第12話 夜天の脱走劇③

 月明かりの下、二名の妙齢の女性を背に乗せた栗毛の馬が夜空を駆ける。

 それはある種、幻想的な光景と言えたかもしれない。


 そこに無粋な横槍を入れるのは、『ガスハイム』の町の外壁上を警邏けいらしていた守備兵達だ。

 しかし、彼らが放つ矢は馬上の女エルフ――レティシアが張った風の結界に遮られ、その駆歩くほを妨げることは叶わなかった。


「ハハッ! こりゃ楽ちんだね」


 何ら障害のない夜空のみちで、牡馬ぼばの手綱をるイザベラは鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌だった。


 その時、レティシアの胸に収まっていたキツネコ――シャパルが、つと頭をもたげた。


「レティシア、何か来るニャ」


 彼のその声は、イザベラにもはっきりと聴こえていた。


「……ね、ねえ。ちょっと前から気になってたんだけど、そのキツネコって――」

「――シッ! 話は後だ」


 イザベラがたまらず疑問を口にするが、レティシアは鋭い声でそれを制止した。



「ワハハッ! ……ちょいと用を足しに持ち場を離れてみりゃあ、ビンゴじゃねぇか!」


 外壁上の守備兵達が宙空を駆ける人馬の姿に気づいたとき、レオンハルトもまた彼らの騒ぎをその耳目で捉えていた。

 レオンハルトはまだこのとき壁の内側にいたが、外壁を見上げた際に、篝火かがりびと月光に照らされる馬と人の影を認識した。


「まさか、馬が空を飛ぶとはな。エルフってのは、あんな魔法まで使えるのか」


 感心しながら、彼は外壁に上るべく適当な足場を探す。


「よっ、……ひょいっと!」


 レオンハルトは手近な建物の屋根を経由して、外壁の上まで跳び上がった。その身軽さは、とても金属製の鎧を着込んでいる身とは思えないものだった。

 外壁上に立ったレオンハルトは、最も近くで上空の人馬目がけて必死に弓矢を放っていた兵士の背に声を掛ける。


「よう、どんな様子だい?」

「レ、レオンハルト様っ!? ――だ、駄目です! 賊の防御魔法によって、矢は完全に防がれています」


 振り返った兵士は、唐突に現れた著名な騎士を前に狼狽ろうばいしながらも、状況を的確に説明した。


「へえ、そうかい。……器用なヤツだな。複数の魔法を同時に操っているのか?」


 レオンハルトは顎をでながらほんの少し思案したものの、すぐに疑問を棚上げにして、腰の剣をずらりと抜き放った。

 そして、体内で闘気をたかぶらせる。


「それじゃあ……――こいつは、挨拶代わりだ‼」



「……‼ イザベラ、左に思いっきり跳んでくれ‼」

「わ、わかった‼」


 レオンハルトの闘気の高まりを感じ取ったレティシアは、早口でイザベラに指示を出す。

 幸いにして、緊張を保っていたイザベラは即座に反応することができた。


 レオンハルトが放った剣閃は、夜闇を斬り裂いて牡馬の後背に迫った。

 牡馬が左に跳躍したことで直撃は免れたが、レティシアは更に風の結界を集めてその軌道をらした。その反動で牡馬がよろめいたため、イザベラは慌てて手綱を引いてバランスを取った。


「……手練てだれが出てきたようだな」

「な、なんだい、今のは?」


 突然の指示とその後の衝撃に驚いたイザベラが疑問の声を上げる。


「おそらく斬撃だ! ……人間にもあんな真似まねができる者がいるとはな」


 推測交じりのレティシアの答えを聞いて、イザベラの顔が青くなった。


「斬撃を飛ばして――? ……レ、レティシア、まずい! そいつは騎士だ‼ あたしら、殺されちまうよっ‼」

「騎士だと……?」


 ここ『ヒルデブラン王国』において「騎士」とは、貴族の中で最下級の身分でありながら、戦争においては主力となる戦闘のエキスパート職だ。

 尚武の気風があるこの国では、平民であっても武芸の腕を磨くことで一代限りの騎士として成り上がれる可能性がある一方で、その騎士の精強さは周辺国家にまで広く知れ渡っていた。


 イザベラは『ガスハイム』の町でマルティンや代官に歯向かった者たちが、騎士達の手に掛かって容赦なく処刑されたことを知っていた。


「このまま、森まで飛んで行ったら駄目なのかい!?」


 イザベラが泣きそうな声を上げるが、レティシアはそれにうなずくことはできなかった。


「いや、それは駄目だ! もうじき魔法の効果が切れる。一旦、降りてくれ!」

「ひゃっ、落っこちるのはごめんだよ!」


 弓矢から遠ざかるために牡馬を上方に走らせていたイザベラは、レティシアの言葉を聞いて慌てて高度を下げ始める。


 〈空歩エア・ウォーク〉の魔法は込めた魔力に応じて効果時間が延びるが、レティシアは今回それほど多くの魔力を費やしてはいなかった。〈空歩〉だけで魔力を使い切ってしまえば、その後、魔法が必要な状況になったときに対応ができなくなるからだ。


「……ヤバいにゃ。ビリビリ来るニャ」

「あぁ。かなりの闘気だな」


 シャパルとレティシアは牡馬の背で揺られながら、段々と接近してくる騎士の気配を感じ取っていた。

 その騎士が放つ闘気は、外壁上で剣閃を放った時よりも大きくなっているようだった。


 やがて、二人を乗せた栗毛の馬は、外壁から西へ約十町(約一キロメートル)ほど離れたところで着地した。


「ゴルアァッ‼ 逃さねぇぞッ!!」


 そこへ追いすがった騎士は、獣のような咆哮を上げた。



 時間をほんの少し巻き戻し、レオンハルトが外壁の上から「挨拶代わり」の剣閃を放った直後の場面に戻る。


 剣を振り抜いた後、構えを解いたレオンハルトは、斬撃を逸らしたレティシアの魔法を見て口角を吊り上げた。


「いいねぇ! あれを弾くとは、やるじゃねぇか!」


「――レオンハルト様、このままでは……!」


 野性味の有る笑顔を見せるレオンハルトに対し、すぐそばで弓矢を手にした兵士が焦燥の声を上げた。

 夜空を走る人馬は段々と外壁から遠ざかっている。高度は下げているようだが、じきに弓矢の届く距離よりも遠くなる。


「ハッ、そうは行くかよっ‼」


 レオンハルトは何の躊躇ためらいもなく、外壁の上から町の外側の空中へと身を躍らせた。


「レ、レオンハルト様っ!?」


 自殺行為だ、と兵士は思った。外壁の高さは四丈近く(約十二メートル)ある。金属鎧を着込んだ人間がこの高さから落ちて、助かるはずがない。


 ――ズシイィンッッ!!!


 重々しい音を立てて、レオンハルトは両足をしっかりと地面に着いた。衝撃で地面が陥没し、周囲の守備兵達が何事かと注目する。


 その次の瞬間には、レオンハルトは何事もなかったかのように真っ直ぐに立ち上がると、夜闇に消え行く馬を追って勢いよく走り出した。


「……む、無茶苦茶だ……」


 レオンハルトの行動の一部始終を見届けた兵士は、そう漏らした。


 ――ポン、とその兵士の肩を叩く人物がいた。

 兵士が振り返ると、そこには彼が見知った顔があった。


「……あ、班長。――今の、見てましたか……?」


 比較的若い兵士に問われて、班長と呼ばれた年長の兵士は静かに頷く。


「あれはレオンハルト殿だからできることだ。真似するなよ」


 そう釘を刺す年長の兵士に対し、若い兵士は苦笑を返す。


「できっこありませんよ。……騎士って人達は人間辞めてるんだなって、改めて思いました」


 若い兵士のそんな感想に対して、年長の兵士は再び頷いてみせた。


類稀たぐいまれな闘気による身体強化の為せる技だな。あの方に追われるエルフには同情するよ」


 兵士らの視線の先では、夜空を駆ける人馬と人間を越えた騎士による追走劇が幕を上げていた。

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