最終章 動乱と流転

第25話 争乱の足音

お待たせしました。最終章開始です。時系列としては、24話の後になります。

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 『サン・ルトゥールの里』の西寄りに立つ、とある古木と同化した家屋――エルフの間で「家樹いえき」と呼ばれる――。その内側で、老いたエルフと若いエルフが話をしている。

 若いエルフは一封の手紙を手にしていた。上質の植物紙を贅沢に使った手紙だ。それは老エルフの集落内での地位の高さと、内容の重大さを表していた。


「――その手紙を持って、西のエルフの里か、ドワーフの里を訪ねるんじゃ。里長――サルトゥールの名を使っても構わん」

「わかったよ、爺ちゃん」


 老エルフ――アデラールが厳かな態度で言い渡すと、若いエルフ――アロイスがうなずきを以って快諾を示した。


 ほんの一ヶ月前まで長老会の一員だったアデラールは、現在集落内で起こっている非常事態を収めるには、外部の手を借りるしかないと考えていた。


 手紙を持ったアロイスがアデラールにきびすを返そうとしたそのとき、室内に置かれた木彫りの人形の目が怪しく光る。


『……老いたな、アデラール。まんまと尻尾を出すとは、間抜けなことだ』


 ミミズクを模したその人形から、くぐもった低い声が響いた。


傀儡くぐつか! アロイス、すぐに里から出るんじゃ!」

「わ、わかった!」


 傀儡の魔術によって、人形が操られていることを察したアデラールが慌てて指示を発した。

 アロイスはそれを受けて、家屋の外へ足を踏み出す。しかし、その足元から複数の水柱が立ち昇り、蛇のように全身に絡みつく。


「水っ!? くっ……ごぼっ……」


 水の蛇に口を塞がれ、足を掬われたアロイスは転倒して意識を失う。


「ア、アロイスっ!!」


 アデラールが叫んだ直後、複数名のエルフが家屋の中に踏み込み、彼を取り囲んだ。――ただし、若手のエルフ達はアデラールと距離を保ち、どこか逡巡しゅんじゅんしている様子だった。


「拘束しろ」


 と、立ち並ぶエルフらの後方から指示を出したのは、ロドルフ=アンブローズ――フラヴィの祖父にして、集落における魔法の第一人者だ。

 傀儡の魔術、そしてアロイスを捕えた水の蛇の魔法はロドルフの発したものだ。


 元・長老の一人であるアデラールに対して遠慮を見せていたエルフらも、その指示を受けてすぐに動きだす。一名のエルフがアロイスの手から落ちた手紙を拾い上げ、ロドルフに渡した。


「貴様らは間違っておる! 過去の歴史の誤ちをなぞる……!」

「黙れ」


 両手を後ろ手に縛られながら、なおわめくアデラールだったが、ロドルフに魔術を掛けられ、声を失った。〈沈黙サイレンス〉という魔術で、かつてフラヴィがユーグに対して使ったのと同じものだ。


「二人とも地下牢に連れて行け」

「ハッ」


 ロドルフは、同行していたリーダー格のエルフに指示を与えると、その場を後にした。



 『サン・ルトゥールの里』の中心に鎮座する巨木は『守りの大樹』と呼ばれる。特別な神性を宿してはいないが、それ故にいくつかの施設がこの木の一部として作られ、集落の生活空間の一部として住民から親しまれるようになった。


 アデラールとアロイスの造反を未然に防いだロドルフは、その足でこの大樹の上層部に向かった。近接戦闘が得意ではない彼は、念のためそれを得手とするエルフを一名、護衛として連れていた。

 約一ヶ月前まで長老会の会合の場として使われていたその空間からは、会議のための広い円卓が消え失せていた。その代わりに、最奥の壇上に意匠を凝らした大きめの椅子が置かれ、そこに至る道は草花で彩られている。それらはさながら、王宮の謁見の間を連想させた。


 部屋の入口で護衛と別れたロドルフは単独で花道を歩き、最奥の壇の手前に立った。

 その場には、ロドルフを除いて二名のエルフがいた。


「アデラールをとらえた。外部のエルフかドワーフと連絡を取ろうとしていた」


 簡潔に報告をしながら、ロドルフは開封済みの手紙を魔法で浮かせ、玉座に腰掛けた者の眼前めがけて空中を滑らせた。

 玉座に座ったエルフはたおやかな手を伸ばし、その手紙を掴む。


「ふうん、残念ね。優秀なお人だったのに」


 そうこたえた妖艶な女エルフの名は、ヴィヴィアン=バラントン。

 ユーグの母親にして、以前は長老会の一員でもあった彼女は、現在は『サン・ルトゥールの里』の首長を名乗っている。


 ヴィヴィアンは手紙を開いて軽く内容を確認すると、魔力を込めてそれをちりに変えた。

 ふっと息を吹きかけて塵を飛ばすと、改めてロドルフに顔を向ける。


「練兵の状況はどうかしら?」

「一通り形にはなった。人数規模でいえば二個大隊といったところだが、人間相手であれば万の軍が相手でも蹴散らせるじゃろう」


 ヴィヴィアンの問いにロドルフが答えると、彼女は満足したようにうなずく。


「まあ、十分でしょう。装備は行き届いてる?」

「最低限、一通りはな。……それにしても、ドワーフとの伝手つてまで持っていたとは驚いたぞ」


 両手を広げ、感心を態度で示すロドルフに対し、ヴィヴィアンは目を細めて鋭い視線を向ける。


「備えはしておくものよ。――何もしてこなかったモルガンがおかしいのよ」

「耳が痛い話だな……」


 ヴィヴィアンが先代の里長を名指しで批判すると、ロドルフは本当にどこかを痛めたかのように、眉をしかめてみせた。

 続けてロドルフは、別の話題を取り上げる。


「向こうに潜らせた斥候からの報告は?」


 その問いに対し、ヴィヴィアンは軽く首を振る。


「いつも通り。目立った動きはないわね」


 ロドルフが片手を顎に当て、物思わしげな様子を見せる。


「――と、いうことは」

「ええ。準備は万端ね」


 ヴィヴィアンがロドルフの言葉を締め括ったが、ロドルフはまだ思案げな態度を崩さない。


「……となると、アレ・・の出番はなさそうじゃな」


 ヴィヴィアンもそれに頷いて同意を示すが、続く言葉はその判断の逆を行くものだ。


「ええ。でも、いつでも動かせる準備だけはしておきましょう。人間たちも何か一つぐらい、隠し玉を持っているかもしれないし」

「ああ、異論はない」


 ロドルフも彼女に賛同したところで、その場に居合わせたもう一人のエルフが、何かを言いたげに身動みじろぎを見せる。


「ユーグ、何かあるの?」


 その一人とは、ヴィヴィアンの歳の離れた愛息子のユーグだ。ユーグは、母親の護衛兼側近として傍で控えていた。


「……潜伏しているエルフの動きが気になっている」

「ふむ。……確か、シモンがまだ捕まっとらんかったか」


 ユーグが挙げた懸念に対し、ロドルフは鷹揚おうような態度で理解を示した。が、それほどの大事と捉えてはいなかった。


「……まあ、一人で何ができるということもあるまい」

「そうね。計画に変更はないわ」


 そして、それはヴィヴィアンも同様だった。

 彼女は立ち上がって宣言する。


「予定通り、二日後に人間の町への進軍を開始する」


 ヴィヴィアンを首長とする『サン・ルトゥールの里』のエルフ達は、軍備を整えて人間達との戦争を企図していた。



「――申し上げます!」


 ヴィヴィアンの宣言に水を差すかのように、謁見の間に緊急の報告を届けるエルフが現れた。


「あら、何かしら?」


 それでも、ヴィヴィアンは悠然とした態度を崩さず、伝令のエルフに報告を促した。


「ハッ。御前ごぜん様の命に従って仕掛けた探知魔法に反応がありました。南方から一名の侵入者有りです」


 御前様と呼ばれたヴィヴィアンはぴくりと蟀谷こめかみを動かす。想定外の闖入ちんにゅう者だとわかったからだ。


「南方――『ハルシュタット』の方か……。侵入者の種族は?」

「エルフです。高い魔力を持っています」

「エルフね……」


 里長の地位を奪ったヴィヴィアンが行った施策の一つとして、集落の防衛力の強化が挙げられる。

 それまで集落の治安を守ってきた森番制度に加え、彼女は探知魔法による警戒網の構築を行った。現在その警戒網は、集落から最も遠い地点で十里の距離にまで達している。


 ヴィヴィアンが侵入者の正体について思いを巡らしていたところ、ユーグが声を上げる。


「母上、俺に行かせてくれ」


 息子の真剣な表情を見て、ヴィヴィアンには彼が何を考えたかピンと来た。


(――確かに、その可能性もあるわね)


「レティシアだと思ったのかい、ユーグや?」

「それは関係ない。ただ、俺が適任というだけだ」


 それらしいことを言うユーグだが、本音ではレティシアとの再会を期待しているのだろう。とはいえ、彼の言葉はあながち間違いでもなかった。


「まあ、いいでしょう。どこの誰だかわからないけど、あなたに任せるわ。最低限、計画の妨げにならないようにね」

「ああ、任せてくれ」


 ユーグは自信に満ちた態度で応えると、伝令のエルフを連れて謁見の間を後にする。


**


 レティシアが、ノア達が居る『ゼーハム』の町を出発して十日目。彼女は『サン・ルトゥールの里』から目と鼻の先のところまで近づいていた。

 樹上を枝から枝へと舞うように進んでいたレティシアは、ふと動きを止める。


「……どうかしたかニャ?」


 そのレティシアの胸元から、むくりと姿を現したキツネコのシャパルが彼女にたずねた。


「いや……何か、いつもの森と様子が違う気がしたんだが」


 レティシアは小首を傾げながら答えた。彼女自身も、何が違うのかこの時点では名状し得なかった。


「言われてみれば……――レティシア、誰か来るニャ!」


 シャパルもレティシアが感じた違和感に気づきつつあったが、それを認知するよりも早く、彼女達に近づく気配があった。


 ややあって姿を見せたのは、レティシアにとって旧知の間柄である歳若いエルフの男だ。


「久しぶりだな、レティシア。会いたかったぞ」

「ユーグか……」


 笑顔を見せるユーグに対し、レティシアは逆に緊張を高めていた。

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