第26話 ユーグとの衝突

【注意】暴力描写有り

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 『サン・ルトゥールの里』から南に一里ほどの地点で、レティシアとユーグは互いに一呼吸で肉薄できるほどの距離を保ちながら対峙たいじしていた。

 柔和な笑みをたたえるユーグだが、内心では戦意をたぎらせているということがレティシアには察せられた。


 次に口火を切ったのは、レティシアだ。


「――周りのエルフ達は何だ? お前の仲間か?」


 姿こそ見えないが、数名のエルフが彼女を取り囲むように配置されていることに、レティシアは当然のように気づいていた。

 ユーグは、笑みを少々かげらせながらもレティシアの問いに答える。


「……そんなところだ。不審なエルフを見つけてな」

「ほう?」


 ――なんだ、森番の仕事か。


 さすがにレティシアもそう思って気を緩めたりはしないが、まさか自分が不審者扱いされているとまでは考えなかった。


 隙を見せないレティシアに対し、ユーグが気を散らすためか話題を変える。


「――それにしても、随分と久しぶりだな。五年間もいったい何をしていたんだ?」


 痛いところを突かれ、レティシアはわずかに眉をしかめる。


「それは――いや、まずは里長に報告しよう」


 そう言って回答を避けたレティシアに対し、ユーグが呆れたように溜め息をく。


「里長、ね……だが、レティシア。お前は今の里長を知らんだろう?」

「何?」


 予期せぬユーグのその言葉に、レティシアは動揺を見せる。

 レティシアにとって、『サン・ルトゥールの里』の里長といえば、彼女の祖父であるモルガン=サルトゥールのことだ。


「……祖父に何かあったのか?」


 いぶかしむレティシアに対し、ユーグは勿体もったいを付けるような態度を見せる。


「ああ、教えてやろう。それはな……――こういうことだ‼」

「ぐあぁっ‼」


 一瞬、背を向けたユーグは素早く距離を詰め、レティシアの腹部目がけて鋭い蹴りを放った。

 会話によって緊張を緩めていたレティシアは反応が遅れ、腹部の手前に右手を差し込むのがやっとだった。

 レティシアは蹴られた勢いのまま、後方に転がった。


 ユーグは軽く舌打ちをした後、周囲のエルフ達に呼び掛ける。


「チッ、防いだか! ――おい! レティシアを拘束するぞ。手伝え!」


 ユーグの呼び掛けに応じ、周囲で森に紛れていたエルフ達がばらばらと姿を現す。


 レティシアは膝立ちの姿勢で、痛めた右手首を押さえながら、ユーグに向かって怒りの声を上げる。


「何のつもりだ、ユーグ‼」


 己の優位を確信したユーグは、表情にわらいを浮かべながら答える。


「つもりも何も、不審なエルフを拘束するだけだが?」


 それを聞いて、レティシアはようやく自分が不審と見做みなされていることに気づいた。


「私が不審だと? 里長は承知しているのか?」


 その問いを受けて、ユーグは声を上げて笑う。


「……フハハハッ! もちろん、承知しているとも。今の里の首長である、俺の母がな!」

「何だと!?」


 意外な事実を聞かされ、レティシアは目を見開いて驚く。


「バラントン殿が、里長に……? ――祖父に何があったんだ!」

「クックック……。続きは地下牢でたっぷりと聞かせてやるよ。――やれ!」


 ユーグが手を振ると、周囲のエルフ達が前衛と後衛に分かれてレティシアに攻撃を仕掛ける。

 レティシアは痛めた右手首をかばいながら、包囲から逃れるべく足を動かすが、エルフ達は冷静に距離を保って陣形を崩さない。


「くっ……! 痛っ……!」


 レティシアは右手が使えず、かつ、多勢に無勢を強いられた。

 間断なく襲い来るエルフ達の攻撃をさばき切れず、みるみる内にレティシアの全身は傷だらけになっていく。


「どうした? 次期里長候補だったお前の実力はそんなものか?」


 ユーグもレティシアに嘲笑ちょうしょうを投げ掛けながら、彼女への攻撃に加担した。


「ぐはっ……!」


 あるとき、一人のエルフが放った〈魔法の矢マジック・アロー〉がレティシアの背に直撃した。

 たたらを踏むレティシアの背後で、何かがポロリと転がり落ちる。それは、レティシアの背嚢はいのうに納められていた、ノアから手渡されたアイテムだ。それは両手大の無骨な石板のような物だった。


「――あっ!」


 と、レティシアが声を上げると同時に、ユーグもそれの存在に気づいた。


「む――おい、それを回収しろ!」


 ユーグの指示を受けて、最寄りのエルフが石板を確保すべく動きだす。


(ノアから贈られた物が――‼)


 レティシアはそれを奪われることに対して、かつてないほどに強い焦燥を感じた。


「それに触るなっ‼」


 レティシアは怒声を上げてそのエルフの前に体を割り込ませ、倒れ込むようにして石板を抱き締める。

 辛くも石板を死守したレティシアだが、うつ伏せに倒れ込んだ彼女は敵対するエルフ達に無防備な背をさらしてしまっていた。


 つかつかとレティシアに近づいたユーグが、率先してその背に蹴りを浴びせる。


「うっ……! ぐっ……!」

「何だか知らんが、余程そいつが大事らしいな」


 石板を守るようにうずくまったレティシアに対し、ユーグを始めとするエルフ達が暴行を加えていく。

 レティシアの身柄が彼らの手に落ちるのは最早、逃れ得ぬ流れだった。


 ――その時、森に一陣の風が吹き抜ける。


「ぐわっ‼」

「ぶぼっ‼」


 うめき声を上げて倒れたのは、レティシアを囲んでいたエルフ達の一部だ。


「なにっ……? ――チィッ‼」


 続けて襲撃者の標的となったユーグだが、なんとか身をひるがえして攻撃をかわした。


 蹲るレティシアを守るように、一人のエルフが傍らに立っていた。風のようにその場に現れたのは、壮年の男エルフだ。

 レティシアはそのエルフのことをよく知っていた。


「シモンどの……」


 その男とは、レティシアやノアの体術の師であるシモンだ。

 シモンを見上げて弱々しい声を発したレティシアに対し、彼は少々ばつが悪そうな顔をした。


「――すまん。助けに入るのが遅くなった」


 強力な援軍を得たレティシアは、ほっと安堵の息を漏らした。


「……くっ、シモンか」


 一方のユーグは、予期せぬ強敵の登場に歯軋りしていた。


 ユーグやヴィヴィアン達が掌握しきれていなかった、『サン・ルトゥールの里』内のごく一部のエルフ。

 先日、謁見の間でユーグ自身が懸念として挙げたそのエルフ達の中で、最も脅威となり得るのがシモンだった。

 集落内で最も優れた体術使いと称される彼は、単純な戦力としても集落内で上位に数えられる強者だ。


 既に、五人いたユーグの部下の内、二人がシモンの急襲によって倒されていた。


 ユーグは残った人員に素早く目配せをして、行動の指針を決める。


「三人がかりでシモンの相手をしろ! 倒してしまっても構わん」


 いかにシモンといえども、森番が三人でかかれば勝算もあるだろう――ユーグはそう判断した。

 そして、その間にユーグ自身がレティシアを確保し、連行する――それが、ユーグが即興で立てたプランだ。


 シモンが三名の歳若いエルフを相手に互角以上の立ち回りを見せる中、満身創痍そういのレティシアがふらふらと立ち上がり、一つの魔法を発動させる。


「……私が、いつまでもやられっ放しだと思うなよ」


 レティシアを中心に風が渦を巻いて集まり、彼女の頭上で小さな竜巻を上らせた。

 ――その魔法の名は〈風の羽衣エアリアル・ヴェール〉。全身に風をまとわせる攻防一体の魔法だ。


「ふ、ふん! そんなボロボロの体で何ができる!」


 ユーグも対抗して身体強化の魔法を発動させ、レティシアが負傷した右手側から攻撃を仕掛ける。

 しかし、瞬く間に背後に回り込んだレティシアによって、前のめりに倒されてしまう。


「ぐおっ!」


 それとほぼ同時に、シモンを相手取っていた三人のエルフの内の一人が、シモンの当て身を喰らって昏倒していた。


 ユーグには二つの誤算があった。

 一つは、ぼろぼろになるまで痛めつけたレティシアが、息を吹き返したように反撃してきたこと。

 もう一つは、シモンが近接戦闘において無類の強さを誇るということを知らなかったことだ。物理的な戦闘手段よりも魔法に重きを置くエルフにとって、互いの距離が縮まった状態でシモンに戦いを挑むのは悪手を通り越して無謀だった。


 ここへ来て、ユーグははっきりと形勢が不利に傾いたことを悟った。


「て、撤退‼ 撤退だ‼」


 ユーグらはそれぞれ負傷したエルフを抱え、散り散りに去って行く。

 ただし、ユーグだけは十分に距離を取ったところで一時、レティシアを振り返って捨てゼリフを残す。


「――覚えておけ! 今さら里に戻ったところで、人間達との戦争は止められんぞ!」


 それはレティシアにとって、寝耳に水の言葉だった。


「戦争だと!? ――ユーグ、どういうことだ‼」


 驚いたレティシアが叫ぶように問いを発したが、その時にはユーグはもう背を見せていた。


 立ち尽くすレティシアとシモンを置いて、その場から他のエルフの気配は完全に消えた。

 ――と同時に、レティシアの中で張り詰めた糸が切れ、彼女はその場に崩れ落ちる。

 素早く駆け寄ったシモンが、彼女の肩を支えた。


 レティシアは負傷と疲労でぐったりとしながらも、シモンに問いを発する。


「……シモン殿、いったい里で何があったのですか?」


 シモンは固い表情でそれに応える。


「……順を追って話そう。だが、それよりも傷の手当が先だ」

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