第27話 シモンの語り

 『サン・ルトゥールの里』の北東に位置する『帰らずの谷ヴァル・サン・ルトゥール』から、集落の東側へと流れる川は『豊穣のアブドゥス川』と呼ばれている。

 長い年月を掛けて緩やかに蛇行した川の東側では、一部に広い川原が形成された。それは鬱蒼うっそうと木々が生い茂る『ブロセリアンド大森林』では稀有けうな、見通しの良い広場となり、集落に住まうエルフ達の間で『河畔かはんの憩い場』と称されるようになった。


 しかし、レティシアが五年振りの里帰りをしようとしていたその頃には、そこでは「憩い場」の名に似つかわしくない、緊迫した空気が流れていた。


「矢柄はもっと丁寧に扱え! 曲がって使い物にならなくなるぞ」

「班長、訓練で使った装備はどこに持って行けば良いでしょうか?」

「とっとと天幕を片付けろ! 出立まで寝て過ごす気か!」


 常と変わらぬ川のせせらぎを他所よそに、『河畔の憩い場』はたくさんのエルフ達がひしめき合う喧騒の地と化していた。


 広場には集落中から千人規模のエルフ達が招集され、これまで約一ヶ月に渡って合同で戦闘訓練や軍事演習を行ってきた。

 現在はそれらの過程を終え、人間の町へ向けて出陣するための準備が慌ただしく行われているところだ。


 多くのエルフらがせわしく右往左往している中、川岸の大きな岩に腰掛け、我関せずというようにその様を見下ろしている一人の男エルフがいた。

 彼と同じ班に属するもう一人の男エルフが川べりを通りかかり、彼の行動を見とがめる。


「……何してんだ、カタン?」


 岩に腰掛けていたエルフ――カタンは、呼び掛けられて初めて、彼が近づいていたことに気づいた様子を見せる。


「ん? ブリスけ。――いんや。里から出たこともねぇオラ達がいきなり人間共と戦争ってば、えれぇことになったなと思ってさ」


 カタンの口調はどこか間延びした、呑気のんきさを感じさせるものだったが、内容としては納得の行くものだった。

 声を掛けたエルフ――ブリスは、カタンのその言葉にうなずいて同調する。


「そいな。やべぇよな」


 カタンはおもむろに右の掌を自分の眼前に持っていき、開いては閉じる運動を行う。ブリスの目は、カタンのその手がわずかに震えている様を克明に捉えていた。

 そのままの体勢で、カタンが言う。


「オラは、この手で人間を殺すってことがまだ上手く想像できねぇ」


 それを聞いたブリスは、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせる。


「そんなん楽勝だべ。ゴブリンやオークと一緒さ」


 二人がそんな話をしていたところに、荷物を抱えた一人の女エルフが通りかかる。エルフの中で殊更ことさらに美人というほどでもないが、明るく愛嬌のある顔立ちをした若い女性だ。

 彼女はカタンやブリスが配属された隊とは別の隊の所属だが、二人とは住まいが近く、幼い頃から互いをよく知る間柄にあった。

 幼馴染二人の会話が気になった彼女は、少し寄り道をして声を掛ける。


「カタンとブリスじゃない。二人とも、仕事サボって何してるのー?」


 その声を聴いたカタンとブリスは彼女の方を一瞥いちべつしてみたものの、すぐに視線を元に戻す。


「なんだ、ポーラか」

「大したことじゃねぇべ」

「んだな」


 ブリスとカタンが交互に声を発し、そのように応えた。


 二人から思わぬ塩対応を食らった女エルフ――ポーラは、瞬時に頬を赤く染めて怒りをあらわにする。


「もう、何よ! 後で隊長さんに怒られても知らないんだからね! ふんだ!」


 ぷりぷりと怒ったポーラは高い声を上げてそう言い放つと、二人に背を向けて大股で走り去って行く。


 彼女が十分に離れたところで、カタンがポツリと言う。


「……あの子は――ポーラは、オラが守るんだべさ」


 独り言のようなつぶやきだったが、エルフの聴覚を持つブリスがそれを聴き逃すことはない。


「――抜かせ。あいつを守るのは俺だ」


 互いの宣言を聞いた二人は、正面から向き合って視線をぶつけ合う。二人の間でバチバチと見えない火花が飛び散った。


 ポーラが立ち去った後でその場所を通りかかったのが、二人の班が属する隊の隊長エルフだ。

 川べりにらみ合う二人を見つけた隊長は、激高して言う。


「貴様ら、何を悠長に油を売っておるか! さっさと出陣の準備をしろ!」


 その大音声だいおんじょうを聴いた二人は、一斉に身を縮こまらせる。


「「ハッ、ハイ‼」」



「――事の始まりは、今から一ヶ月半ほど前になる。サルトゥール様から聞いた話によれば、ユーグ殿が東の方の町から人間を捕えて来たそうだ」


 南から『サン・ルトゥールの里』へ向かう道中。

 薬や治癒の魔法を併用し、ある程度の傷の手当を済ませたレティシアを伴い、シモンは集落へと徒歩で移動していた。


 道すがら、シモンは集落が現在の状況に至るまでの経緯をレティシアに語り聞かせていた。


 東の町――そう聞いたレティシアが思い出すのは、五年前にブルーノやイザベラと出会った『ガスハイム』の町だ。

 足早に歩くシモンに半歩遅れて続きながら、レティシアは疑問を口にする。


「人間を、ですか? なぜ、そのような真似を……?」


 シモンは、わずかに彼女を振り返りながら返答する。


其方そなただ、レティシア」

「私……?」

「ユーグ殿が言うには、その人間が其方の行方を知っていたそうだ」


 レティシアはハッとして息をむ。


 ――まさか、ブルーノやイザベラが捕まったというのか――


「捕虜となったのは何人ですか? その者らの素性はわかりますか?」


 レティシアはやや慌てて、続けざまに問いを発した。

 シモンは歩みを止めることなく、落ち着いた声で返答する。


「捕虜は一人と聞いている。何度か様子を伺ったが、警戒が特に厳しくてな……。男だという話だが、顔は見ていない」


 シモンの言葉を聞いたレティシアは、瞬時に考えを巡らせる。


(……もしや、ブルーノだろうか。もし彼であれば、今こそ五年前の恩を返すときだ)


 五年前、『ガスハイム』の町で粗相を仕出しでかしたレティシアを衛兵に突き出したりせず、イザベラを伴わせて町から脱出するための手助けをしてくれたのが、ブルーノという人間の男だった。

 律儀なレティシアは、そのことを忘れてはいなかった。


「シモン殿、私はその人間を解放したいと思います」


 レティシアの申し出にシモンもうなずく。


「元よりそのつもりだ。人質を返さねば、争い事の種にもなるだろう」

「はい。ユーグが戦争と言っていましたが――?」

「ああ、話を続けよう」


 二人は小高い丘に差し掛かる。

 木々の梢の隙間から、北側に広がる一面の森の中に、天に向かって突き出している一際大きな木が見える。『サン・ルトゥールの里』の中心地にそびえる巨大樹『守りの大樹』だ。


 シモンは真っ直ぐそちらに向かうことはせず、やや西にれるルートを選ぶ。


「最後にサルトゥール様から話を聞いたのは、その人間とユーグ殿の処遇を決める長老会の会合が行われる前のことだ。サルトゥール様は捕えた人間を元の町に返し、人間達に謝罪する方向で考えていたそうだが、バラントン様は反対していたそうだ」


 シモンの話にレティシアは頷き、続きを促す。


「祖父ならばそうするでしょう。それで?」

「長老会が終わった後、里長の交代が告げられた。サルトゥール様は引退し、次はバラントン様が『首長』になられる、と。あの時、サルトゥール様は様子がおかしかった。おそらく、アンブローズ様の魔法で操られていたのだろう」


 レティシアはその話を聞いて眉をひそめる。彼女の頭の中では、悪い想像が浮かび上がりつつあった。


「そんな……祖父はその後、どうなったのですか……?」


 シモンはその問いに首を振る。

 青めるレティシアを他所に、続けて答えを告げる。


「御姿を見ることはできていない。だが、地下に囚われていることはわかった」


 祖父であるモルガンが生きているとわかり、レティシアは安堵あんどの溜め息をく。


「地下ですか。……そういえば、ユーグもそんなことを言っていました」


 ――おそらく、あの地下に作られていた収容施設のことだろう。


 里長候補として教育を受けていたレティシアは、その場所に見当がついた。

 シモンの話は続く。


「バラントン様は、人間達と戦争を行ってエルフの国を樹立すると述べられた」

「! なんという……」


 レティシアは二の句を継ぐことができなかった。

 ユーグが漏らした言葉から察しはついていたが、集落のエルフ達を束ねて人間の軍隊と戦争をすることが全く想像できなかったのだ。

 五年間の旅路の中で期せずして様々な人間の国を見て回ることになったレティシアにとって、それはいっそ無謀な試みのようにも感じられた。


「反対する者もいたが、そうした者たちは懐柔されるか、でなければ拘束された。手前も危険を感じたので、グレースを連れて森に身を隠した」


 シモンの話によれば、モルガンの他、人間達との戦争に反対した長老達やその家族は地下収容所で囚われの身となっているそうだ。レティシアにとっては、祖父と両親がそれに該当する。

 それ以外のエルフは、急な里長の交代に驚きはしつつも、ほとんどがバラントン――ヴィヴィアンに従ったという。

 それはヴィヴィアンの事前の根回しによるものだが、シモンとレティシアの間で交わされた話がそういった裏側の工作にまで及ぶことはなかった。


 会話を続けながら、二人は集落の領域内に入っていた。

 要所に見張りもいるはずだが、シモンが完璧に位置を把握しているのか、誰とも出くわすことはなかった。


「……気づいたか、シャパル?」

「もちろんニャ。里のエルフがいなくなってるニャ」


 ここまでの道中で、レティシアとシャパルは、ユーグと遭遇する前に感じた違和感の正体がはっきりとわかっていた。

 集落の民であるエルフの気配が異常に少ないのだ。

 このとき、集落に住む八割方のエルフは、ヴィヴィアンらに率いられ、人間との戦争に駆り出されていた。残された老人や子供たちは、主に作物の世話など集落の生活基盤の維持に従事することになった。その他、若干のエルフが、人間の捕虜、または拘束されたエルフ達の世話や見張りを行っている。


 即ち、集落のエルフは早々に人間達に総力戦を仕掛けようとしていた。見る者が見れば、それは狂気の沙汰とも取れただろう。

 レティシアやシモンにそこまでの判断はできなかったが、両者とも集落の現状についてこの上ない危機感を抱いていた。


 やがて二人は、『守りの大樹』のある広場から西に少し進んだ森の中にある一本の〝家樹いえき〟の前にやって来た。この家樹は拘束された長老の係累が住んでいたものだ。

 シモンが無言で樹の上方を指差し、レティシアもそれに無言で頷く。二人は音もなく樹を上り、うろを利用して作られた出入り口を通って内部の居住空間に滑り込む。


「――遅刻ですよ、シモンさん」


 床に降り立ったシモンに対して苦言を呈したのは、銀髪の女エルフだ。そのエルフとは、レティシアもよく知る人物だ。


「フラウか! 久しいな!」

「レティ! 帰って来たのね!」


 レティシアの幼馴染であるフラヴィが、家樹の中で待っていた。

 この家樹は、シモンとフラヴィがヴィヴィアンらバラントン派の目を盗んで密かに打ち合わせを行うために、家主には無断でこっそりと借用されていた。


 互いの姿を認めるや否や、二人の女エルフは快哉かいさいを上げて抱擁ほうようを交わした。

 レティシアの肩に乗っていたシャパルも、「にゃーん」と声を上げてフラヴィの肩の方へ歩き渡る。


「もう帰って来ないんじゃないかと思ったわ。……大変なことになっちゃったけど、あなたにまた会えて良かった」

「心配をかけてすまなかったな」


 目に涙を浮かべるフラヴィの肩を抱きながら、レティシアが微笑と共に謝罪の言葉を告げた。


 そんな二人の様子を見守っていたシモンは、ややあって控えめに咳払いの音を立てた。

 それを契機に、レティシアとフラヴィは互いに身を離し、シモンの方へと向き直る。


 シモンが強い意志を込め、おごそかな声で告げる。


「人質を解放し、人間達との戦争を止めよう。――我らが鍵だ。頼むぞ」


 二人の若い女エルフはしっかりと頷いた。



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// 【おまけ】


フラヴィ「……ところで、レティシア。その怪我はいったいどうしたの?」

レティシア「ああ。さっきユーグとその取り巻き連中にやられてな。不覚を取った」

フ「そう、ユーグが……。あいつ、やってくれたわね」

レ「つい、油断して隙をさらしてしまった。次回はこうは行かんさ」

フ「ええ。……これが終わったら、ユーグには生まれてきたことを思う存分、後悔させてやりましょう」

レ「そうだな。その前に先刻やられた分を倍に、いや、五倍にして返すがな」

フ「フフ、楽しみね」

レ「ハハ、そうだな」

シモン「……(に女の恨みに勝る恐ろしさはなし。桑原々々くわばらくわばら……)」


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// 【改稿履歴】

(2024年2月5日)集落に住む九割方のエルフ→八割方に変更し、周辺の文章も修正。

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