閑話 ノア家と魔女
『ゼーハム』の町を発ったレティシアが、シャパルと共に五年間の旅路の反省会を行っていたのと同じ日の昼下がり。
紫髪の魔女キュルケは、未だ『ゼーハム』の町外れにあるノアの家に滞在していた。
「……上手く行ったと思うんじゃが、どうかのう?」
「ああ、俺もそう思う」
少々、不安げな声を上げたキュルケに対し、出来上がった薬を手にしたノアが頷いた。
二人はヴィンデが横たわる寝室の中に居た。
薬を持って二人が室内に入ってきたところで、寝台の上で
「ヴィンデ、そのままで」
「はい……」
ノアが片方の空いた手で魔法を掛けると、ヴィンデが横たわった寝台がぐにゃりと湾曲し、彼女の上体を少し起こした。
「何度見ても見事な仕掛けじゃのう」
ほどよい角度で止まった寝台を前に、キュルケが感嘆の声を上げた。
この寝台は、ノアが自作した魔法で動く寝台だ。前世で見た電動リクライニングベッドを思い出したノアが、ヴィンデのために試行錯誤を繰り返して作り上げた一品物である。
ノアがヴィンデに薬を飲ませると、薬効が発揮されたのかヴィンデの体から一瞬、不思議な淡い光が放たれた。
浅く短い呼吸を繰り返していたヴィンデの息づかいが、穏やかなものに変わっていく。
「すごい……とても楽になりました」
ヴィンデの正直な感想を聴いて、ノアは晴れやかな顔を見せる。
「よかった……」
「うむ。効いたようじゃな」
キュルケも満足そうに頷いた。
ノアはキュルケに向き直り、身振りを交えて感謝を伝える。
「希少な素材を提供してもらって、本当に助かったよ。キュルケ」
「……ありがとうございます」
ヴィンデもノアに続いて、寝台にほぼ仰向けになったままの姿勢で、わずかに頭を下げた。
キュルケはやや慌て気味に、両手を左右にバタバタと振る。
「礼など要らんわ。〈時空庫〉に死蔵しておった
〈時空庫〉とはキュルケが常用する魔法で、異空間に物品を自由に収納し、取り出すことができるというものだ。
キュルケは、かつて最期を看取ったユニコーンの角が〈時空庫〉に五百年ほど眠っていたことを思い出し、ヴィンデのために提供した。
三人がそんなやりとりをした後、寝室のドアがきぃと音を立てて開いた。
「……ママ、まだおねんねなの……?」
そう言いながら室内に入ってきたのは、幼いハーフエルフの男の子、フェリクスだ。
薬を作る前に息子を寝かしつけたノアは、思わず片手で頭を抱えた。
「フェリィ、起きてきちゃったか〜」
フェリクスは一冊の本を抱えていた。これもノアが前世を思い出して自作した、ページをめくると飛び出して立体形になるタイプの絵本だ。
「ママにえほんよんでほしいの。……だめ?」
問われたヴィンデはノアと視線を交わす。
――絵本ぐらいなら――そう思ったヴィンデだが、ノアは首を横に振った。
ノアはしゃがみこんで、フェリクスと目線を合わせる。
「ごめんな、フェリィ。ママは今お薬を飲んだところだから、また少しお休みしないといけないんだ」
「おくすりでママ、げんきになる?」
「ああ。元気になるぞ」
そう言ってにっこりと笑ってみせたノアだが、フェリクス以外の大人二名には営業スマイルにしか見えなかった。
「……じゃあ、がまんする」
そんな健気な態度を見せるフェリクスの頭をキュルケの手が
「フェリクスは我慢ができるのか! 偉いのう。妾がちっちゃかった頃とは大違いじゃ! ――よし、それなら妾がその絵本を読んでやろう」
「……あ、ありがとう」
そう言うと、キュルケはフェリクスの手を引いて寝室の外へ向かう。
そんな彼女にノアも礼を言う。
「キュルケ、助かった。今度、何かで埋め合わせするよ」
すると部屋を出る寸前でキュルケが振り返り、魔女らしい怪しい笑みを浮かべた。
「……フフフ。
そう言って部屋を出て行くキュルケを見送るノアの顔には苦笑いが浮かんでいた。
キュルケとフェリクスが出て行くと、寝室にはノアとヴィンデの夫婦二人きりとなった。
ほどなくして、子供部屋の方からキュルケの大きな声が聴こえてきた。
――な、なんじゃ、この本は! 中身が飛び出して来おった。魔法は……掛かっておらん、じゃと……!?
そんな声を聴き、二人は顔を見合わせて吹き出した。
「優しい人ですね、キュルケは」
元のフラットになった寝台の上で、横になったヴィンデが言った。
その言葉に、ノアは頷いて応えた。
「ああ。すごく助かってるよ」
それはノアの正直な気持ちだった。
いかにノアといえども、たった一人では病気の妻と幼い息子の双方に対して十分なケアをすることはできなかっただろう。ヴィンデの病状が悪化したこの二、三日の間で、今のように時折キュルケがさりげない気配りを見せてくれるため、ノアはしっかりそれぞれと向き合う時間を取ることができていた。
「あなたも楽しそう。魔法ってとっても難しいんですね。私、二人が何を話していたのか、ちっともわかりませんでした」
この二、三日の間で、ノアはキュルケと何度も議論を交わしていた。その主な議題はヴィンデの病状や治療・延命の手立てについてだが、この世界における魔法以外の医療技術は、ノアの前世の世界でいえばせいぜい中世レベルのものだ。そこで、熟練以上の魔法使いである二人が頼る手段は、ほぼ魔法に由来するものに限られた。
「俺も驚いたよ。キュルケみたいな人がこの世にいるとは思わなかった」
千年生きた魔女の肩書きは伊達ではない。
その長い人生の間で『パルティナ大陸』中を隈なく旅して魔法の研鑽を積んできたキュルケは、エルフの古老などとは比べものにならないほど、魔法に関する知識と能力を持ち合わせていた。
ノアの言葉は率直な感想を示していたが、それを聞いたヴィンデはわずかに表情を曇らせた。
「……ごめんなさい。私と一緒になったせいで、旅を続けられなくなってしまって」
その言葉には彼女の罪悪感が
ノアはその言葉を聞きながら
「ヴィンデ。俺は何一つ後悔なんてしてないよ。君を愛してるし、まだ諦めてもいない」
真っ直ぐにヴィンデの目を見て告げるノアの耳の先は、若干赤く染まっていた。
そんなノアの顔を見返し、ヴィンデははにかむように笑いながら目に涙を浮かべて顔を左右に振る。
「私は、幸せ者です。もう何も、思い残すことはありません。どうか、レティシアさんと一緒に……」
ヴィンデは、言葉を最後まで紡ぐことができなかった。
セリフの途中で目を閉じてしまった彼女は、穏やかな寝息を立てていた。
「ヴィンデ……? ――薬が効いたのか……」
ノアはヴィンデの目元を伝う涙をやさしく拭って、しばらく彼女の寝顔を眺めていた。
同じ頃、飛び出す絵本にフェリクス以上の興奮を見せながらも、
(『三匹のオーク』か……。なかなかよく出来た話じゃったのう)
その絵本が出来るまでには、「豚」という生き物をこの世界で目にしたことがなかったがために、夜な夜な苦心して物語を創作したエルフの青年の姿があったとか。
「ママ……」
ふと、キュルケの腕の中で眠りに就いていたフェリクスが、もの悲しい声で
「…………」
幼いハーフエルフの子供を両腕で抱えながら、キュルケは深い記憶の海の奥底に沈んでいた出来事を思い起こしていた。
――広い宮殿を駆け回り、大きな寝台に横たわるやさしげな女性の
『ねえ、キュリィ。また魔法を見せてくれる?』
『まあ、きれいね。ありがとう、キュリィ』
「母さま……」
――着飾った男が、自身の右の手首を強く握り締め、肩をいからせて震えていた。
『お前のそれが、カシアの負担になっておるのがわからんのかっ!』
「父さま……」
それは遠い遠い、千年以上も昔の出来事だった。
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// 【改稿履歴】
(2023年12月13日)回想でのキュルケの呼び名(愛称)を「キュリィ」に変更。
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