持たない彼女ではあるが、そういった「強者」に該当するエルフと
そのとき、フラヴィの手の中で先ほどの紙片がもぞもぞと動いた。
フラヴィは素早く紙片を掌に乗せ、その変化を観察する。
長方形に折られた緑色の紙片は、ひとりでに開いて正方形に戻り、今度は対角線を折り目として三角形を作った。
「――来た。
そう
この緑色の紙片は一種の魔法道具である。ただし、単体ではただの紙切れに過ぎない。
実は、フラヴィの掌中にあるものと全く同じ形状の紙片をシモンも所持している。
〈双子紙〉という名のこの魔道具は、二枚一組の魔道具なのだ。
ノアが開発したこの〈双子紙〉には、ある特性がある。それは、一方に魔力を通すと、他方にも形状の変化が伝わり、全く同じ形状に変化するというものだ。
この特性が有効な距離は半里程度だが、ノアはこれを離れた相手との連絡手段とする使い方を見出した。
フラヴィやレティシア以外でこの魔道具の価値に気づく者は現れなかったが、三人の中では〈双子紙〉による合図を決めてよくやりとりをしていたものだ。
フラヴィはシモンに〈双子紙〉を持たせ、簡単に三つの合図だけを決めて頼んだ。
一つ、人質を解放できたら、縦に半分に折る。
一つ、地下収容所に突入する直前に対角線で折って三角形にする。
一つ、作戦が失敗したら、丸めて握り潰す。
即ち、たった今起こった〈双子紙〉の変化は、今まさにシモンが地下収容所の入口から突入しようとしていることを示していた。
フラヴィは腰に差した杖を取り出し、呪文の詠唱を行う。
「――……万象を包む白煙と成れ。〈
フラヴィが発動させた魔法は〈白霧〉の名の通り、周囲に濃い白色の霧を生み出すものだ。
フラヴィは収容所全体でこの魔法の効果を高めて発動させるための仕掛けを施していた。
――な、なんだ。この霧は!
――前が見えない……ぐはっ!
――おい、どうした! ごふっ!
収容所内は大混乱に陥り、白霧に紛れたシモンの手に掛かって次々と警備をしていたエルフが倒れていった。
「フラヴィ様! ご無事ですか?」
フラヴィが発動した魔法の手応えに満足していた頃、彼女の居た部屋にある森番のエルフが姿を見せた。
(――サミュエル!)
エルフにしては珍しく、立派な口
壮年の森番である彼は、この地下収容所に配置されたエルフの中でも屈指の実力者だ。
フラヴィは思わず手に汗を握っていた。自分に彼を倒すことができるだろうか、という不安が頭をもたげていた。
サミュエルはフラヴィの居る室内を見渡し、その場に倒れていた二名のエルフに気づく。
「これは……彼らはどうしたのでしょう?」
「……さあ? 私が来たときからこの有様よ」
フラヴィは内心の不安をおくびにも出さず、平然と嘘を
「――それより、随分外が騒がしいみたいだけど?」
フラヴィはサミュエルの注意をはぐらかすためか、室外の様子を気にする仕草を見せた。
「襲撃です。あちらこちらから白い煙が湧き出て――……フラヴィ様、」
フラヴィの疑問に答えて説明をしていた途中で、サミュエルはフラヴィが手にしていた杖に視線を留めた。
そして、室内に漂う魔法の
「何かしら?」
「……何の魔法を使っておられたのですか?」
(――気づかれたか……)
指摘を受けたフラヴィは表情こそ変えなかったが、内心では舌打ちをしていた。仕込みはほぼ済んでいるとはいえ、できれば最後まで気づかずにいてほしかった。
フラヴィは片手で髪を
「あぁ、これのことかしら?」
フラヴィが魔法を発動すると地面から複数の水柱が立ち昇り、サミュエルの足を絡め取ろうとする。
サミュエルは素早く後方にステップして、ぐねぐねと蛇のように動く水柱の拘束から逃れる。
サミュエルの目つきが冷たく鋭いものに変わる。
「……フラヴィ様、この騒動に関与していますね? やはり、あなたは反対派に回りましたか」
サミュエルは腰をわずかに沈め、今にもフラヴィに攻撃を仕掛けようという姿勢を見せる。
「どうかしら? 単に、あなたのそのお髭が前から気に入らなかっただけかもよ?」
「フッ、お
挑発のようなフラヴィの言葉を、サミュエルは鼻で笑い飛ばした。
そんなサミュエルに対し、フラヴィはおどけるような仕草で忠告する。
「――あ、ずっとそこにいると危ないわよ」
「その手には乗りま――――うぉっ!」
サミュエルが言い終えるより早く、唐突に彼の足元の床板が大きく
バリバリと周囲の床板を巻き込みながら大人二人分の大きさの何かが地面から盛り上がってきたため、サミュエルは慌ててそれから距離を取った。
「これは、ゴーレム……‼」
サミュエルの言葉通り、それはフラヴィが事前に用意していたウッドゴーレムだった。それは木造りの床と同化して敵対者を待ち構えていた。
『ウボオォォォ……』
ゴーレムの顔の下部――人の口に当たる位置――に空いた
起き上がったゴーレムは天井を頭で
まだ足元の覚束ないサミュエルに対し、ゴーレムは丸太のように太い腕を振りかぶっていた。
(これは、受け止めきれん……!)
サミュエルは、迷わず回避しようとして――足が水で出来た蛇に絡みつかれていることに気づいた。
サミュエルが顔を上げると、水の蛇を操るフラヴィの顔に笑みが浮かんでいた。
「言ったでしょ。『危ない』って」
「しまっ――」
ゴンッ‼
ウッドゴーレムの重い一撃を真正面から喰らい、サミュエルは
フラヴィは念のためサミュエルにも眠りの魔法を重ねがけすると、他の二名のエルフと合わせて木の
縛り上げたエルフ達を室内に置いたまま、フラヴィは部屋を後にする。
シモンと協力して、警備の任に就いていた残りのエルフを片付けるためだ。
『ヴヴヴ……』
「……さすがに大きすぎたわね」
部屋の入口を通れずに詰まっていたウッドゴーレムに気づいたフラヴィは、ゴーレムを二体に分解して前後の守りとすることにした。
*
地下収容所のとある独房の中。
フラヴィと同じ銀髪の女エルフが壁を背にして座っていた。
見た目は少女然としているが、エルフは一定の年齢に達すると百年以上に渡って若い姿を保つ者が多いため、正確な年齢を推し計ることは難しい。
彼女の名はマリー=アンブローズ。フラヴィの母親にして、当代の〝アンブローズ〟であるロドルフ=アンブローズの実の娘に当たる。
彼女は父であるロドルフの魔法の才能を十全に受け継いでおり、次代の〝アンブローズ〟の名を継ぐ正当継承者として認められている。
ロドルフは、一度は彼女をバラントン派に引き入れようとしたものの、その
勾留される直前、マリーは娘であるフラヴィに次のように言い聞かせた。
「当分の間、あなたはお祖父様に従っておきなさい。そして、機会を待つこと。いいわね?」
フラヴィは内心の不安を押し殺して、その言葉に従うことを決めた。
そして、今。
(――時が、来た)
独房の外から入り込んで来る白煙を目にして、マリーは待ち焦がれていたその時の訪れを予感していた。
独房内では魔法が封じられているが、彼女のその長い耳は次々に警備のエルフ達が倒されている様を捉えていた。
マリーの居る独房に足音が近づいて来る。
カチャリと鍵が外れる音に続き、独房の扉が開かれる。
「ママ!」
「フラウ、やったわね!」
房内に踏み込んだフラヴィと対面し、マリーは
フラヴィから簡単に現在の状況を確認すると、マリーは言う。
「お
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