第13話 夜天の脱走劇④

 二名の女性を乗せた栗毛の馬が、夜空を駆けて『ガスハイム』の町から遠ざかっていく。

 騎士レオンハルトは、視界の上方にその人馬の影を捉えながら、全力で後を追っていた。


(……さて、下に降りたのはいいが、このままだと逃げられちまうな)


 レオンハルトは走りながら考えていた。

 いかに彼が闘気によって人間離れした身体能力が発揮できるとはいえ、馬の脚に追いつくことは難しい。そもそも、闘気という力がそういった持久的なタスクに向いていないこともある。

 事実、今もじりじりと彼我の距離は広がりつつあった。


(仕方ねぇ。使か)


 レオンハルトは自身の持つ最大の切り札を表に出す決心をした。


「……ォォォオオオッッ‼」


 うなり声と共に、レオンハルトの両の瞳が金色に輝き出す。鼻から顎にかけて顔面の下部が前に突き出し、大きく開いた口は鋭い牙を覗かせ、全身を黄金色の体毛が覆っていった。


 ――獣化。それが彼の持つ固有の能力だ。

 獅子の獣人を自身のルーツに持つ彼は、一日の内わずかな時間だけ、獅子人の特徴を身に宿すことができる。

 それによって、人間という種族の枠を越えた力をふるうことが可能となる。


 獅子人と化したレオンハルトは走る速度を上げ、徐々に栗毛の馬との距離を詰めて行った。


 彼は空から地面へと降りる人馬の姿をはっきりと視界に収めると、大きく息を吸った後に咆哮ほうこうを放った。


「――ゴルアァッ‼ 逃さねぇぞッ!!」



 〈威圧〉という技能スキルがこの世界には有る。

 竜や巨人など強力な生物が会得しているものとして知られており、そのスキルをらった者は恐慌し、正常な行動が取れなくなるという。

 レオンハルトという騎士が獣人化して放ったその咆哮には、〈威圧〉の効果が宿っていた。


 レティシアは平気だったが、イザベラと彼女らを乗せた牡馬は〈威圧〉の効果をまともに喰らった。

 その結果、イザベラは恐怖に体を戦慄おののかせ、牡馬は走る速度を大きく落とし、その足並みは駆歩くほから常歩じょうほにまで変わった。


「まずいな……」


 後方を振り返ったレティシアの端正な表情がわずかに曇る。

 獣人化し、まるで大鬼オーガかと見紛みまがうほどの体躯となった騎士が町の方角からみるみる駆け寄ってくる。


「イザベラ、馬を落ち着かせて、なるべく急いで森に駆けてくれ」


 レティシアは後方を向いたまま、イザベラに指示を出した。


「……ど、どうするの?」

「あの騎士とやらの相手をせねばなるまい」

「ほ、本気なの?」


 騎士に挑もうというレティシアの正気を疑いながら、イザベラは牡馬の進む向きを少し変える。後方から来る騎士の姿を確認するためだ。

 既に町は遠く、周囲に光源らしい光源はないが、月明かりによってイザベラもかろうじてその騎士の様相を視認することができた。

 彼女は目を見開き、息を飲んだ。


「う、嘘……獅子面の騎士っていったら、あの英雄レオンハルト様しかいないじゃないか。――レ、レティシア、逃げよう。かないっこないよ」

生憎あいにくだが、向こうには逃してくれる気は無さそうだ」


 レティシアはイザベラの言葉にこたえると、キツネコのシャパルを彼女に預け、牡馬の背から颯爽さっそうと跳び下りた。


 一方、レティシアらにあと数丈(約十〜二十メートル)という距離まで迫っていたレオンハルトは、利き手に剣を携えた上で、勢いをつけて大きく跳躍した。そのまま牡馬の前方まで回り込もうという考えだ。


「させんっ‼」


 迫り来る騎士と向かい合ったレティシアは魔法で突風を起こし、跳び上がった彼を空中で押し返す。


「うおっッ!?」


 突然の強風にあおられ、レオンハルトは虚空で大きく体勢を崩す。彼はくるりと身を翻すと、なんとか足から地面に降りることに成功する。


 その時には、美麗な女エルフが目前まで迫っていた。

 彼女はレオンハルトの懐に潜り込むと、全身の捻りを右の掌に伝え、鎧の上から鳩尾みぞおちに掌底を放つ。


 着地したばかりのレオンハルトには、その掌の前に剣の腹を挟み込むのが精一杯だった。

 パキンッと音を立てて剣身が折れる。剣と鎧越しに衝撃を受けたレオンハルトは、たたらを踏んで後退あとずさった。


 レティシアは一陣の風となって、間断なくレオンハルトに攻撃を仕掛けた。

 彼女は素早くレオンハルトの側方へ回り込むと、身を沈めて足を払った。

 なすすべなく背中から倒れるレオンハルト。その頭上からレティシアの肘が落ちてくる。


「……グワッ‼」


 レオンハルトはぎりぎりのところで横手に転がってそれを避け、慌てて立ち上がった。

 折れた剣を片手で前に突き出しながら、レオンハルトは内心で驚愕きょうがくしていた。


(なんてすばしっこい女だ! この俺が獣人化までして、まるで捉えられねぇとは……)


 その一方で、彼は久しくなかった強者との出会いに胸を躍らせていた。


「やるじゃねぇか、女ァ」


 獅子面の騎士が、牙を剥き出しにして笑顔を浮かべる。

 好戦的な気配を漂わせる騎士に対し、レティシアはあくまで冷静に応じた。


「……悪いが、このままあなたの相手をしているわけにはいかない」

「――なんだと?」


 彼女が新たに魔法を発動すると、レオンハルトの足元に生えた草が息吹を得たかのようにぐんぐんと成長し、太いつるとなって彼の両足に絡み付いた。


「な、なんだこりゃあっ‼」

「――じゃあな」


 魔法によって騎士を拘束したことを確認し、レティシアは彼に背を向ける。


「待て、このっ……‼」


 レオンハルトは彼女を追おうと足を振り動かすが、巻き付いた蔓によって両の足が地面に縫い付けられてしまった。

 彼は折れた剣を遮二無二振るって蔓を斬るが、それは容易な作業ではなかった。


 再び風と化した女エルフはあっという間に遠ざかり、栗毛の馬の背に乗って森の方へ走り去って行く。


 レオンハルトが苦労して両足を蔓から解放し終えた時には、女二人を乗せた馬は夜の闇に覆い隠されていた。


「……クソッ‼」


 レオンハルトは折れた剣を地面に叩きつけるようにして投げ捨てた。


 丁度そこへ、数頭の馬の蹄の音が『ガスハイム』の町側から近付いて来た。

 トビアスを含む数名の騎士が追いついて来たのだ。


 獣化したレオンハルトを見たトビアスは目を見張った。


「レオン! 獣化を使ったのか!」


 獣化はレオンハルトの切り札である。

 トビアスは、町から逃げ出したたった一人のエルフが、ここ『ザルツラント辺境領』で最強の騎士である彼にそれを使わせるほどの相手であるということにまず驚いた。

 しかも、彼が浮かない表情をしていることから、ここで何かがあったことは明らかだ。


「……賊はどうした?」


 胸中の動揺を押し殺し、トビアスはレオンハルトにたずねる。

 レオンハルトは眉間に深いしわを刻み、悔しさをあらわにした。


「……逃げられちまった」

「そうか……」


 その言葉に内心では更に驚いたトビアスだったが、ともあれ、これからやることは決まっていた。

 トビアスは一頭の空馬をレオンハルトの面前へ進ませる。


「それに乗れ! 賊を捕らえるぞ!」

「……応ッ‼」


 レオンハルトは自らの両頬を手の平で打つと、その馬に勢いよく跳び乗った。

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