第11話 夜天の脱走劇②

 ノアが『サン・ルトゥールの里』を出奔する五年ほど前のことだ。


 ある晴れた日、レティシアはノアを探して森の中を走り回っていた。

 当時の集落周辺では、そんな風に彼女がノアの姿を探している様子がたびたび見られた。


「……全く、毎度のことながら困ったものだ」


 軽く愚痴をこぼしながら、レティシアはある巨木の前で足を止め、息を吸った。


「ノアーー‼ そこにいるんだろう?」


 大声で呼び掛けるも、返事はない。

 しかし、レティシアは彼がその木の上方に居ることを確信していた。


 レティシアが巨木の幹を上へ上へと駆け上がると、ノアはある太枝の上で仰向けに寝そべっていた。

 彼女は彼の頭のすぐそばまで足を進める。


「ノア」


 そこまで来て、ようやくノアは目を開けた。


「……レティ。わざわざ、迎えに来てくれたんだ」


 レティシアは呆れたように息をく。


「お前が遅いからだ。――行くぞ。シモン殿も待っている」

「……はいはい」


 ノアはゆっくりと上体を起こして、そのまま立ち上がった。


 この日、レティシアはノアと共にシモンに格闘術の手ほどきを受けることになっていた。

 レティシアはノアのことをしっかり者だと認識していたが、彼は時折このように時間にルーズなところがあった。特に、今日のように彼女と一緒に剣術や組手をやるようなときは、決まって時間ぎりぎりまでどこかへ行方をくらますのだった。

 かといって、ノアは特段、剣術や格闘術が苦手というわけでもない。


 そんなノアの行動の理由にはレティシアの存在が関係しているのだが、彼女がそれに気づくことはなかった。


 レティシアはさっと身を翻すと、巨木の枝から枝へと跳び下りようとした。

 そこで、ノアが自分の後を付いて来てはいないことに気づいた。

 彼女が振り返ると、ノアは空中を散歩でもするかのように優雅に歩いていた。


「なっ……」

「俺はこっちから行くよ」


 ノアは事も無げにそう言うと、隣にそびえる背の高い木に向かって歩いていく。


(〈飛行フライ〉の魔法ではない……? どうしてあんなに器用に動けるんだ?)


 ノアのその動きは、レティシアの理解を越えていた。

 普通、エルフにとって空を飛ぶ魔法といえば〈飛行フライ〉のことだが、これは風の精霊の力を借りて飛ぶものだ。そのため、速度は出るものの強い風圧が発生し、熟練の魔導師でも空中で静止したり、細かく方向転換をするような動きは難しい。


 レティシアは無理を承知で〈飛行〉の魔法を発動させ、ノアの後を追った。

 やはり勢いがつき過ぎて、彼をすぐに追い越してしまったが、なんとか勢いを殺して次の木の高枝に取り付く。

 そこに、ノアがふわりと降り立った。


「レティ、危ないよ」

「なあ、どうやってるんだ?」


 ノアのたしなめる声を他所よそに、レティシアは疑問を口にした。

 彼女がノアの独特な魔法に興味を持つのはいつものことだった。


 レティシアの質問を受けたノアは、にっこりと笑って答えた。


「あぁ、今の魔法? まだ見せたことなかったっけ? この魔法はね、――」


 結局、饒舌じょうぜつに魔法の効果や発動方法を語るノアの勢いにレティシアが負けたために、この日の彼らの稽古の時間は大幅に短縮された。



「――〈空歩エア・ウォーク〉」


 レティシアがその魔法を発動すると、彼女とイザベラを乗せた栗毛の牡馬ぼばの足がゆっくりと地面を離れた。


「……浮いてる! 浮いてるよ‼」


 イザベラが興奮した声を上げる。


 レティシアがイザベラに〈空歩〉の魔法について教えた後、二人は再び馬上の人となって、スラム街を抜けて町の北西の外壁前まで来ていた。

 そこでレティシアは、自分たちを乗せた馬にその魔法を掛けたのだ。


「手綱をしっかり握って、馬を動かしてやってくれ。坂道を上るような感覚で」

「わかったわ!」


 イザベラに指示を出しながら、レティシアは〈空歩〉をノアから習ったときのことを思い返していた。


『この魔法は、人や他の生き物にも掛けられるから、覚えておくと便利だよ』


 そう言われて覚えた魔法が、ノアの居ない今になって役に立っている。

 レティシアの心中では、ノアの先見の明に対して改めて敬服の想いが湧いていた。


「すごい……。人がもうあんなに小さく見える」


 イザベラは興奮冷めやらないという様子だった。

 二人を乗せた栗毛の馬は、そのまま町の外壁の真上まで来た。


 その時のことだ。


 ――お、おい! あれを見ろ‼

 ――馬が、空を飛んでる!?


 レティシアの長い耳は、外壁の上で兵士らが叫ぶ声を捉えていた。


「……さすがに、ここまで来れば見つかるか」

「見つかった? ヤバい?」


 目を細めるレティシアの視線の先には、弓矢を構える兵士の姿があった。


「問題ない。攻撃は全て私が防ぐから、焦らずにそのまま町の外へ向かってくれ」

「あいよ!」



 一方、マルティンは西門の前を戦陣の本営に見立て、立派な椅子を持ち込んで腰掛けていた。彼は、レティシアが捕らえられ、目前に連れて来られるのを今か今かと待っていた。


「まだ見つからんのか?」


 片足を小刻みに揺らしながら問うマルティンに対して、傍に控える守備隊の参謀は自らの顎髭をしごきつつ、推測を述べる。


「さすがにこの警備を突破できるとは思いますまい。どこかへ身を隠したか、あるいは……」


 その時、一人の伝令の兵士がマルティンらのもとへ息き切って駆け込んで来た。

 その兵の報告は、彼らの期待とは真逆のものだった。


「――申し上げます! 西の外壁の最北の位置で、賊を乗せた馬が空を飛んで外壁を越えたとのことです!」

「な、何だと〜ッッ‼」


 と、叫んだのはマルティンだ。一方の参謀も、兵士のこの報告には開いた口が塞がらなかった。


「馬が空を飛ぶとは……エルフが然様さような魔法まで操るとは存じませんでした」


 独白するように述べる参謀のセリフを聞いてか聞かずしてか、マルティンは悪罵を吐きながら頭をきむしった。


「……クソッ‼ ええい、すぐに守備隊と騎士達を動かせ! 森に逃げ込まれる前に捕らえるんだ!」

「ハッ!」


 焦りながらも、マルティンは兵に指示を出す。

 兵は敬礼を以って答えながらも、もう一つの報告事項を忘れなかった。


「また、いち早く賊の動きを察した騎士レオンハルト殿が、単独で賊の追走に当たっております」

「……おぉ!」


 それを聞いたマルティンの表情に光明が差す。


 ――ザルツラント最強の騎士が追っているのであれば、あの女エルフも容易に逃げおおせはしまい。


「そうか。では、すぐに他の者らもレオンハルトに続け!」

「ハッ!」


 兵士は答礼し、指示を各所に伝えるべく走り去った。


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// 【おまけ】


レティシア「……ハッ! いかん。魔法も良いが、シモン殿が待っているのだ。ノア、早く行くぞ!」

ノア「(ニヤリ。……計画通り)はいはい」

シモン「……どうやら、今までの稽古はやさしくし過ぎたようだな(静かに上着を脱ぐ)」


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// 【改稿履歴】

(2024年1月8日)訂正:シオン→シモン

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