第23話 同じ時を歩めるなら

【注意】

(2023年11月18日)前話の末尾に1シーンほど追記しております。未読の方はそちらをご覧になってから、本話をお読み下さい。


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 ――日付は変わって、翌朝。


 キュルケと共に『黄金の隼亭』を後にしたレティシアは、再びノアの一家が住む白い家の前に立っていた。


「この家だ」

「……ふむ。きれいな家じゃの」


 町外れにあるその家に近づくにつれ、どことなくレティシアの表情が硬くなり、口数が少なくなっていた。キュルケはそのことに気づきつつも、わざわざ指摘することはなかった。


 レティシアが玄関の戸を叩くと、ほどなくして戸が開き、幼児を引き連れたエルフの男――ノアが彼女らを出迎えた。


「やあ、よく来たね。そちらの方は初めまして」

「おはようごじゃいます!」


 ノアは息子のフェリクスと共に、訪ねてきた二人の女性に挨拶をした。特に、初対面となるキュルケに対しては丁寧に礼をする。


 レティシアは一歩下がって半身になり、二人にキュルケを紹介する。


「こちらが昨日話した旅の連れの――」

「キュルケじゃ。逢えて嬉しいぞい」


 レティシアの言葉を食い気味に引き継ぎ、キュルケが弾むような声で言った。

 ノアも笑顔でよろしく、とうなずく。


「じゃあ、早速だけど中へ――」

「いや、ここで良い」


 二人を家中へ案内しようとしたノアだが、レティシアは声を上げてそれを止めた。


「え?」


 目を瞬かせるノアに対し、彼女は告げる。


「私はこれから、里へ帰ろうと思う」


 開いた口が塞がらない様子のノアとは対照的に、唇を引き結んだレティシアの表情は、意志の固さをうかがわせた。

 そんな彼女を後ろから見ていたキュルケは、その場の誰も気づかないほどの小さな溜息をいた。



 その半刻後、『ゼーハム』の町の北門を出たレティシアは単身、馬よりも速い速度で北西の『ブロセリアンド大森林』を目指し、ひた走りに走っていた。


「レティシア、速すぎニャ! そんなんじゃ森までたないニャ!」

「む……」


 胸元にしがみついたシャパルに指摘され、レティシアは足を緩める。


 昨日の今日で「里へ帰る」と言い出したレティシアを、ノアは当然引き止めた。

 そこで一時の押し問答が発生したわけだが、「里にも、もう五年帰っていない」と言うレティシアの主張には、ノアにも頷けるところはあった。

 加えて、一度こうと決めたレティシアの意思を変えることがどれほどの難事であるかを、ノアはよく知っていた。


 今、レティシアが背負う背嚢はいのうの中には、ノアに渡された物も入っている。

 レティシアとの別れを惜しんだノアが、「せめてこれを」と持たせた物だ。


「――すまない。つい、走ることに集中してしまった」


 小走り程度にまでペースを落としたレティシアが、息を整えながらシャパルに言った。

 そんなレティシアをシャパルはじとりとした目で見る。


「……昨夜のあの女の話が気になってるニャ?」

「それは――ない、とは言えないかもしれない……」


 シャパルの指摘を受けて、レティシアは昨夜、宿を訪ねてきたヴィンデとの会話を思い返す。



 『黄金の隼亭』二階の客室にて。

 深刻な面持ちのヴィンデを目にして、「わらわは夜風に当たって来るので、存分に話すとよい」と言ってキュルケは部屋を出て行った。


 二人きりとなった室内で、ヴィンデは開口一番に告げる。


「私の命はもう、この先そう長くはありません」


 室内の時間が凍りついた。


 レティシアは、そんな錯覚を覚えた。


(――――そんな……)


 ヴィンデの言葉を聞いたレティシアは、しばらく返すべき言葉を見つけることができなかった。


 永遠とも思えるわずか数秒ほどの沈黙を破り、ヴィンデが言葉を続ける。


「――ですから、私がいなくなった後、夫のことをあなたにお願いしたいのです」


 そんなセリフを半ば呆然と聴き流しながら、蒼白な彼女の顔色を見たレティシアの中で、何かが線を結ぶ。


「もしや、病に冒されているのか?」


 その問いに、ヴィンデはこくりと頷く。

 その彼女の反応から、レティシアの中で疑念が確信に変わった。


 どんな生き物も、その身のうちに生命の波動のようなエネルギーを宿している。エルフの師父達が〈プラーナ〉と呼ぶそれを感知する技能に関して、レティシアはエルフの中でもとりわけ優れていた。


 そんなレティシアは、ヴィンデの生命エネルギーがまるで老人のように弱々しいことに薄々と気がついていた。

 ただし、外見上は健康な人間と変わることなく、レティシアが彼女に初めて出会ったときにはそれ以外の数々の情報という名の暴力があまりに大きく、その件に言及する機会は得られなかった。


「病のことは、ノアは……?」


 レティシアが投げかけた問いに、ヴィンデは一つ呼吸を挟んでから答える。


「知っています。私の薬を作っているのは、彼ですから」


 昨日も森に薬の原料を採りに行っていたのだ、とヴィンデは語った。


「なぜ、私に……?」


 知り合ったばかりの自分になぜそんな重大事を頼むのか、という疑問がレティシアにあった。


 その当然の疑問に対する答えは、ヴィンデにとっては自明のものだった。


「あなたが、夫が他の誰よりも信頼しているエルフだからです」


 その言葉には、深い確信が込められていた。


 ヴィンデはときどき、ノアから故郷であるエルフの里での話を聞くことがあった。

 その話に毎度のごとく登場するのが、幼馴染で里長の孫娘だというレティシアという女エルフだ。

 レティシアのことを気の置けない友人として語るノアが、彼女に深い親愛を抱いているということがヴィンデにはよくわかった。


 そして、もう一つ。


「それに、夫と同じエルフのあなたなら、同じだけ長く時を共に過ごすことができるでしょう?」


 それはヴィンデにとって、たとえ万に一つ病を克服できたとしても、どうしても解決できない問題だ。


 人間とエルフでは、寿命が大きく異なる。

 この世界のこの時代の人間の生は、五〇年も続けば良い方だ。

 一方のエルフは、何百年もの時を生きる者も珍しくない。


 仮に一時、両者が同じ時間を過ごしたとしても、いずれは必ず避けられない別れが訪れる。


 ――ただ、自分にとっては、それがほんの少し早く訪れる、というだけの話。


 ヴィンデは残り少ない自身の命について、そのように達観して受け入れていた。

 むしろ、五年前にノアと出逢わなければ、おそらくはそのまま尽き果てていただろう命をここまで長らえることができた。その上、自分を救ってくれたノアと結ばれ、子を授かることまでできた。


 自分は幸せ者だ。

 ヴィンデは心からそう思っていた。


 そんなヴィンデにとって、唯一と言っていい心残りが、自分が亡くなった後、息子のフェリクスと共に取り残される形になる、ノアの今後だ。


 表面上は人当たりが良く、一見して非の打ち所の無いノアだが、長く生活を共にする内に、ヴィンデは彼の特異性に気づきつつあった。

 どこか浮世離れした彼は、エルフの癖にエルフらしくない。人間の料理を嬉々として食べ、味付けが好みでないとがっかりしては、自らキッチンに立つほどのこだわりを見せる。些細なことに大げさに反応することもあれば、こちらでは当たり前のことを知らなかったりもする。

 そんなノアは町では偽名を使い、ヴィンデ以外の誰とも親しい関係を築いていないようだった。


 ノアは時折、どこか遠くの何もないところをぼんやりと見つめていることがある。故郷のことを考えているのか、そうでないのか、ヴィンデには知る由もない。

 そんなときヴィンデは、彼がそのままどこかへ消え去ってしまうのではないか、とたまらなく不安になるのだ。


 このまま自分が死んでしまったら、ノアは残りの長い生をどう過ごすのだろうか。

 それが、今のヴィンデにとって最大の不安だった。


 そんな時に現れた、彼の幼馴染だというエルフの女性。


 ――ああ、この人が。


 一目見て、ヴィンデは納得した。

 全身から瑞々みずみずしい生気を発散するレティシアは、命の火を爪の先に灯すようにして生きているヴィンデにとってはまぶし過ぎた。


 レティシアについて話す時のノアはいつも、どこか困ったような、それでも楽しそうな顔をしていた。そんなノアにとっても、きっと彼女はこんなに明るい太陽のような存在なんだろう。

 ――そう、ヴィンデは思った。


 だから、ヴィンデはレティシアにすがる。


「どうか、お願いします。虫のいい話で、不快に思われるかもしれません。でも、あなた以外に頼める人なんていないんです」


 ヴィンデは腰を直角に曲げ、深々とレティシアに頭を下げた。


 初めてレティシアに会った時、ノアに出逢ってからこれまでの自分のことや、二人の子供であるフェリクスについて話しながら、ヴィンデは複雑なレティシアの心境をおぼろげに察していた。


(――嘘のつけない、正直な人なんだな)


 ころころと表情を変えるレティシアを見て、ヴィンデは彼女の人となりを推しはかっていた。


「…………」


 レティシアには、ヴィンデの懇願に対してすぐに返事をすることはできなかった。

 病に関しては、ノアが診ている以上、自分にできることはほぼないのだろうという直観があった。


 レティシアは、ヴィンデが亡くなった後、取り残されるノアとその息子の姿を思い浮かべ、目頭を熱くする。

 そこに自分が――。


 レティシアはぶんぶんと頭を振って、想像を止める。


(何を考えているのだ、私は。それでは、とんでもない馬鹿者だ)


 レティシアは思考を切り替えて、一つの結論を出す。


「……頭を上げてくれ」


 レティシアは脳内で考えをまとめながら、身を屈めるようにしてヴィンデの肩を抱き、その上体を起こす。

 ヴィンデは相変わらず、悲壮な覚悟を感じさせる瞳でレティシアを見詰めている。


 レティシアは軽く口を開き、息を吸った。


「――私は一度、故郷に帰らなければならない。……だから、ノアとのことは、今はまだ考えられない」


 それが、今のレティシアに下せる精一杯の結論だった。


 『サン・ルトゥールの里』を飛び出したノアを追って五年。

 彼女自身もノアと共に出奔した――そう思われていても不思議はないほどの年月だ。

 しかし、レティシアには自分が里長の孫娘だという自覚は残っており、ノアを追って里を出るための名目の部分も忘れた訳ではない。


 だから、その義務を果たす前に、その場しのぎの答えを返すわけには行かない。

 それがレティシアの結論だった。


 レティシアの答えを待っていたヴィンデは、その言葉を聞いてふっと口元を緩めた。


「?」


 レティシアは、そんな彼女の仕草を不思議に思う。

 ――とても、彼女に満足してもらえるような答えだとは思えなかったのだが。


 ヴィンデはその薄い唇を開いて、言う。


「大丈夫です、きっと。何があっても」


 レティシアにとって、白雪のような儚い容貌の彼女が、この時は妙に自信に満ちているように映った。


「――だって、五年もかけてこちらまでいらしたんでしょう?」


 それを聞いたレティシアは、苦笑いを浮かべて頬をいた。

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