第22話 ノアの回想②

 今生の両親をうしなって、シモンさんとグレースさんに引き取られた当時の俺は、とにかく何事にも前向きに、真剣に取り組もうという意識で過ごしていた。

 しかし、そんな俺を身近に置いたことで、どうやらシモンさんの中の押してはいけないスイッチが押されてしまったようで、俺はあの人に徹底的にしごかれることになった。

 特にきつかったのは最初の十日ほどだったと思う(記憶が定かでない)が、その間に何度、川の向こう側に立つ両親の幻を見たことだろうか。

 とうとう見かねたグレースさんがシモンさんに雷を落とさなければ、俺は本当にそのまま両親のもとへと旅立っていたかもしれない。

 ……まあ、その甲斐あって、同世代のエルフに体術で遅れを取ったことはないので、むしろ大いに感謝してるのだけど。


 他方で、魔法について学ぶのは楽しかった。

 シモンさんも魔法は当然使えるのだが、教えるのは苦手のようで、最初に手ほどきしてくれたのはグレースさんだった。

 いくつかの魔法を習った俺は、魔法を構成する回路のようなもの(「魔法式」というらしい)を理解し、それをほんの少し改変することで、規定の魔法とは異なる効果が得られることを知った。

 シモンさんやグレースさんによれば、そういうことが出来るのはエルフの中でもごく限られた、一握りの「魔導師」と呼ばれる者たちだけらしい。


 魔法式を弄って未知の魔法が発現しないかと試行錯誤を繰り返し、初めて成功した時にはつい夢中になってしまった。そのまま、魔力が枯渇するまで没頭してしまったほどだ。

 前世の経験で例えるなら、数学の難しい問題を参考書を見ずに解ききった時とか、プログラミングの授業で初めて動きのあるゲームを組み上げた時の快感と似ている。


 ただ、せっかくシモンさんに口利きしてもらってアンブローズ様に師事する機会を得たのに、見放されてしまったのは申し訳なかったな。

 どうも、張り切ってオリジナル魔法を披露したのがよくなかったらしい。「まがい物を扱う者に教えることなどない」とか言われた気がする。

 まあ、エルフが使う普通の魔法は、後にレティシアやフラヴィから教えてもらえたから良いんだけど。



「美人は三日で飽きる」


 ……っていう言葉が前世の世界であったような気がする。

 その言葉が本来意味するところはよくわからないけど、美形揃いのエルフ達に囲まれて何年も生活していると、さすがに見慣れる。

 初めはみんな同じ顔にしか見えなかったが、段々見分けがつくようになってきた。

 そろそろ一級エルフ鑑定士を名乗れるかもしれない。


 そんな美人揃いのエルフだが、「氏族」と呼ばれる人々はことさら血筋を大事にしているそうで、確かにそうでないエルフよりも更に容貌に磨きがかかっているように見受けられた。


 中でも、レティシアは格別だった。

 輝くような金髪をたなびかせる彼女はただそこにいるだけでオーラさえ放っているようで、どこにいても目立った。


 彼女とフラヴィは、身分にこだわらずに普通の同年代の友人として気安く接してくれた、氏族の中では稀有けうな存在だ。


 他の氏族にはどちらかというと疎ましく思われていたようだ。あからさまな嫉妬心を向けられたこともある。

 特に、ユーグは当たりが強かったな……。



 美人についてはさておき、スローライフの方は二十年ぐらいで飽きてしまった。

 「長命種」といわれるエルフの日常生活は、呆れるほど変化に乏しい。


 前世のままの自分だったら、もっと早く飽きていただろうと思う。

 魔法や体術の修行に打ち込んでいたこともあるが、長年エルフとして生きてきたことで、自分の精神性にも変化があったように感じている。

 気づけば、いつの間にか前世の享年を越えていた。


 とはいえ、そんな自分でも根っこの部分には現代人の感覚が残っていたようで、刺激に乏しい日常に段々と飽きを感じるようになっていた。


「いつか、森の外に行ってみたいなあ」


 ついレティシアにこぼしてしまったのは、そのぐらいの頃だったか。


「今の掟ではな……」


 と、生真面目なレティシアに困った顔をさせてしまった。


 ひょっとしたらこの件は、彼女が里長を目指すようになった理由の一つぐらいにはなったのかもしれない。


「私が里長になったら、お前が大手を振って外に出て行けるようにしてやる」


 しばらく経った後でそう言われたことを憶えている。

 それ自体は嬉しかったし、そう言った以上、彼女が絶対に約束を守るであろうことは理解していたけど、いかんせん、里長になるまでの期間が長すぎた。

 いや、二百年はエルフでも長いでしょうよ……



 いつの頃からか、俺が一人で里にいると、ときどきユーグやその取り巻き連中に絡まれることがあった。


「レティシアに付きまとうのをやめろ。平民風情が」


 と、ユーグが言いたいのは、要するにそういうこと。

 別に付き纏っているつもりはないし、むしろ、何もしなくても向こうから来るのだが……。


 「貴様とは立場が違う」とか、「平民が里長の孫娘に迷惑をかけるな」とか、なんか色々言ってたけど、内容はいつも大して変わらなかった。


 一度、力の差をわからせてからは手を出してくることはなくなったけど、まあ鬱陶しかったね。



 ――里を出る。


 遂にそう決めたときには、今生で四十路よそじを越えていた。


 シモンさんとグレースさんの夫妻にその決意を明かすと、シモンさんは「そうか」と言葉少なにうなずくぐらい。

 グレースさんは少し寂しそうだったけど、結局は快く送り出してくれた。


「レティシア様にはこのことは……?」


 グレースさんにかれたとき、俺は首を横に振った。


 仮にレティシアに話したとしよう。

 間違いなく引き留められるし、なんならそのままついて来かねない。

 里長の血筋である彼女に、掟破りを犯させるわけにはいかない。


 だから、彼女には何も伝えるわけには行かなかった。


 二人に話をしてから五日後。

 俺はまず、自分の寝床に書き置きを残した。これは、俺が自らの意思で出奔するのであって、事故などで失踪したわけではないと示すためだ。

 それから狩りに出るフリを装って、この世界で生まれてから四十年以上を過ごしたエルフの里を後にした。


**


 ――時は現在に戻り、更にその針を進める。


 レティシアとノアが再会を果たした、その二刻ほど後のことだ。

 太陽は西に大きく傾き、今にも『ゼーハム』の町の外壁の向こう側へ姿を隠そうとしていた。


 そんな時分に、この町の中心に近い位置にある大きな建物の前で、二人の妙齢の美女と見られる者たちが顔を合わせていた。

 一人は紫色の髪をした魔女のような出で立ちで、もう一人は異国風の旅装に身を包んだ金髪のエルフだ。


「――ノアには会えたかの?」

「ああ」


 紫髪の魔女、キュルケの問いに金髪のエルフ――レティシアは頷きを返した。


 朝方にここ『ゼーハム』の町の北門で別れた二人は、この特徴的な建物の前で合流を果たしていた。

 そして、二人の間にいたキツネコのシャパルは、道端に捨てられていた食べかけの手羽先を発見し、すぐにその虜になった。


「それは重畳。では、早速案内してもらおうかの」


 そう言うとキュルケは早速、レティシアが来たと思われる方向に向かって歩きだす。

 レティシアは慌てて、彼女の襟首を後ろからむんずと掴む。「ぐえ」というキュルケの声が漏れた。


「待て待て。今日はもう日暮れだ。明日、キュルケのことを紹介すると伝えている」


 キュルケがげほげほとせている間に、レティシアは事の経緯を説明した。


「むぅ。ここへ来てまたらされるのか……。まあ、良かろう。わらわは待つことには慣れておるからな。今更一晩ぐらい、どうということはないわ」


 呼吸を整えたキュルケは、口元を拭いながら応えた。


 ノアの家で再会を果たしたレティシアは、ノアと一、二刻ほど話し込んだ。話題は尽きなかったが、「夕食の支度をする」というヴィンデの言葉をきっかけに、その場をすることを決めた。

 「遠慮は要らない」と言うノアに対して、レティシアはキュルケを伴って翌日に再訪することを約束した。


「すまないな。キュルケには感謝している。ノアに会えたのは、あなたのおかげだ」


 謝意を伝えるレティシアの顔を、キュルケはじっと見ると、小声でつぶやく。


「――にしては、浮かぬ顔じゃな」


 レティシアには、その言葉を聴き取ることができなかった。


「? 今なんと?」

「……大したことではない。では、日が暮れてしまう前に宿を取ろうかの」

「それなら任せてくれ。ノアにお薦めを聞いてきたんだ」

「ほう? では、お任せしようかの」


 そんな会話をしながら、二人は通りを西へと下り始めた。


 少し遅れて二人の移動に気づいたシャパルは、すっかりきれいになった手羽先の骨を残して、ぴょんぴょんとその後を追いかけた。



 『ゼーハム』の町の西地区の一角に『黄金の隼亭』という宿屋がある。

 庶民向けの宿でありながら落ち着いた雰囲気があり、知る人ぞ知る料理の名店でもある。


「……ふいー。いやー、ノアのお薦めというだけあって、どの料理も美味かったのう。つい食べ過ぎてしまったわい」

「ああ。『パルティナ』の料理とはまた違った趣があったな」


 レティシアとキュルケの二人は、この店の料理を存分に堪能した後で、二階で宛てがわれた客室に戻っていた。

 そして旅の垢を落とすまでの束の間、室内でくつろいでいた頃のことだ。


 ふいに、二人の間の空気が硬さを帯びた。


「……誰ぞ、この部屋の外まで来ておるな」


 言ったのはキュルケだが、レティシアも同様に来訪者の気配を察知していた。


「私が出よう」


 そう言って、レティシアがドアに近づこうとしたその時、来訪者がそのドアをノックする音が響いた。


「はい?」

「……夜分にすいません。レティシアさんはご在室ですか?」


 レティシアがノックに応えると、来訪者はそうたずねてきた。

 聴き覚えのあるその声を聴いて、レティシアは自分の表情が強張こわばるのを感じた。


「誰じゃ? お主の知っておる者か?」

「……ああ」


 キュルケの問いに答えながら、レティシアはドアを開ける。


 ドアの外側に立っていたのは、髪まで白い色白の女性――ノアの妻、ヴィンデだった。


「……少し、お時間をいただけますか?」


 ヴィンデはレティシアの目を見上げながら、刃のような細い声で訊ねた。



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// 【おまけ】


レティシア「――というわけで、私はその船で『パルティナ大陸』まで向かうことになったのだ」

ノア「へ、へえ……(顔を引きつらせる)」

ヴィンデ「あの、そろそろ夕食の支度をしようと思いますが……」

レ「何? もうそんな時間か。ここからがいいところだというのに」

ノ(完全に展開がコメディなんだけど……。レティシアってこんなに残念な娘だったっけ??)


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// 【改稿履歴】

(2023年11月18日)末尾のシーン「『ゼーハム』の町の西地区の一角に『黄金の隼亭』という宿屋がある。」以降を追加。

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