第31話 交差する因縁

 『サン・ルトゥールの里』から総勢千名のエルフ軍が出陣して、三日目の夜。

 『ブロセリアンド大森林』の深い森の只中で、木々の合間の空間を埋めるかのように、いくつかの天幕が張られていた。それらの内で一際大きな天幕の中に、軍の総大将であるヴィヴィアンともう一人のエルフの姿があった。


「東側に目立った動きはありません。この先の行軍に支障は無いでしょう」


 配下であるそのエルフの報告を受け、ヴィヴィアンは満足げにうなずく。


重畳ちょうじょうね。ありがとう。下がって良いわ」

「ハッ。失礼致します」


 ひざまずいていた配下のエルフは、頭を一層深く下げてから立ち上がった。

 彼を見送り、休憩を取ろうとしていたヴィヴィアンだったが、入れ替わるように天幕の前にやって来たエルフの影を見て思い留まる。


「母上」

「なんだい、ユーグや?」


 ヴィヴィアンは天幕の入口を開き、訪ねて来た息子を中に招き入れた。


 軍事行動中は上官と部下という立場の二人だが、あくまで人間の軍の真似事をしているに過ぎないエルフ達にとって、規律遵守の意識は高くはない。

 ユーグは立ったまま、お座なりに手を合わせ、軽く礼をしてから口を開く。


「報告だ。――テレーズの部隊が追いついていない。予定では、昨日には合流しているはずだった」


 それを聞いたヴィヴィアンは、「なんだ、そんなことか」と口に出すのをかろうじてこらえた。


「――人質を任せていた森番の部隊だね。そいつはきっと、シモンとレティシアにやられたんだろう」

「なっ……! それはまずいな……」


 ユーグは母であるヴィヴィアンに示唆されて初めて、その可能性に気づいたようだった。ヴィヴィアンは息子の考えの無さに頭痛を感じた。


「まずい? 何がまずいって言うんだい? どっちにしたって、私らのやることは変わらないさ。このまま人間どもの町まで行って、奴らを根絶やしにする。今さら人質が取り返されたところで、何の影響もないさ」


 そうまくし立てられ、ユーグは押し黙る。


 むしろヴィヴィアンの中では、人質とその警護に配置したエルフ達は、片や捨て駒、片やシモンたち反対派に押し付けるためのお荷物として位置づけられていた。


 ユーグが口元に手を当て、思案しながら口を開く。


「確かに……。いや、だが、あいつらは少人数でこちらを撹乱してくるだろう。各隊に通達して、警戒を厳にさせよう」


 ヴィヴィアンはそれを聞いて小さく息をいた。

 凡庸な考えではあるが、あながち間違いとは言えない。


「まあ、そのぐらいはしておいた方がいいかもね。それじゃあ、それはあんたに任せるよ」

「ああ。任せてくれ」


 母の命を受け、ユーグは胸を張った。


「あんまりレティシアにばかりかまけるんじゃないよ」

「……わかっている」


 念のため釘を刺すヴィヴィアンに対し、ユーグは仏頂面で応えた。



 ユーグが去った後、今度こそ一人きりになったヴィヴィアンは特製の蜂蜜酒ミードを取り出し、盃に注いで一息にあおった。


「くふふっ……」


 ヴィヴィアンは無自覚に笑みをこぼしていた。


「――あと三日ね」


 それは彼女が率いるエルフ軍が、『ガスハイム』の町に辿たどり着くまでに予定している日数だ。


「……やっと復讐ができる。私からあの人を奪った、人間どもへの復讐が」


 ヴィヴィアンは押し殺した低い声で独りごちた。その声はまるで呪詛じゅそのようだった。


 やもすれば、彼女はここからたった一人でも軍を飛び出して、単身で人間達に戦争を仕掛けてしまいそうだった。

 ヴィヴィアンははやる気持ちを抑え込むように、両手を交差させて自身の両腕をき抱く。


「……駄目。まだよ、ヴィヴィアン」


(焦る必要はないわ。このエルフの軍勢をって、あいつらを蹂躙じゅうりんしてやるんだ)


 ヴィヴィアンはそう自分に言い聞かせて、再び盃を呷った。


 その後、彼女は軍の後方に意識を向けた。

 そこでは専任の魔導師が、何重にも封印を施した檻を見張っているはずだ。


 ――それは、災厄を閉じ込めた一つのはこだ。


(……万一、いざということが起きたら、アレ・・を使えばいい)


 ヴィヴィアンは口角を吊り上げ、凶々まがまがしい笑みを浮かべた。


 彼女は空になった盃を地面に落とすと、グシャリと粉々に踏み砕いた。



 その翌日のことだ。

 『ブロセリアンド大森林』の東側では、わずかなともを連れた少数の騎士達が森の中に侵入していた。


「……なあ、本当にこっちで合ってるのか?」


 剣を振り回し、道なき道を文字通り切り開く同僚の背に向かって、騎士レオンハルトが胡乱うろんげに声を掛けた。彼のその恵まれた体格は、草木が生い茂る森の中でもよく目立った。


「――あ?」


 彼の前で剣を振っていた騎士は、振り返りながら不機嫌をあらわにして応えた。レオンハルトより少しだけ背が低く、細身の彼の名はトビアスという。


「いい加減、しつこいぞ! 斥候がそう言ったのだから、信じるしかないだろう」


 怒鳴りながら再び前を向くトビアスに対し、レオンハルトは聞こえよがしに大きな溜め息をく。


「……つってもよう、道なんかねえぜ」

「…………」


 トビアスは無言で剣を振る。枝を払い、草を刈ることしばし。未だに視界が開けることはない。


 レオンハルトの言も正しいのだ。

 ――かといって、闇雲に進んだところで、深い森の中に迷い込み、進路を見失ってしまうことは想像に難くない。


 従って、トビアスはわずかな手がかりを頼りに進路を定め、慎重に進む以外の選択肢を持たなかった。


 レオンハルトは天を振り仰いで嘆く。


「あーあ。折角せっかくエルフの連中とやり合えると思ったのによう」


 トビアスはその言葉を聞きとがめ、手を止める。


「おいおい、目的を履き違えるなよ。俺たちの任務は、マルティン様の救出だ」


 そう指摘されて、レオンハルトはばつが悪い顔を見せる。


「わかってるって」


 レオンハルトの応答を聞いてか聞かずしてか、トビアスは再び森を切り開く作業に戻る。


 『ザルツラント辺境領』が誇る精強な騎士団に属する二人の騎士は、上官を経由して領主の命令を受けた。それは領主の三男であるマルティンの捜索と救出を行うことだ。


 マルティンが、代官として赴任していた『ガスハイム』の町で忽然こつぜんと姿を消してから、既に一ヶ月半もの期間が過ぎていた。その間に領主は騎士達と守備隊の兵士らとを動かし、『ガスハイム』の町中をくまなく捜索させた。

 しかし、手がかりらしい手がかりは得られなかった。わかったことといえば、マルティンが姿を消す数日前から、町中で複数名のエルフが目撃されたという情報があったことぐらいだ。そして、そのエルフらもまた、マルティンと同時期に姿を消したようだった。


 状況は不確かながら、エルフの関与があった疑いは濃厚だった。しかるに、『ザルツラント辺境領』では長く信じられてきた言い伝えがあった。


 ――大森林のエルフに手を出してはならない。

 ――特に、『サン・ルトゥールの里』のエルフに害を成したならば、その者は地獄に落ちるだろう。


 従って、ほとんどの者――レオンハルトのようなごく一部の騎士だけが例外――がエルフと関わることに消極的であり、証拠らしい証拠がなかったことから、捜索にはいたずらに時間だけが費やされていた。


 しびれを切らした『ザルツラント』の領主が、『ブロセリアンド大森林』に侵入しての捜索を配下の騎士団に命じたのが、つい七日前の出来事だ。

 その命令は二日後に『ガスハイム』に駐在する騎士達に伝えられ、五年前に凄腕の女エルフであるレティシアと戦った経験を持つトビアスとレオンハルトが志願して任務に就いた。

 二人の騎士は続く二日で手分けをして準備を整え、森に入ったのが二日前のことだ。


 道らしい道があったのは、かつて『フィダス』という村があった跡地を過ぎてしばらく進んだところまでだった。

 そこから、人間である彼らが更に森の奥に踏み入るためには、鬱蒼うっそうと生い茂る草木を切りひらいて道を作る必要があった。


 探索のペースは一気に落ちた。

 昨日丸一日を掛けて、二人の騎士と数名の従士達が進んだ距離は、その前日の五分の一にも満たなかった。


(これは長期戦になるな)


 無心で剣を振るいながら、トビアスの脳裏では、用意してきた食糧が足りるだろうかという懸念が芽生えていた。一ヶ月分を用意してきたが、その倍は必要だったかもしれない。

 斯様かように深い森の中でたった一人の人間を見つけることなど、到底不可能ではないか――トビアスの中で、そのような思いさえ生じつつあった。


 突如、そんなトビアスの思考を打ち破る大きな声が響く。


「トビー、構えろ! 何か来やがる!」

「何っ!?」


 レオンハルトが上げた鋭い声に反応し、トビアスは戦闘に備えて瞬時に剣を構えた。


 獣人の血を引くレオンハルトは、この場にいる誰よりも感覚が鋭い。

 そんな彼の咄嗟とっさの判断を、トビアスは全面的に信頼していた。


「……魔物か?」

「いや、魔物じゃねぇな。これは……」


 二人の騎士は剣を構えて背中合わせになりながら、問答を交わした。

 その場にいた三名の従士達も、彼らにならって荷物を置いて抜剣し、落ち着きが無い様子で周囲を見回していた。


「これは、エルフか……?」

「エルフだと!」


 首を傾げるレオンハルトの言葉にトビアスが驚いたそのとき、木々を飛び越えて何者かの人影が姿を現す。


 その人物は長い金髪の女エルフだった。見目麗しい女エルフだが、その彼女の容姿よりも目についたのは、彼女が背負った椅子にしか見えない物と、その椅子に縛りつけられたようにして腰掛けている人物だった。


「き、貴様は……!」

「てめぇは……!」


 トビアスとレオンハルトが驚愕の声を上げる。

 その女エルフは二人にとって、忘れ得ざる因縁の相手だった。特に、初めて一対一の戦いで土を付けられたレオンハルトにとっては、夢にまで見た宿敵と呼べる存在だった。


「む。貴殿らは――」


 一方、大地に降り立った女エルフ――レティシアにとっても、二人の騎士はどちらかといえば悪い思い出の伴う相手だった。

 名前こそ思い出せない(そもそも名乗られていない)が、数日に渡って野山を追い回された経験はしっかりとレティシアの記憶にも残っていた。


(まずい……。ここで彼らとまた争うわけには行かない……!)


 マルティンを背負って一路、『ガスハイム』の町の方へ向かっていたレティシアだったが、大森林を横切りエルフの軍隊を抜き去ってしばらく進んだところで、人間達の気配を感じ取った。ひょっとしたら、人質にされた人間と関わりのある者たちかもしれないと考え、こうして姿を見せたのだ。


 しかし、一度は敵対関係にあった騎士達に何と声を掛ければ良いのか、レティシアにはさっぱり見当がつかなかった。


(彼らの名前は何だったか……? ――駄目だ。全く思い出せん……。せめて、どちらか一方だけでも……)


 そもそも名前を聞いたことがないので仕方がないのだが、レティシアの頭の中は記憶にない騎士の名前を求めて目まぐるしく回転していた。


 そんな緊張したにらみ合いの最中、レティシアの肩に乗っていたキツネコのシャパルが彼女の耳元で囁くように言う。


「あ、ライオン丸にゃ」

「――そう、ライオン丸殿とその仲間の方だったな」


 シャパルの言葉を聴いたレティシアが二人に向かってそう言うと、トビアスとレオンハルトはガクッとずっこけた。


「……プッ、プププッ。アーッハッハッ‼ ライオン丸だってよ‼ は〜、苦しい」

「――なんだよ、その変なあだ名は‼ 俺の名前はレオンハルトだ‼」


 トビアスが含み笑いをこらえ切れず、とうとう大声で笑いだした一方で、レオンハルトは顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。


 先程までの張り詰めた空気がすっかり弛緩しかんしたことを感じ、レティシアも表情をほころばせた。


「……そうか。それは失礼した。私の名前はレティシアという。改めて、よろしく頼む」


 椅子を背負ったままではあるが、丁寧な所作で挨拶あいさつをしてきたレティシアに対し、トビアスとレオンハルトは顔を見合わせる。

 二人が無言で二往復ほどのアイコンタクトを交わした後、トビアスが咳払いをして背筋を伸ばす。


「ひとまず名乗っておこう。私は『ザルツラント領』の騎士、名はトビアスだ」

「……右に同じくだ。もう名乗らなくていいよな?」


 二人の言葉に対し、レティシアは首肯を以って応えた。


「それで、だ。まずは、貴女あなたが背負っているそちらの御方についての説明を聞かせてもらいたいのだが、構わないか?」


 レティシアは再び頷いて答える。


勿論もちろんだ。私はそのために来たのだから」


 ――ちなみにこの話の間、レティシアに背負われたマルティンはというと、彼女が森を進む速度と激しい揺れに耐え切れず、道中で泡を吹いて失神していた。

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