第28話 人質の救出

 テレーズは苛立っていた。


(クソッ。なぜ私が、あんな人間のお守りをしなくては行けないんだ)


 そこは、『サン・ルトゥールの里』の北方にある一本の家樹いえきの傍だ。

 その家樹は一階に当たる部分の出入り口が塞がれ、ユーグが拉致らちした人間の捕虜を収監するために用いられていた。


 テレーズは他の四名の森番と交代で捕虜の監視を務めていた。更に数名、森番見習いの若いエルフも同じ任務については、捕虜の食事の世話なども行っていた。

 テレーズとしては、人間の世話については見習い連中に任せておけばよかったのだが、生まれてこの方人間という生き物を目にしたことがなかった彼女は、興味本位でそれに手を貸した。


 ――そして、激しく後悔した。


 やはり人間とは相容れない生き物なのだと、人間を強く憎むヴィヴィアンの気持ちがわかったような気がしたのが、そのときのことだった。


 時刻は夜。

 今朝がた出陣した急造のエルフ軍は、今ごろ森の中で休息を取っていることだろう。


(……もう少しの辛抱だ。明日、あの人間を連れて先に出陣した軍に追いつき、引き渡しを済ませたら、私達もその先の戦いに集中できる)


 テレーズはそう自らに言い聞かせ、たかぶった精神を落ち着かせる。


 しかし、そんなテレーズの心を別の意味でき立てる存在が、彼女の眼前に姿を見せる。


「――誰だ!?」

「私だ、テレーズ」


 姿を見せたのは、輝くような金髪の麗しい女エルフだ。

 テレーズは彼女をよく知っていた。


「レティシア様!」


 長らく集落を留守にしていた先代里長の孫娘、レティシアが木々の合間から現れた。

 しかし、本来敬意を示すべき彼女に対して、テレーズが見せたのは敵対の構えだった。テレーズはいつでも戦闘に入れるように身構え、全身の緊張を高めていた。


 そんなテレーズの様子を見て、レティシアはあからさまに肩を落として悲しげな表情を見せる。


「……私の帰りを喜んではくれないのか?」

「それはっ……!」


 レティシアの言葉はテレーズの胸にグサリと刺さった。テレーズとしても、五年振りのレティシアとの再会を嬉しく思う気持ちがないわけではなかった。

 だからといって、テレーズはレティシアに迎合するわけにはいかなかった。


「――しかし、貴女を発見したら、無力化して連行するように命じられております!」


 なぜなら、彼女はヴィヴィアンに忠誠を誓い、その命に従って行動していたからだ。

 テレーズは身構えを深くし、自らを鼓舞するように声を上げた。

 それと同時に、彼女は周囲の気配を探って、違和感を覚えていた。


(……おかしい。他の見張りはどうしたんだ……?)


 テレーズの他、二人の森番と数名の見習いが家樹の外で警戒に当たっていたはずだ。

 しかし、そのときのテレーズはその内の誰の気配も感じ取ることができなかった。


 テレーズの宣言を聞いたレティシアは顔をうつむかせる。


「そうか……。残念だ。――だが、いいのか?」

「? どういう意味ですか?」


 思わせぶりな言動を見せるレティシアを、テレーズはいぶかしんだ。


「お前の役目は人質を守ることだろう? 私が、たった一人でここへ来たと思っているのか?」

「――まさか!」


(陽動!? レティシア様が計略をお使いになるなんて……)


 テレーズの知るレティシアの気質は武骨そのものであり、彼女にははかりごとをするレティシアを想像することができなかった。

 動揺するテレーズに対して、レティシアは更に決定的な言葉を告げる。


「今頃、シモン殿が人質を救出している手筈てはずになっている」

「クッ、貴女あなたがこんな手を使うなんて……」


 テレーズはたまらず、レティシアに背を向けて人質のいる家樹の方を振り返った。


「――すまない」

「しまっ……!」


 すかさずレティシアは一瞬でテレーズの背後に肉迫し、延髄に一撃を見舞って彼女を昏倒させた。


 丁度そこに、残り二名の森番を倒したシモンが、その二人の首根をズルズルと引きずりながら現れる。


「……見事だ。フラヴィ殿の立てた作戦が当たったな――どうした? なぜ、そんな不機嫌な顔をしているのだ?」


 レティシアは崩れ落ちたテレーズを見て盛大に眉をしかめ、口を尖らせていた。


「いえ。今の自分の振る舞いが先のユーグに重なって、吐き気を催しただけです」

「……ふむ。力押しばかりでは行かんということだな。……と、これは手前にも言えることか」


 そのような会話の後、レティシアとシモンは家樹から出て来たもう二名の森番エルフをも倒し、無力化した。


「――よし。後はこちらでなんとかする。其方そなたは人質を人間らのもとに返すのだ。事は一刻を争う」

「はい!」


 無力化したエルフ達をしっかりと拘束した後、レティシアはシモンの言葉に勢いよく返事をした上で、次の一言を添える。


「祖父や両親のこと、よろしく頼みます」

「無論のこと。任せておけ」


 胸を張って太鼓判を押すシモンに微笑を返し、レティシアは彼に背を向ける。目指すは家樹の内部、人質の解放だ。


(今、助ける……!)


 レティシアは家樹を駆け上がり、地上から約三間(約五・五メートル)の位置に設けられた扉から内側の居住空間へ侵入する。そして、人質がいると思われる狭い区画に入ると――


「――遅いぞ! さっさと飯を持って来い! 人がこんな粗末な家で我慢してやってるのに、さっきからドタバタと何をやってるんだ!」


 そこには甲高い声でわめく一人の人間の男がいた。椅子に座ったまま縛りつけられた、くすんだ金髪の男だ。

 無精髭を生やし、粗末な服を着せられていたが、その居丈高な態度から、元は高い身分の者だったのかもしれない。約二ヶ月に及ぶ監禁生活によって大分だいぶやつれていた様子だが、目だけはギラギラと輝いていた。


「貴様は……」


 レティシアはその人間の喚き声に閉口しつつ、ふと足を止めて記憶を探る。

 ブルーノとは全くの別人であるその男の顔に、見覚えがあっただろうかと思ったのだ。


 見れば、彼の方もレティシアの顔を見てポカンと大口を開けていた。


「――あ! ……お、お前! あのときの女エルフ‼」


 男が手をわななかせながらレティシアを指差したのに対して、レティシアは――


「……誰だ?」


 と、首をかしげて疑問符を上げた。

 レティシアにはその男が誰なのか、思い出すことができなかった。


「ふ、ふざけるなぁ‼ この僕の顔を忘れたっていうのかっ!?」


 男――マルティンは、熟れたトマトのように顔を真っ赤にして喚いた。

 その剣幕に少々驚いたレティシアだったが、すぐにやるべきことを思い出す。


「あ、あぁ。すまない。――悪いが、先を急ぐ。今すぐ出発したいのだが、東の町でいいんだな?」

「おうとも! 『ガスハイム』の代官たるマルティン=ザルツラント様とはこの僕のことだ!」


 マルティンはつばを飛ばしながら、食い気味に答えた。

 そう。彼は五年前に『ガスハイム』の町を訪れたレティシアに目を付け、捕らえようとした貴族の子息だ。当時は代官の補佐という役職だったが、五年を経て出世を果たしていたらしい。


 マルティンのその名乗りを聞いても、レティシアが当時のことを思い出すことはなかった。彼女はマルティンの唾を避けながら、素早く周囲に視線を巡らせて使えそうな物を探す。


「貴様ら野蛮人のエルフ共は、貴族たる僕に対する敬意の何たるかがわかっていない! ……ちょっと待て。いったい、何をしているんだ?」


 尚も何言かを騒いでいたマルティンだったが、部屋の片隅にあったロープを拾い上げて自分の周囲をぐるぐると動き回るレティシアに疑問を呈する。


「お前は見るからに足が遅そうだからな」


 お座なりに返事をしながら、レティシアはロープを使ってマルティンの両手両足をしっかりと椅子に固定し、身動きを封じた。


「おいっ、何をしてくれるんだ! 動けないじゃないか」

「悪いな。しばらく我慢してくれ」


 レティシアはマルティンの背後に回ると、椅子の二本の後ろ脚にそれぞれロープを通し、二つの輪を作る。


「……ふむ。これでなんとかなるか」


 少々試行錯誤をしつつ、レティシアは椅子に施す工作を終えた。


「おいっ! まさか、この僕を荷物みたいに運ぼうっていうんじゃないだろうな?」


 その「まさか」であった。

 レティシアはロープで作った二つの輪に腕を通し、マルティンを乗せた椅子を背負い上げる。


「少し揺れるぞ。……よっと」

「ヒィッ!」


 レティシアは、人一人分の重みがあるようには感じさせないほど軽々とそれを背負い上げた。

 マルティンは慌てて身をよじらせるが、しかし、全く動くことはできない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 僕はまだ今夜の食事も済んでないし……いや、なんだか腹が痛くなってきたな。――そうだ、トイレだ! せめて、トイレに行かせてくれ!」

「安心しろ。途中で川を通るから、そこで洗ってやる」

「安心できるかっ‼」


 『ガスハイム』までこのまま後ろ向きで、荷物のように運ばれることに恐怖を感じたマルティンは、レティシアを思い留まらせようと必死で叫ぶが、レティシアはまるで取り合わない。

 レティシアは家樹の外へ出るべくスロープを上りながら、形ばかりの言葉でマルティンをなだめる。


「戦争を回避するためなんだ。ワガママを言わずに、耐えてくれ」

「戦争だと!? 望むところだ! 貴様らエルフなど、まとめてこの僕のど……」


 ――ゴンッ


 マルティンはセリフの途中で、樹洞の縁に頭をぶつけて昏倒した。丁度、家樹の出口に差し掛かったところだった。


「……ん? 静かになったな。よし、今の内に運ぶか」


 レティシアはこれ幸いと夜の森に身を躍らせ、一路、東を目指して走り出した。



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// 【後書き】


……というわけで、人質の正体はマルティンでした。

予想通りだったでしょうか?

「とても嫌なやつ」というキャラ付けで書いているのですが、だいたいひどい目に遭わせてしまっているので、作者としてはどこか憎めないのですよね。今話は特にひどい(笑)

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