第18話 波乱の船出

 『ゾルトボルク』の町に停泊していた大型船『ジークリンデ号』の貨物室の中で。

 上手く追手を撒いて身を隠すことに成功したレティシアとシャパルは、蓄積していた疲労と寝不足、長い緊張状態から解放された安心感から、深い眠りに落ちていた。


 レティシアは夢を見ていた。夢の中で、過去の記憶を思い出していた。

 それは三年ほど前。『サン・ルトゥールの里』で、ノアと大森林の外の世界について会話をしていたときの記憶だ。



「……要するに、お前は人間や他種族の多様な文化に触れたい、ということなんだよな」


 レティシアの問い掛けるような言葉に対して、ノアは首を縦に降った。


 二人は一本の大樹の上で、集落を見下ろしながら会話をしていた。


「――そうだね。せっかく長い命を授かったんだし、世界中を旅して回るのも悪くないよね」

「世界を巡る旅か……」


 ノアのその答えに、レティシアは感嘆の声を上げた。


「今まで想像もしなかった。……が、確かに、なんだか胸がワクワクしてきたぞ。きっと、たくさんの未知に出会い、見て、触れることになるんだろうな」

「そうだろうね」


 このとき、集落の彼方を見るノアの視線が何を捉えているのかは判然としなかった。


「さすがはノアだな。私では思いつきもしなかっただろう」

「……いや。レティの方がここでは普通なんだと思うよ」


 いつものように称賛の言葉を上げるレティシアに対し、ノアは苦笑を返した。


「――なあ、ノアよ」

「何?」

「いつかお前が外の世界へ旅立つとき、私も一緒に行って良いか?」


 レティシアの問いを聴いて、ノアはやや真顔になった。


「……レティは里長になるんでしょ? そう簡単に里から出れるの?」

「……な、なんとかする!」


 あまり深く考えていなかったレティシアは、焦ったような声を上げた。


「だいたい、レティが里長になるまで、どれだけ掛かると思ってるの?」

「じゅ、順当に行けば、二百年は掛かるか。祖父はもう四百歳を越えていて、その後を継ぐであろう父が二百代の前半だから……」


 しどろもどろなレティシアの答えに、ノアは深く息を吐く。

 厳格なエルフの掟に従っている限り、彼らが森の外に出られる日は遠いだろう。


「二百年か……。長いね……」

「そうだな……」


 その時の会話はそれで終わった。


 レティシアの記憶ではそのはずだったが、この夢では少し違った。


 記憶では高枝から飛び降りるはずだったノアは、その場に留まってレティシアの方を振り返る。


「――レティ、そろそろ目を覚ました方がいい」

「何?」


 レティシアは、脈絡のないノアの助言をいぶかしんだ。

 ノアは少し困ったような笑顔を見せた。レティシアにとって馴染み深い、まるでやんちゃな幼子を見る親のような表情だ。


「旅の無事を祈ってるよ」

「待て、ノア!」


 レティシアは手を伸ばす。

 その手の先で、ノアの姿がぐにゃりと歪む。そのまま周囲の景色と溶け合って、緑がかったマーブル模様になっていく。



 貨物室の中で謎の女エルフを発見した見習い水夫のアントンは、自分でその対処を考えることを放棄し、先輩船員のホルガーに報告して判断を仰いだ。


「貨物室にエルフだあ? てめえ、まだ寝ボケてやがんのか?」

「いやいやいや、マジですって! 俺、見ましたもん! もうバッチリ目も覚めてます!」


 ホルガーはぽりぽりと頭を掻く。


「ちっ、なら見に行くか。てめえもついて来い!」

「へい!」



 貨物室の扉を開いたホルガーは、果たして不審な出で立ちの女エルフと対面することになった。


「マジでいやがったよ……」

「だから言ったでしょう?」


 二人が貨物室に入る頃にはレティシアは目を覚まし、食料品の入った大箱から抜け出していた。


 追いついて来たアントンを横目に、ホルガーは女エルフをにらみつけながら質問を投げる。


「お前さん、何者だ? ここで何していやがった?」


 自分が闖入ちんにゅう者であると自覚しているレティシアは、一つ会釈をしてから丁寧な回答を心がける。


「レティシアという。見ての通り、エルフだ。事情があって、少し追われていてな。隠れる場所を探して、ここに行き着いた」


 追われることになった経緯は省きながらも、基本的には正直に答えた形だ。

 ホルガーは顎をでつつ頷いた。


「なるほどなぁ。それで、これからどうする気だ?」

「これ以上、あなた方に迷惑を掛ける気はないさ。すぐにでも船を降りよう」


(魔力も充分、回復した。これなら……)


 十分な休息を得たレティシアは、今すぐに船を降りたとしても追手を振り切ることはできるだろう、と判断した。


 しかし、彼女の答えを聞いて、ホルガーとアントンは顔を見合わせていた。

 二人で首肯を交わした後、アントンがレティシアに向き直る。


「そいつは無理な話だよ。エルフの嬢ちゃん」

「え?」

「――だって、俺たちゃ今、海の真っただ中にいるんだぜ。エルフっつったって、海を泳いで渡れるわけじゃないだろう?」


 ――ピシリッ

 アントンの言葉を聞いたレティシアの体から、何かが硬直したような音が聴こえた気がした。


「な…………なんだってえぇぇぇ〜〜っっ!?」


 レティシアは――彼女にしては珍しく――あんぐりと口を開けて叫び声を上げた。

 それだけ、その事実は彼女にとって大きなショックだった。


 なんと、レティシアが眠りこけている間に船は出港してしまい、この時点で大海原の只中を進んでいたのである。


 大型交易船『ジークリンデ号』は、大洋を横切って別の大陸へ向かっており、この先一ヶ月はどこにも寄港することはない。

 その事実を知ったとき、レティシアはがっくりと両肩を落とすのだった。


**


 レティシアが旅立ってから、幾ばくかの時が経った後の『サン・ルトゥールの里』にて。


 集落の一角に、『バラントンの泉』と呼ばれる泉がある。

 かつて、バラントン家の先祖である偉大なエルフの戦士は、この泉に住む精霊の力を借りて人間達との戦争に赴き、大きな活躍をした。集落のエルフ達の間で、そのように伝えられている。

 その泉のほとりにある一際大きな木が、その偉大な戦士の血を引くユーグ=バラントンの生家だ。


 時刻は夜。

 ユーグは、この大木のうろの内部を仕切って出来た部屋の中で、一人蜂蜜酒ミードの瓶を傾けていた。


「レティシア……」


 盃をあおったユーグは、酒気を帯びた吐息と共に、行方知れずの幼馴染の名を呟く。

 彼女は里長の孫娘という立場でありながら、姓も持たず出奔したただのノアという男を追って、この集落を後にした。それから今まで、ユーグが知る限り、彼女は集落に立ち寄ることなく、何らかの便りすら届いていない。


 それを思うとユーグは夜も眠れなくなり、酒を飲まずにはいられないのだ。


「また酒かい、ユーグや?」

「母上」


 そんなユーグの部屋を訪れたのは、彼の実の母、ヴィヴィアン=バラントンだ。

 母の年齢は三百を越えるはず、とユーグは記憶していた。エルフにとって中年と言える年代だが、子の贔屓ひいき目を差し引いても、彼女は十分に若さと美貌を維持していると言えた。


「そんなにあの娘のことが心配なら、探しに行ったらいいじゃないか」

「……良いのか?」


 ユーグは母の言葉に耳を疑った。

 『レティシアの捜索に行きたい』――そのユーグの訴えをかつて退けたのは、彼女を含むこの集落の長老会の面々だったからだ。


「私もあの時はお前の意見を擁護できなかったけどねぇ。これだけ長いこと里を空けてるんだ。里長にだって親心はある。本当は心配してるはずさ。今ならきっと、お前に感謝さえしてくれるだろうよ」

「そうか……。――よし!」


 ユーグはその言葉を聞いて破顔し、盃を置くと立ち上がった。

 ヴィヴィアンは息子のあまりの行動の早さに目を丸くする。


「……まさか、今から出て行く気じゃないだろうね?」

「無論だ。泉で酔いをまして、明日出立する」


 ヴィヴィアンはそう聞いて一安心したものの、「明日」と言っている辺りで、息子はまだ舞い上がっているのではないかと心配になる。


「準備はしっかりして行くんだよ。人間共は何をして来るかわからないからね」

「ああ。――人間の狡猾こうかつさは、昔から母上によく聞いているからな」


 ユーグは母の言葉に頷きながら、大樹の外へ出て行った。


 彼を見送るヴィヴィアンの表情には、口角を吊り上げた薄い三日月形の笑みが浮かんでいた。



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// 【おまけ】


フラヴィ「バラントン様がひいき目抜きに美人だってことには完全に同意するけど、息子のひいき目を入れるとどうなるの?」

ユーグ「無論、世界で一番美しい母だと思っている」

フ(マザコン……)


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