挿話 回想:ノア③、ヴィンデ②

 書き置きを残して『サン・ルトゥールの里』を飛び出した俺――ノアは、『ブロセリアンド大森林』を南に突っ切ることにした。

 安全に森を抜けるには東へ向かうのが一番なのだが、使い魔を駆使して調べたところ、かつて森の東端にあった『フィダス』という人間の村は廃村になっていた。

 南へ向かうにあたって、一応、レティシアであれば気づける程度の目印を道中の木々に残してみたが、初めから東と決めて追っていたら、それも無為に終わるだろう。


 この四十年余りのエルフ生で、樹上生活にもすっかり慣れたものだ。深い野生の森を枝から枝へと飛び渡って移動し、夜は木の上で結界を張って睡眠を取った。

 それなりに急いだこともあって、四日ほどで森を抜けることができた。


 森を出た先にあった『ヘバート』という村で情報収集をしたところ、そこは『ハルシュタット大公国』という国の東端にある『シュプルング東方領』という領地の一部らしい。

 北東側の強国『ヒルデブラン王国』や『ブロセリアンド大森林』と国境を接しており、国防上の要地という認識で間違いないだろう。


 この辺りでは、エルフは珍しいらしい。

 出会う人はみな、俺の長く尖った耳を見て驚いていた。かといって、いきなり攻撃されたり、邪険に扱われたりしなかったのは幸いだった。

 言葉も普通に通じた。――人間とエルフで文化は大きく異なるにもかかわらず、言語のルーツは同じなのだろうか……。


 『ヘバート』村で初めてその土地の人々と接触するにあたって、出身と名前については偽ることにした。

 『サン・ルトゥールの里』のエルフは、過去に人間達と争いを起こしたことがある。俺はそれを過去の文献やエルフの伝承として知っていた。なので、出身は明かさない方が無難だし、名前についても念のためだ。片方がバレてももう片方がバレなければ、里に迷惑が掛かることはないだろう。


 『ヘバート』村は農村ということもあって、得られた情報は大まかなものに限られた。

 もう少し、この辺境の事情を知りたいと思った俺は、近辺で比較的大きな町だという『ケルバー』に向かうことにした。この領地の領都にも行ってみたかったが、『ケルバー』の方が位置的に近かったこともあり、後に回した。


 それから俺が『ケルバー』の町に入ったのは、『サン・ルトゥールの里』を出た日から数えて八日後になる。

 大森林の近くということもあって、魔物退治などの依頼も多いのだろう。町には武装をした冒険者と見られる者たちが数多く行き交っていた。

 ――これぞ異世界ファンタジー! という光景を眼前にして、内心でテンションが上がったが、お上りさんな雰囲気を見せないように気を引き締め、情報収集がてらに安めの宿を探した。



 その夜のことだ。

 宿の外で不審な物音がしたことに気がついた俺は、はっと目を覚ました。

 初めて人間の町で宿を取ったこともあって、寝つきが浅かったこともあると思う。


 ――冒険者紛いのごろつきか、はたまた夜盗の類か。

 宿の外では数人の男が何事かを喚きながら、走り回っている様子だった。


 騒動の気配を感じ取った俺は、自身に暗視の魔術を施した上で、窓から外に飛び出した。


「……おい、ガキはどこに行きやがった……!?」

「……こっちじゃねえ。あっちだ……!」


 男達は誰かを探しているようだった。

 俺は〈空歩エア・ウォーク〉の魔法を使って夜空に駆け上がり、騒動の全容を把握しようとした。

 すると、男達からそう離れていない所にある小さな路地裏で、白い髪の小柄な少女が歩いているのを発見した。


 この騒動と関係があるのかはわからないが、こんな真夜中に出歩いているのは普通のことではない。

 おそらく、保護を必要としているのではないか。


 そう考えた俺が少女の方に向かって空中でステップを踏んでいると、彼女はふと立ち止まって身を屈めた。具合でも悪くなったのだろうか。


 俺は少女から少し離れた場所で地面に降り、そっと彼女に近づく。

 ひゅうひゅうと隙間風のような呼吸音を立てる少女は、前世で見た喘息の患者のようだった。

 先に声を掛けるべきだったかもしれないが、心配になった俺はつい、彼女の肩を叩いていた。


 そのとき、振り返った少女の顔が、遠い記憶の彼方の誰かと重なった。


 ――お兄ちゃん。


 それは何十年も前の前世の記憶。

 当時の俺の妹の面影だった。


 ――後でよくよく確かめてみたところ、彼女と前世の妹はそれほど顔立ちが似ているということもなさそうだった。

 ただ、エルフやこの辺りで出会った他の人々と比べると、控えめでおとなしい東洋人寄りの顔立ちをしていたので、元日本人の自分の感覚に訴えるところがあったのだと思う。


 そんな彼女を目にして意識を飛ばしてしまったのは、たぶん、ほんの一瞬のことだったと思う。

 正気に立ち返った俺は、少女から事情を聞き出すことにした。

 初めは警戒した様子の彼女だったが、努めて優しい口調で語りかけたところ、やや気を許してくれたように思う。

 それどころか、俺が差し出した片方の手をがっしりと握り込んできた。

 それから、拝むような態度で苦しげに声を振り絞って、こう言った。


「た……助けて、ください」


 どうやら、荒くれ者どもが追っているのは、この少女で間違いないみたいだった。



 私――ヴィンデは、「ハイド」と名乗ったエルフの青年に出逢ったことで、八方塞がりだった状況に一筋の光明を見出すことができました。


「苦しそうだね……うーん、これはキカンシの問題じゃないのか? 珍しい病気みたいだね」


 発作にあえぐ私の背中をそっと撫でながら、ハイドさんはぶつぶつと謎の単語を交えて何事かつぶやき、やがて結論が出たのか一つうなずいてみせました。


「よし、こんなときは一時しのぎだ。〈呼吸軽減リリーブ・ブレス〉」


 ハイドさんが魔法を唱えると、ふわふわした緑色の光が私を覆い、体の中に入ってきました。


「わわっ……――え?」


 私は未知の感覚に戸惑い、思わず声を上げました。

 その魔法は、これまでに試したどんな薬や、教会の神父様の奇跡よりも劇的な効果を発揮しました。


 私はそのとき生まれて初めて、思いっきり息を吸うことができました。

 空気が美味しいと感じたのも、そのときが初めてでした。


「どう? 楽になった?」


 ハイドさんはそれを、まるで少し背中をさすったぐらいの何でもないことかのように問い掛けてきました。

 私はこくこくと何度も首を縦に振りました。


「はい! こんなに呼吸が楽になったのは初めてで……」


 興奮した私はつい声を上げてしまい、ハイドさんが人差し指を口元に立てたのを見て慌てて口をつぐみました。

 ――しまった、と思った私ですが、ハイドさんは微笑んで頭をでてくれました。


「それじゃあ、何があったか聞かせてくれるかい?」


 ――この人は実はエルフとかじゃなくて、神様が私に遣わしてくれた天使様なのかな。


 どう事情を説明しようかと頭をひねる傍らで、私はそんなことを思っていました。



 それからはトントン拍子でした。


 私が事情を話してハイドさんを家まで案内すると、彼は中を荒らしていた悪漢達をまたたく間に叩きのめしてみせました。奴らは色々と金目の物を物色していたようですが、ハイドさんは一人残らず身ぐるみを剥いで、盗まれた物を取り返してくれました。

 その後、町に出て私の行方を追っていた者たちも、一人また一人と家にやって来ては、ハイドさんの手に掛かって同様の処置を受けました。


「おい! てめぇら、早くガキを捜せって……――ぐぇっ」


 その中には、あの潰れた蛙のような声の男も混ざっていました。


 ハイドさんは盗人達をひとまとめに縛り上げると、「こいつらは町の衛兵に引き渡して来るよ」と言いました。


「念のため結界を張っておくから、今夜は安心して眠るといいよ。朝になったら君のお母さんを探しに行くよ」


 そう言い残し、ハイドさんは悪漢達を引きずって家から立ち去りました。

 空はまだ暗い色でしたが、東の空が明るくなるまでの時間はそう長くはありませんでした。



 次に太陽が天頂に差しかかった頃、ハイドさんは再び私の家を訪ねて来てくれました。

 未明に別れたときとは打って変わって、ハイドさんはまるで大雨にでも降られたかのような沈痛な面持ちをしていました。

 彼のその表情を見て、私はお腹の中が冷たくなってきたような気がしてきました。


 ハイドさんは口を開くと、ぽつりぽつりと語りました。


「君のお母さんは、冒険者仲間のヘルガさんと一緒に依頼を受け、森に向かったそうだ。その現場らしき場所に行ったところ、二人の女性の遺体があった。一人は弓矢を持った小柄な茶髪の女性で、もう一人はそれより少し長身の灰髪の剣士……」


 ハイドさんはそこまで語ってから、手にしていた二つの物を私に見せてくれました。

 一つは母が使っていたと思われる血塗れの剣。もう一つは――


「これ、私がお母さんにあげた……」


 私はおそるおそる、それ・・を手に取って持ち上げました。


 それは私がお小遣いを貯めて母に贈った、防御力を高める効果があるはずのお守りの指輪でした。


 私の両目に涙が浮かび上がり、目の前が何も見えなくなってしまいました。

 ハイドさんはその私をそっと抱き寄せ、背をさすってくれました。

 私は彼の胸に顔をうずめ、しゃくり上げながら、しばらく泣き続けました。



 母とヘルガさんは、フォレストウルフの駆除という、よくある簡単な依頼を受けて森に向かいました。

 そこで母達を待ち受けていたのは、何の因果か森の浅いところまで出てきた、オーガという凶悪な魔物の異常個体でした。二人は経験豊富なベテランの冒険者だったのですが、まるで歯が立たずに殺されてしまったようです。

 二人の仇は、ハイドさんが取ってくれました。


 ――この方がその現場に居合わせてくれれば……。

 そんなどうしようもない考えが一瞬でも頭をよぎってしまい、私は自分を恥ずかしく思いました。たまたま助けられた自分が幸運だっただけのことです。


 くだんのごろつき達は元冒険者や、冒険者になれなかった荒くれ者どもが徒党を組んだものでした。

 例の潰れた蛙のような声の男は、以前に酒場で恥を掻かされたとでも思ったのか、母のことを逆恨みしていたようです。その男がどこかで母の依頼の失敗を聞きつけ、この機会に私と私達の家に害を成そうと企み、ごろつき達を扇動して事に及んだそうです。

 彼らの行く末はどうでもいいことではありますが、しっかりと罰を受けたということは聞いています。



「――どうか、私をあなたの旅に連れて行ってはくれませんか……?」


 母とヘルガさんを見送った後、私は駄目で元々でハイドさんにそんなお願いをしてみました。


『私に何かあったら、ヘルガを頼りなさい』


 生前の母の言葉ですが、まさか二人が同時に亡くなるとは想定されていなかったようです。

 私には他に頼れる人はおらず、母のいない家に年端も行かない病弱な娘がたった一人で住んだとしても、とてもまともに生きていけるとは思えませんでした。


「うーん。……これも何かの縁かな」


 他に身寄りがないということであれば、とハイドさんは私の同行を許してくれました。


「……よろしいのでしょうか?」


 この方と旅ができることを嬉しく思う一方で、彼の優しさにつけ込んで甘えているようで、どこか心苦しさを感じる自分もいました。


「実はね、君の見た目が遠い故郷の知り合いに少し似ていてね。どうしても他人だとは思えないんだ」


 そう言ってどこか遠くを見るような目をするハイドさんを見て、私は「ああ。この人もきっと、大切な誰かを亡くした経験があるのだな」と思いました。


 この時にはもう、私はこの空色の瞳をしたエルフの青年に強く惹かれていたのだと思います。

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