第17話 追走劇(再)の顛末

 『ベラウ』の町へ向かうことを諦めたレティシアが東の山に追い立てられてから、数日後の深夜のことだ。


 『ザルツラント辺境領』の南東に位置する港町『ゾルトボルク』にて。

 町の西方――『ベラウ』から見て東方――の山を臨む防壁の内側に、くすんだ金髪をした女エルフが音もなく降り立った。


 旅装に身を包んだ女エルフは追われる身であり、端的に言ってボロボロだった。

 彼女の衣服は所々に穴が空き、血や土の汚れにまみれている。衣服で隠れているが身体からだの複数箇所に傷を負っており、足取りも重い。その表情には疲労の色が濃く、目の下には深い隈が刻まれており、美貌も形無しであった。


 女エルフ――レティシアは疲労を押して静かにその場から走り、物陰に身を潜めた。


「……侵入成功ニャ」


 レティシアの胸元から顔を出したキツネコのシャパルが、ささやくような声音で言った。


 結局、山で追手を振り切ることができなかったレティシアは、そのまま山を東に下り切って、この港町に潜伏することにした。

 正規の手続きを経ずに町中に忍び込むことについて、生真面目なレティシアなら本来であれば躊躇ちゅうちょしたところだろうが、この時は疲労困憊こんぱいしていたためにそんなことに思い悩むような余裕はなかった。


「どこに隠れるニャ?」

「そうだな。馬小屋の中か、屋根の上か……」


 シャパルの問いに対し、レティシアが思案しながら小声で応える。


 そのとき防壁の中央門の方から、鎧を着た複数の人間が移動しているような物音がした。レティシアは鋭敏な聴覚で以ってそれを察知した。

 レティシアは物陰に身を潜めたまま少し場所を移動し、その門の様子をうかがう。


 そこでは、門番の兵が門の隙間越しに誰かとやりとりをしていた。

 どうやら外から来た兵士か誰かが、こんな夜更けにも関わらず門に駆け込んで来たらしい。


「……もう追いついて来たのか」

「本当にしつこい奴らだニャン」


 レティシアが思わず漏らした言葉に、シャパルが呆れ果てたような声を重ねる。


 外から来た誰かは間違いなく、レティシアを追ってきた追撃隊の一員だろう。

 レティシアが防壁の内側に侵入できたのは、なけなしの魔力を振り絞って〈空歩エア・ウォーク〉の魔法を使ったからだ。それだけの苦労をしたにも関わらず、早くも追いつかれてしまったことに落胆を隠せない。


「とにかく、ここを離れよう」

「それが良いニャンね……」


 レティシアは足早に町の東側に向かって移動を開始した。



「――うにゃあ、たまげた。山みたいにでっかい船にゃあ」

「これは、壮観だな……」


 当てもなく東へ東へと足を進めたレティシアは、やがて港に辿たどり着いた。

 そこで何よりも彼女とシャパルの目を引いたものは、人が数百人は乗れるのではないかというほど巨大な木造船だった。

 それは桟橋の傍らに停泊し、海の波を受けてその威容をかすかに揺らがせていた。


 深夜であるから、周囲の町並みは変わらず深い闇に包まれているのだが、暗視の能力を持つ二人は星明かりだけで昼間と同じように見通すことができた。


「さすがにこれだけの大きな船があるとは、聞いたこともなかった」

「人間ってすごいニャ。きっと、コツコツ時間を掛けて作ったニャ」

「そうだろうな」


 一頻り二人で感心したところで、シャパルがピンと尻尾を逆立てた。


「? 何かあったか?」


 きょろきょろと周囲を見回すレティシアだが、特に不審を感じさせるものは見られない。


「気づいたのニャ! レティシア、この船、身を隠すにはピッタリじゃにゃいか?」

「……なるほど、確かに」


 シャパルの提案を聞き、レティシアは改めて闇夜に浮かぶ大船を見上げた。



 それから二夜が明けた日の昼間。

 『ゾルトボルク』の町のとある宿の一室に、騎士トビアスの姿があった。


 従士の青年がその部屋の扉をノックした後、誰何すいかの声に答えてから入室する。


「戻ったか。それで、どうだった?」


 トビアスの問いに、従士が直立したまま答える。


「ハッ。依然として例の女エルフの情報はありません」


 トビアスは顎に手を当てた。


「この町に入ったのは間違いないはずだが、煙か何かのように痕跡が消えたな」

「……対象は、もうこの町にはいないのでしょうか?」

「そう考えるのが自然か……」


 トビアスは腕を組み、考えを巡らせる。


 この二日間、彼らは標的の女エルフの足取りを追えなくなっていた。

 彼女がこの港町に逃げ込んだと、魔術師の男の探査によって発覚したのが一昨晩のことだ。

 トビアスは急報を受けると、深夜に強行班を編成し、走って後を追った。

 当然、港にも手を回し、出入りする船についてはくまなく調べさせたのだが――。


「ここ二日間で港から出る中型以下の船については隅々まで捜索しましたが、何も出ませんでした。捜索できなかったのは、例の大型船だけです」

「例の商会の船だな。あの商会は彼の大貴族の息が掛かっているからな……。が、この状況では、その船へ乗って逃げた可能性も疑うべきだな」

「……どうされますか?」


 従士が問うと、トビアスは考えをまとめて方針を告げる。


「もう三日ほど滞在して、その船も含めて情報を集める。それで何も出なければ、撤収だ」



 ある日の朝、大型船『ジークリンデ号』の後方甲板にて。


 見習い水夫のアントンの目の前で突然、火花が散った。誰かが彼の頭を思い切り殴り付けたのだ。

 殴られた彼は、当然のように怒りをあらわにした。


「痛でっ‼ 何しやがるんですか、い……っ?」


 が、その怒りはセリフの後半に入ってから急速に勢いを失う。

 アントンの目の前に、先輩船員のホルガーが拳を押さえて仁王立ちしていたからだ。


「……何をする、だと?」


 ホルガーのこめかみにピクピクと青筋が立っていた。

 アントンは思った。これはまずい、と。


 次の瞬間、ホルガーはまるで沸騰した薬缶やかんのように急に怒鳴り声を上げた。


「てめえこそ何してやがる‼ いつまで経っても甲板から戻って来ねえと思ったら、居眠りなんかしやがって‼」


 そう。アントンはホルガーに命じられた甲板の清掃を終えた後で、つい居眠りをしてしまっていた。

 それは、アントンが昨夜、遅くまで船員同士の賭け事で盛り上がっていたからだ。しかし、もし彼がそんな言い訳をしようものなら、目前の火に油を注ぐことになるのは明らかだ。

 アントンにできるのは、必死に小さく身を縮こまらせ、猛威を振るう嵐が通り過ぎるのを待つことだけだった。


 果たしてホルガーの怒りは、数分に渡って続いた。


「――もういい! てめえは積荷のチェックでもしてろっ‼」

「へい! ただいま‼」


 ホルガーが最後に放った怒声を受けて、アントンは脱兎のごとく駆け出した。



「積荷積荷っと……」


 アントンは貨物室の前で積荷の一覧を記した台帳を見つけ、それを片手に貨物室に入る。


「え〜と、これがそれであれがどれで……うん。何も問題ねぇな」


 積荷の数は多い。

 アントンは指差し確認を行いながら、四半刻ほどに渡って積荷のチェックをしていた。


「ん?」


 積荷の長い一覧の終盤に差し掛かった頃だ。アントンは気になる物を見つけた。


「……おいおい、誰だよ。こんなに散らかしやがって……」


 アントンが見つけた物は、芋だった。貨物室の一角でごろごろと芋が転がっていた。付近には無造作に置かれた芋や野菜入りの袋がいくつか散らばっていた。

 本来なら、それらの袋は食料品を収める大箱に収まっているはずのものだ。


 アントンは「はあ」と溜め息をくと、芋を拾って袋に入れ、大箱の蓋を開ける。


 そして、固まった。


「――は?」


「……くぁ」


 そこでは、小汚い女エルフが一匹のキツネコを胸に抱いて眠りこけていた。



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// 【おまけ】


 騎士トビアスが率いる追撃隊に連日追い立てられ、レティシアは精神的にも追い詰められていた。


「まさか、山を越えた後も追って来るとは思わなかった」

「本当にしつこい奴らニャ」


 レティシアの愚痴に合いの手を打つのは、キツネコのシャパルである。


「私が何をしたというのだ……。ちょっと偉そうな男の護衛を転ばせただけじゃないか……」

「うんうん。後先考えずに行動するとロクなことにならないのニャ」

「なんだと!」


 軽い調子のシャパルの言葉に、レティシアは思わず激高しかかる。


「ライオン丸の剣を壊したり、拘束プレイに及んだりしたこともあったニャ」


 ライオン丸、とシャパルが呼ぶのは獅子人の血を引く騎士レオンハルトのことだ。


「あれは……あっちが追ってきたのだから、仕方ないだろう」

「ライオン丸、笑ってたニャ。あいつは変態ニャ」

「……そうだな」


 レティシアは笑う騎士の顔を思い出しながら、適当に返事をした。

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