挿話 回想:キュルケ①

【前書き】

 キュルケの過去編に入ります。

 全体的に暗めの話になります。

 また、いま原稿は二話目の途中まで出来ていますが、四話以上にはなりそうです……。


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 今となっては何年前の出来事かも憶えてはおらん。

 おそらく、千年は越えておろうな……。


 これより語るは、そんな古い時代を生きておった女の下らぬ昔話よ。

 始めに断っておくが、決してい話ではないぞ。少なくとも、聴いて気分が良くなるたぐいの話ではないな。

 ……それでも聴きたいというのであれば、心して聴くがよい。



 まずは……そうじゃな。あれは、わらわが六つの頃じゃった。


 妾は『パルティナ大陸』の西寄りにあった『コルキセア』という王国の宮殿で暮らしとった。

 身分はなんと第一王女じゃ。……嘘ではないぞ。


 妾は幼い頃から魔法の才に恵まれておっての。

 王宮の元宮廷魔術師長じゃったおばばに師事しておった。メデイヤというのがお婆の名じゃ。


 メデイヤにはエデュアという孫娘がおってな。これが妾とは乳姉妹でもあって、妾にとっては実の兄弟よりも仲の良い親友じゃった。

 エデュアもまた優れた魔法の才の持ち主じゃったから、いつも二人で並んでお婆に魔法を習っとった。


「おひいさま、すごい! いまの、おばあさまのと同じ、無詠唱の〈火球ファイヤーボール〉だよね?」


 二人きりで魔法の練習をしていたときのことじゃ。

 そう称賛するエデュアに対して、妾は口を尖らせた。


「エデュー、二人のときはお姫さまは禁止って言ったでしょ?」

「あ、ごめん……キュリィ」


 ばつが悪い顔をして訂正するエデュアを目にして、妾は溜飲を下げた。


「そう。それでいいのよ」



 メデイヤ――お婆は優れた治癒師でもあってな。その頃、既に病床にせておった母上――カシアという名じゃ――の主治医も務めておった。

 妾が頼み込んで癒やしの魔法を教わったとき、お婆は口酸っぱく注意したものじゃ。


「よいですか、おひい様。オババの見ていないところで勝手におきさき様に癒やしの魔法を掛けてはなりませんぞ」

「うん、わかった!」


 妾は返事だけはいっちょ前じゃったが、内心ではその言葉の真意をちっとも理解しとらんかった。


 あの頃の妾は甘えん坊じゃったからな。

 父上――ソティリスという――は政務で忙しいし、病に侵された母上の負担にはなりとうなかったが、許される限りなるべく母上に会いに行ったものじゃ。


 そして、お婆の目を盗んで、やるなと言われておったその行為に手を染めてしまっておった。


「――それじゃあ母さま、今日も癒やしの魔法をかけますね」

「まあ、ありがとう。キュリィ」


 妾が魔法を披露すると、母上は花が咲いたような笑顔を見せたものじゃ。


 あの頃の妾は、母上に魔法を褒めてもらうのが何よりの楽しみじゃったんじゃ。

 それに、癒やしの魔法をかけたそのときは、確かに母上の顔色は良くなっとった。


「……すっかり楽になったわ。キュリィは天才ね」

「えへへ」


 妾は本当に、救いがたい愚か者じゃった。



 そんな日々が続いてから何ヶ月後かのある日、母上は遂に危篤状態になった。


 すっかり細くなった母上の手を握り締め、妾は泣きながらお婆に叫んだ。


「オババ、母さまに癒やしの魔法をかけてあげて!」


 お婆は静かに首を横に振った。


「……おひい様、わかってくだされ。もう手の施しようがないのですじゃ」


 お婆には、母上の命の灯が消えかかっておるのが見えておったのじゃ。

 しかし、それを解せぬ愚かな妾は、かぶりを振って更なる暴挙に出ようとした。


「そんなことない! じゃあ、わたしがやる!」


 魔力を高め始めた妾を見て、お婆は血相を変えた。


「おひい様! それはなりませぬ!」


 そうして妾を止めようとしたお婆より早く、妾を母上から引き剥がした者がおった。


「――この、愚か者がっ!」


 それは妾の父上じゃった。


 妾はそのとき、何が起こったのかすぐにはわからんかった。

 ただ何か強い衝撃があってから、気づけば尻もちをついて両親のいる寝台の方を見上げておった。


 見上げた先に立っておった父上は、左手で自身の右の手首を握り締め、肩をいからせて震えておった。


 ――殴られたのじゃ、と気づいたのは、しばらく後のことじゃった。

 妾が父上に殴られたのは、後にも先にもこの一事だけじゃ。


「お前のその魔法が、カシアの負担になっておることがわからんのかっ!」


 父上のその言葉に、妾は殴られたどころではないほどの衝撃を感じた。


 ――わたしの魔法が、母さまの負担に……?


 信じられなかった。信じたくなかった。

 妾自身が、母上の死期を早めておったという事実を……。


 父上のその言葉で、お婆も事情を察した。


「おひい様……よもや、オババの見ておらぬところで、お妃様に癒やしの魔法を……」


 妾は恐ろしくなって寒気を感じた。

 気づけば、その口で見苦しく言い訳を吐き連ねておった。


「……だ、だって、母さまは楽になったって……」

「なんと……」


 お婆は絶句しておった。

 父上は、何も聴きたくないと言わんばかりに顔を背けておった。


 重い沈黙が下りる中、病床に就いておった母上が弱々しく声を上げた。


「……あなた、お婆も……どうか、キュルケを責めないであげて……」


「母さま……」


 そんな母上の声を聴いて、妾はなんとか手足に力を込めて立ち上がり、よろよろとまた寝台の傍に歩み寄った。


 母上は息も絶え絶えながら、しっかりと言葉を紡ぎ出した。


「……わらわは嬉しかったのよ。キュルケが魔法を掛けてくれて……」


 母上の深い愛情が、妾には嬉しくも悲しく、やるせなかった。


 母上は顔を傾けて、妾の方に手を伸ばした。

 後から思うに、あの頃にはもう視力も弱っとったんじゃろう。

 ふらふらとさ迷うその母上の手に妾が手を重ねると、思いのほか強い力でがっちりと掴まれた。


「……ねえ、キュリィ。……また、魔法を見せてくれる?」


 妾はぶんぶんと首を左右に振った。

 おぼろげながら、己の手で母上を死に追いやるような真似をしておったと察して、到底それ以上魔法を使う気にはなれんかった。


「……お願いよ」


 額に球のような汗を浮かべながら、母上は妾に懇願してきた。

 妾はどうすればよいのかわからず、すっかり気が動転しておった。


 そのとき、お婆がそっと妾の背後に立ち、妾の両肩に手を添えた。


「おひい様。昨日のあの魔法をお見せになると良いでしょう」

「……え? あれを……?」


 そのときの妾が思い出したのは、そのつい前の日にお遊びで完成させた、何の効果もない魔法じゃ。


 ――ただ、きらきらと色のついた光が空中に舞い、飛び散ってむなしく消えてゆくだけの魔法。


「……どう、母さま?」


 そんな魔法を目の前で見せられて、母上は心から満足したような笑顔を見せた。


「……まあ、きれいね。ありがとう、キュリィ――」


 それきり、母上は時が止まったかのように動かなくなった。


「母さま……?」


 母上の脈を取ったお婆は、俯いて首を横に振った。そしてたった一言、言葉を発した。


「――――」


 妾はそれを横目で見ておりながら、しばらくは理解が追いつかず、ただ呆然としておった。


 父上は天を仰いで、目元を手で覆っておった。



 母上の葬儀が終わった後、妾は癒やしの魔法についてより詳しくお婆に習った。

 そして、それがときに病魔の勢いを強めること、患者の治癒能力を高める代わりに体力を消耗させることを知った。

 父上は妾がときどき母上に癒やしの魔法を掛けておったことに気づいておったから、あのときあれほどの怒りを表したのじゃ。


 妾は、己が母上の死期を早めておったことを理解して愕然とした。

 魔法を使うことを自ら禁じようかと思ったほどじゃ。


 しかし、その度に母上の顔を思い出した。

 母上は最期まで妾の魔法を見ることを望み、笑顔で受け入れてくれた。


 じゃから、妾はこう思うようになった。

 ――今後はより一層魔法の理を突き詰め、二度とあのような過ちを犯さぬようにしよう、と。


 そう、心に誓ったのじゃ。



 一つ、ずっと後になって、思ったことがある。


 もし、母上が最期に妾の魔法を見ることを願わねば、妾がどうなっておったか。

 己の魔法で母上を苦しめておったことを知った妾は、ひょっとしたら、一生魔法が使えなくなっとったかもしれん。


 あのときに激発した父上の言葉は、今も妾の心の奥底に突き刺さっておる。

 母上が妾の魔法を肯定し、その傷を和らげてくれなかったとしたら、それはおそらく妾を縛る呪いとなっとったじゃろう。


 母上の最期の言葉が、妾を救ってくれたのじゃ。


 ――母さまが、最期に妾のために……!


 そのことに思い至ったとき、妾は滂沱ぼうだの涙を抑えることができんかった。


 ――じゃがそれさえも、その後に起こったことを考えれば、本当に良かったと言えることなのかは判じがたいものじゃ……。



 大好きじゃった母上のことをいつまでも忘れたくなかった妾は、母上の真似をして自称を「妾」と改めた。

 誰も口には出さなんじゃが、周囲にはちと滑稽に映っとったかもしれんな。


 ――不死の秘術の噂を初めて耳にしたのは、母上の死から二年余りの時が経ってからのことじゃった……。

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