挿話 回想:キュルケ②

 数え切れぬほどの死に触れてきた今となってはもういたものじゃが、昔のわらわは人が死ぬということが怖くて嫌じゃった。

 自ら母上を死に追いやってしまった事実が、そうさせてしまったのやもしれぬな。


 ――〝不死の秘術〟。

 その噂を妾に伝えたのは、乳姉妹であり、同じ師の下で魔法を学ぶ同士でもあったエデュアじゃ。


「〝不死の秘術〟? 何それ?」


 おうむ返しに問い返した妾に対し、エデュアは噂の出処を説明した。


「お祖母ばあさまが言ってたの。『チャンドラ国』にはその魔法でもう千年以上生きてる仙人みたいな魔術師がいるっていう噂があるんだって」

「千年! すごいじゃない。本当にそんな不老不死みたいな人がいたら、うらやましいなぁ」


 妾はその話を聞いて目を輝かせたのじゃが、エデュアはピンと来ない様子じゃった。


「そう?」

「だって、それならずうっと一緒にいられるでしょ?」

「……あ、そっか」


 そう応えながら、エデュアは眉をしかめていた。妾の言葉から、妾が母上のことを言ったとでも思ったのかもしれん。


「これこれ、何の話をしておるのじゃ?」


 そう言いながら妾達の会話に割って入ってきたのは、エデュアの祖母にして妾達の魔法の師であるおばばことメデイヤじゃ。

 妾は振り返ってお婆を見つけると、彼女の方へ向き直った。


「〝不死の秘術〟よ! ねえ、オババ。そんな魔法が本当にあるの?」


 お婆の眼前で目を輝かせてたずねる妾に対し、お婆は苦笑して顔のしわをより深くさせた。


「さて。オババにも噂の真偽まではわかりませんなぁ」

「そんな魔法があったら、オババもずっと長生きできるんじゃない?」


 妾が声を弾ませてそう言うと、お婆は眉間に皺を寄せて渋面を作り、片手に杖を持ったまま腕を組むような仕草をした。


「……オババは、そうまでして生き続けたいとは思いませんなぁ」


 妾はその応えを聞いて、あからさまに口を尖らせてみせた。


「なんでよ。妾はオババにずっと生きててほしいのに」


 それを聞いたお婆は眉でハの字を作り、再び杖で地を突いて、妾とじっと目を合わせた。


「おひい様。もったいなきお言葉にございます。されど、この世に生を受けた者が死ぬのは必定のこと。それを曲げるは外法のわざでございます。不死となれば、一時は安寧が得られるやもしれません。されど、いずれはしっぺ返しを受けることとなるでしょう」


 後から思えば、このときのお婆の言葉はまこと真実を言い当てておった。

 しかし、この当時の妾には、それを欠片とも理解できんかった。


「難しくて、妾にはよくわかんないよ……」


 気づけば両目から涙をこぼしていた妾を前にして、お婆は慌てて手巾を取り出した。


「おひい様。……涙をお拭きになってくだされ」


 ぽろぽろと涙をこぼし続ける妾を前にして、お婆は自ら手を動かしてやさしく顔を拭いてくれた。

 エデュアにも肩や背をさすられながら、妾はしばらくその場で立ち尽くしておった。



 〝不死の秘術〟の話を初めて聞いてから、一年ほど経った頃じゃったか。

 その頃、妾は十歳の誕生日を迎えたばかりじゃった。


 妾は『コルキセア』の王宮の歴史上で最年少にして、宮廷魔術師の仲間入りを果たした。


「おめでとう、キュリィ」


 エデュアの率直な祝福を受けて、妾ははにかんだ。じゃが、エデュアと立場が変わってしまったことが少し寂しくもあった。


「ありがとう。エデューも一緒なら、もっと楽しかったのに」


 妾がそう言うと、エデュアは少し首を傾げて、考える様子を見せた。


「うーん。私はもう少し経ってからがいいかなあ。今は少しでもキュリィに追いつかないとね」


 妾は宮廷魔術師の登用試験で、明らかに並の魔術師を凌駕する魔法を見せつけ、異例の登用を勝ち取った。

 エデュアも及第点には達しておったと思うが、そもそもこの年にはまだ試験を受け取らんかった。

 彼女が宮廷魔術師になったのは、妾よりも二年ほど後のことじゃ。


 この頃の妾には目標があった。

 それはお婆が務めておった宮廷魔術師長になることじゃ。

 この国で一番の魔術師となって父上をお助けしたい。そう思っとった。


 しかし、その内の後者について、あれほど早く達成できるとは思うておらんかった。


「……もう、オババからおひい様に教えられることはなくなってしまったのですじゃ」

「――え?」


 宮廷魔術師になって間もない頃じゃ。

 お婆は唐突に、妾に弟子としての卒業を告げてきたのじゃ。


 妾は初め、お婆が冗談を言っているのじゃと思った。


「そんなことないでしょう? 魔法式を弄ればいくらでも新しい魔法はできるし、合成魔法だってあるじゃない」


 妾がそう言うと、お婆は声を上げて笑った。


「ひゃっひゃっ……。お姫様。魔族やエルフならいざ知らず、人間の魔術師でそこまでできる者は滅多におらんのですじゃ」


 妾はそのとき初めて、自分に与えられた魔法の才が並の魔術師を遥かに上回るものじゃったと知った。


「このオババでも、自在に魔法式を改変することは叶いません。せいぜいが〈火球〉の火を強めたり弱めたりする程度。合成魔法も二つが限界なのですじゃ」

「……そうなの?」

「はい」


 その頃の妾は既に、三色魔法――異なる三種類の魔法を合成することに成功しておった。


「誇ってくだされ。お姫様は既に、この国で一番の魔術師なのですじゃ」

「…………」


 そのときの妾の胸中では、誇らしさよりもむしろ寂しさの方が勝っていた。


 甘ったれの妾は、お婆にもっと魔法を教わりたかったのじゃ。


 このぐらいの頃からお婆は急速に老け込んでいったように憶えておる。



「……これでどう?」

「楽になったのですじゃ。ありがとう存じます、おひい様」


 お婆の身体からだが弱くなってからというもの、妾はお婆の「治療」を買って出た。

 普通、お婆ほど高齢の者が倒れたときには、明らかな病源でもなければ治癒師がつけられることはない。それを頭では理解しておったが、妾にはお婆が粗略に扱われることが耐えられなんだ。

 お婆は『コルキセア』国内で高い功績のある重臣じゃったから、妾が治癒師を務めたとて、宮中で白い目で見られるようなことはなかった。


「キュリィ、お祖母ばあさまを診てくれてありがとう」


 と言ったのは、お婆の孫娘、エデュアじゃ。


「いいの。妾がやりたくてやってるんだから。エデューこそ、妾が見ていない間オババのことよろしくね」

「もちろん。任せてよ」


 妾も四六時中お婆を診ていられる身分ではなかったからの。お婆の日常の世話は、主にエデュアがやっておった。


「……こんな老いぼれに、勿体ないことですじゃ……」


 お婆のそんな言葉は、妾とエデュアには意味のないものじゃった。



 そんなある日のことじゃ。

 妾に癒やしの魔法を掛けられた後、お婆が急に真面目腐った顔つきをして、重々しく口火を切ったことがあった。


「おひい様、オババがもしものときは――」

「やめて」


 しかし、妾はそんなお婆の話を聞く耳を全く持っておらんかった。


「やめてよ、オババ。もしものときの話なんて、聞きたくないよ」


 かたくなな妾の態度を見て、お婆はすごすごと引き下がった。


「……承知したのですじゃ。では、この話は致しますまい」


 このときのお婆が何を話そうとしておったのか――。

 想像はつくが、はっきりとはわからん。

 それを聞く機会は、永久に失われてしもうたからの……。


「我がままを言ってごめんなさい。また明日来るから」


 妾は相変わらず、愚かな餓鬼のままじゃった。



 キュルケが立ち去った後のおばば――メデイヤの部屋にて。


 メデイヤは寝台から上体を起こすと、枕元に置かれた鈴を鳴らして、孫娘を呼んだ。


「エデュアよ」


 隣室にいたエデュアは、すぐにメデイヤの前に姿を現した。


「どうしたの、お祖母ちゃん」

「文を用意しておくれ。国王陛下に上奏しておかねばならんことがある」


 その夜、メデイヤの部屋ではしばらく魔法の灯りが消えることがなかった。



 宮廷魔術師となってから半年後、妾は「筆頭宮廷魔術師」という役職を拝命することになった。

 魔法の力量において一番の魔術師ということじゃ。これも異例のことじゃが、妾の魔法の力量は群を抜いておったから、誰も異論を唱えることはなかった。


 筆頭宮廷魔術師となった妾は、宮廷魔術師長から直々に諸々の教えを請うこととなった。


「――とはいえ、魔法に関しては、私から姫様に教えることはございません。……むしろ、教わることの方が多いかもしれませんわね」


 魔術師長はそう言って、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。

 彼女の名はメルメラといった。妾にとっては縁の深い人物じゃ。メルメラは妾の乳母でもあり、エデュアの母でもあり、またお婆の娘でもあったのじゃから。


 そんなメルメラから、妾は宮廷魔術師の仕事のいろはについて手厚く教わった。



 同じ頃、妾は父上からお婆の治療担当を他の誰かに譲るように遠回しに言われた。


「……のう、キュルケよ。メデイヤはもうこの先いくばくも持つまい。お前が自ら治療を施す必要はないのではないか?」


 それはある日の晩餐の席のことじゃった。


 父上からそんな言葉を聴いた妾は、食器を置いて父上に向き直った。


「妾は幼少の頃からオババに師事して魔法の腕を磨いて参りました。今の妾があるのはオババあってのもの。その大恩を忘れて、他事にかまけることなどできませぬ」


 妾の訴えを聞いて、父上は溜め息を押し殺すような仕草を見せた。


「そうか……。ならば重ねては言うまい。だが、王女と宮廷魔術師の勤めは疎かにするでないぞ。それが守れぬというのならば、メデイヤの担当からは外れてもらう」

「……畏まりました」


 妾は父上の言葉をしかと受け止め、頷いた。



 それからの妾は、日に日に弱っていくお婆の命を一日でも延ばすために癒やしの魔法を掛け続ける一方で、藁にも縋る思いで〝不死の秘術〟の情報を集めようとした。


 第一王女という身分を活かして人を動かし、お婆やメルメラに教わって得た魔法に関する知識を総動員して、それなりの情報を集めることはできた。

 しかし、その秘術の詳細について探るには、時間も人手も不足しておった。


 ――そして、遂にそのときは来てしまったんじゃ。


「……オババ。ねえ、聴こえてる?」

「…………」


 寝台の上に横たわったお婆は、昏睡状態になっておった。

 お婆に最後の癒やしの魔法を掛け終えた妾には、もう奇跡を祈ることしかできなんだ。


 お婆の命の灯は、吹けば飛ぶほどに小さくなっておった。

 ――これ以上、癒やしの魔法を掛けても意味がない。そのときの妾には、それがわかるようになっておった。


 今際いまわきわに、お婆はぱちりと目を覚ました。


「……おひい様、そちらにいらっしゃいますか?」

「いる。ここにいるわ」


 妾はお婆の節くれだった手を強く握った。


「……オババには、もう思い残すことはございません」


 そんなお婆の言葉を聴いて、妾は目に涙を浮かべながらふるふると首を横に振った。


「いやだよ、オババ。かないで。妾がすぐに〝不死の秘術〟を会得えとくしてみせるから」

「……お姫様、オババはもう十分に生きました」

「そんなこと言わないで。妾を置いて逝かないでよぉ……」


 泣きじゃくる妾を前にして、お婆は少し困っておったような感じがした。

 最後の最期まで、妾はお婆に迷惑を掛けっぱなしじゃったな……。


「お姫様はオババの誇りでございます。……不敬かもしれませんが、天がオババに授けた宝物のように思うておりました。――どうか、そのまま前を向いていつまでも健やかに――」


 それがお婆の最期の言葉じゃった。


 お婆の命の灯が消えたことを知った妾は、すぐ傍にいたエデュアと抱き合って、声を上げていた。


**


 以下は、『コルキセア』国の元宮廷魔術師長メデイヤが、時の国王ソティリスに宛てて書いた手紙の内容の一部である。


「……キュルケ様は魔法の腕前においては、小職や現在の宮廷魔術師長を大きく凌駕しております。おそらく、人間の中では大陸でも屈指の魔術師かと愚考いたします。


 されど、その精神は未だ幼く、未熟と評せざるを得ませぬ。

 小職亡き後、おそらくキュルケ様は打ちひしがれてしまわれるでしょう。

 そこで、キュルケ様を筆頭宮廷魔術師に任じ、宮廷魔術師長の下につけることを提案いたします。

 宮廷魔術師長はキュルケ様の乳母を務めておりましたので、相性もよろしいかと見ております。


 できれば、キュルケ様には小職の治療から外れ、距離を置いてほしいものですが、おそらくは言っても聞かれますまい。


 また、キュルケ様は〝不死の秘術〟にご興味を持たれているご様子。

 こちらについては、小職も寡聞にして詳細を存じ得ませぬが、おそらくは邪法・呪いの類でございましょう。キュルケ様共々、ゆめゆめご注意なさるよう、お願い申し上げます……」

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