挿話 「アッシェ」と呼ばれた女

「……アッシェ。今度また家に遊びに行ってもいい?」

「もちろん。ヴィンデも喜ぶわ」


 冒険者仲間のヘルガとは、もう七年来の付き合いだ。

 無口で人を寄せ付けない雰囲気の彼女だが、男嫌いの私とは波長が近しいのか、出逢った頃からウマが合った。


 本職の斥候であるヘルガと組むことで、私は安全を確保しながらより高難度の依頼をこなすことができた。

 彼女がいなければ危なかった――そんな場面は、これまでに何度もあった。


「……領都には、いつ引っ越す?」

「もう少しお金が溜まったら、かな。ヴィンデが十五になるまでには行きたいわね」


 我が家の箱入り娘であるヴィンデが、数ヶ月前に「領都に行きたい」と言いだしたときには驚いた。

 とはいえ、娘の生まれて初めての我がままだ。なんとか叶えてあげたいと思った。

 あの子は病気がちで不自由な暮らしが強いられているにも関わらず、めったに愚痴を言うこともなく、健気に家事をこなしてくれた。病気を押して仕事に就こうとしたことさえあった。


 ――お母さんのお荷物になりたくない。


 ヴィンデがそんな風に考えているだろうことは、私にはわかっていた。

 だから、そんな彼女の願いを叶えてあげたかった。


 その一方で、元々ヴィンデの将来のために蓄えていたお金には、なるべく手をつけたくなかった。

 それから十日ほど掛けて情報を集めた。領都までの馬車代、向こうで生活が軌道に乗るまでに掛かる費用、この家をどうするか……そうした様々な問題をクリアし、これならなんとかなりそう、というところまで目処を立てることができた。

 そして、最後の問題が――


「……私もついて行く。……良い?」

「――来てくれるの?」


 私が問い返すと、ヘルガはこくりと頷いた。

 感激した私は彼女の手を取って、感謝を伝えた。


 ――最後の問題は、ヘルガがついて来てくれるかどうか、ということだった。


「ありがとう! あなたと一緒なら、どれだけ心強いか」

「……相棒だから」

「ええ。最高の相棒ね!」


 もしも、ヘルガが来てくれなかった場合、領都でまた新しいパートナーを見つけるのは簡単ではなかっただろう。

 冒険者の大半は男だ。腕の良い女冒険者は希少で、更にそれが結婚や出産を機に引退してしまうのもよくある話だ。

 男というものがどうしても信用できない私にとって、背中を預けるに足る冒険者仲間を見つけるのは容易ではない。


 だから、ヘルガが領都へ同行してくれるのは本当に嬉しく、ありがたい。



 この『ケルバー』の町で暮らし始めて、もう十六年ほどになる。

 最初の数年は苦労の連続だった。

 特にヴィンデが産まれる前後は仕事を入れることもできず、愛を交わした男に逃げられたと知ったときには目の前が真っ暗になった。


 師匠の援助がなければ、娘共々野垂れ死にしていたことだろう。

 師匠には、本当に頭が上がらない。


 そして、ヴィンデが産まれた。


 出産直後、胸に抱いた真っ白な赤ん坊の髪を見て、お産で消耗していた私はそのまま意識を手放してしまった。


 ――そんな、まさか。


 信じられない、信じたくないという気持ちが勝っていた。


 なのに、それから二、三ヶ月が経っても、赤ん坊の髪色は純白のままだった。


 ――どうして、私の娘も……?


 私は自分の血筋を呪った。


 せっかく師匠に頼み込んで、故郷から連れ出してもらえたというのに……。



 ――白い髪の女は短命である。


 そんな故郷の古い言い伝えがあった。


 ヴィンデと同じ純白の髪の持ち主だった姉は十五になる前に息を引き取った。


 姉の、腰まで届くさらさらの髪に指を通すのが好きだった。


『ローゼはそれ、本当に好きね。飽きないの?』


 姉は嫌がる素振そぶりも見せずにクスクスと笑いながら、そんな風にいてくることがあった。

 私もそれに笑顔で頷いたものだ。


 そんな姉を見送った夜は、涙が止まらなかった。



『滅びるべきなのさ。私たちは』


 族長の大婆様はそう言って、村の外と交流を持とうとはしなかった。

 私はその言葉にどうしても納得ができなかった。


 姉が死ぬべきだったなんて、絶対に思いたくなかった。


 ――灰髪の私は、姉よりは長く生きられるだろう。

 ――でも、こんな一寸先も見えないような村に閉じこもったまま、一生を終えるのは嫌だ。


 そんな風に思っていた矢先に、師匠が村に現れた。

 「アイスバードの巣の駆除」――そんな依頼のために、師匠は道中にあった私達の村に立ち寄ったという。その師匠のたくましい姿に、私は強い憧れを抱いた。


『何でもします。私を外の世界に連れて行ってください』


 依頼を終えて町へ帰るという師匠に向かって、私は地面に膝を着いて頭を下げた。

 師匠は頷いてはくれなかった。


『……親を説得して来い。話はそれからだ』


 頭の固い両親が私の説得を聞き入れるはずもなく、私は夜逃げ同然で村を抜け出し、『帰れ』という師匠の言葉を無視して無理やりついていった。


 ……ついていけずに行き倒れた私を、道を引き返して来た師匠がひょいと肩に担ぎ上げて、そのまま野営に付き合わせてくれた。


『……まあ、ここまでついて来てしまったからな。今更帰れる距離でもあるまい。

 面倒は見てやる。だが、俺の言うことは必ず聞くこと。あとは……死んでも恨まないことだな』


 その師匠の言葉を聞いて、私は思わず笑顔になった。


『? 何を笑っている?』

『いえ、大丈夫です。死んだら、恨めませんから』


 私がそう返すと、師匠は少し困ったように頬を掻いた。



「……アッシェ、そろそろ目的地。警戒して」

「わかったわ」


 この日の私たちが受けた依頼は、フォレストウルフの駆除。

 今までにも何度もこなしてきた、なんてことない依頼だ。


 少し遅くなるかもしれないが、今日中には帰宅できるだろう。

 その頃、ヴィンデはまだ起きているだろうか。


 幼い頃から我が家の食卓を切り盛りしてきたヴィンデは、私の味の好みというものをよく理解している。

 完全に胃袋を掴まれている私は、夕食のことを考えるとお腹が鳴りかねないほどだ。



 ヴィンデが生まれてから、もう十四年と数ヶ月が経った。

 あの子が病の発作で倒れるたびに、どれだけ心配したことだろうか。

 神様なんて信じてはいなかったけど、薬や治癒師の手配を終えてしまえば、後は祈ることしかできなかった。


 祈りが届いたのか、ヴィンデはここまで生きてこれた。

 ここ数ヶ月は大きな発作もなく、概ね元気に過ごせていると思う。


 ここ辺境の町『ケルバー』は治安が悪いこともあって、ろくに外を出歩かせることもできなかったが、領都に行けばもう少しぐらいは自由にさせてあげても良いだろう。


 どうか、このままあの子が一日でも長く生きていられたら――。



「……アッシェ。この依頼、いつもと少し違うかもしれない」

「――え?」


 剣を構えて警戒していた私に対して、ヘルガがそんなことを言った。


 その直後だったと思う。

 森の奥の方からメリメリと木々が引き裂かれるような音がしたかと思えば、今まで相対したことのあるどんな魔物よりも強大な気配が急速に接近して来た。


「――ヤバい‼ アッシェ、逃げて‼」


 血相を変えたヘルガが叫んだ。

 私は前に立っていた彼女を敵の攻撃から庇おうと、震える足を無理矢理に叱咤しったして走り――



 ――ああ、ヴィンデ。

 私はあなたにとって、良い母親でいられたかしら?

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