第10話 夜天の脱走劇①
【お知らせ】
第6話の末尾におまけエピソードを追加しています。レティシアとユーグの子供時代の一幕です。
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『ガスハイム』の町中では、多くの衛兵たちが忙しなく誰かを探し回っていた。
道を行く一般人らは時折それに目を止めるものの、それほど驚くことはない。この町では大して珍しいことでもないからだ。
「遅い……ッ! まだ見つからんのか‼」
『ガスハイム』の代官補佐であるマルティンは守備隊の駐屯地の司令室で、苛立たしげに吐き捨てた。『夜蝶の館』から逃げだした彼は馬車でこちらに駆け込むと、部隊を動員してレティシアを捕縛するように指示を出した。
ここで、代官というのは領主から権限を与えられて町を実効支配する者であり、マルティンはその補佐に任ぜられている。また、彼は領主の血族でもあるため、守備隊に属する者は決して彼を粗略に扱うことはできなかった。
マルティンとしては自ら兵を率いてレティシアの捕縛に向かいたいところだったが、守備隊の隊長や参謀に
「……そうですな――」
老練な守備隊の参謀が、さて、何と言ってこの御仁を落ち着かせようかと口を開いたそのとき、一人の兵士がこの司令室に駆け込んできた。
「申し上げます!」
「見つかったか!」
マルティンが喜色を見せて兵士の報告に食いつく。
果たして、兵士は首肯を
「はい! 賊は馬に乗って逃亡中。町の西門へ向かっているようです。また、協力者と見られる女が同じ馬に同乗しています」
「西か……。森へ逃げ込む気だな。そうはさせんぞ。――西門の見張りの数を倍にせよ!
「ハッ!」
指示を受けて兵士が立ち上がったところで、マルティンはあることを思い出した。
「待て。――騎士団はもう動いているだろうな?」
兵士は直立して振り返り、敬礼を返しながら答える。
「ハッ! 非番の方を含め、十名ほどの参集を取り付けたと聞いております!」
「十人か。エルフ一人を捕まえるには過剰な戦力ではあるが……まあ、良いだろう」
その答えに満足したマルティンは、手を振って兵士の退出を促す。
兵士が走り去ると、マルティンは
「……おや、どちらへ?」
参謀は答えがわかっていながらも、敢えて
「決まってるだろう。僕も現場に出る」
参謀は溜め息を押し殺すと、彼に随伴すべく自らも席を立った。
*
レティシアは、栗毛の
「し、舌噛みそうニャ〜! 馬ってこんなに速かったのニャ〜‼」
そんなレティシアの肩にしがみついたシャパルが泣き言を言う。
「? 何か言った!?」
手綱を握って前方を見ていたイザベラは、レティシアが何言か話しかけてきたのかと思った。
「気にするな! それより、どこに向かってるんだ?」
「裏通りを抜けて、スラムに向かうわ! 西門の近くに抜け道があるの」
二人を乗せた牡馬は、人目を避けるようにして夜の町中をしばらく駆け続けた。
――レティシアらが『夜蝶の館』を出てから、およそ四半刻後。
スラム街に
イザベラによれば、この家の地下に町の外へ通じる抜け道を使うための案内人が居るとのことだ。
「……馬を見ていてくれる?」
「わかった。――シャパル、彼女に付いて行ってくれるか」
スラム街に馬を放置していれば、あっという間に盗まれてしまうだろう。
レティシアは、自分では案内人と交渉することなどできないということを理解していたため、せめてシャパルを彼女に同行させることにした。
シャパルはレティシアの肩から降りると、イザベラの足元でにゃあと鳴いた。
「あら、可愛いわね」
イザベラはシャパルを抱き上げて、ボロ家の中に入っていった。
数分後、ボロ家から出てきたイザベラは、浮かない顔で首を横に振った。
それによって、レティシアは交渉の結果を悟った。
「……駄目だったか」
「衛兵の数が多すぎるから、今夜は抜け道は使えないって。
あとは、一番警備の緩い東門まで行って、交代の隙でもついて強行突破するぐらいしかないけど……」
それを聞いたレティシアは西側の街壁を見
「――であれば、ここで別れよう。私一人なら壁を越えて外へ出られる」
それを聞いたイザベラは
そんな手段があるとは、想像もしなかった。
「そんなことができるなんて……」
とはいえ、それだけで問題が解決するわけでもなかった。
「――でもさ、壁を越えた後はどうするの? 兵隊さんらが馬に乗って追い掛けてきたら、足がないとキツいんじゃない?」
イザベラの指摘は的を射ていた。
いかにレティシアといえど、複数の騎馬兵に追われれば徒歩の身で無事に逃げ切れるとは断定できない。
「森に入りさえできれば、なんとでもなるが……」
レティシアは思案する。
外壁から森までは最短でも数里はある上に、町の外には人が隠れられるような場所も乏しい。
「森に入るまでが勝負かぁ……」
レティシアと共に頭を悩ませていたイザベラだったが、一つ、
「――ねえ、一人で門を越える方法って、どんなの?」
*
『ガスハイム』の町の中心地にほど近い、騎士団の詰所にて。
一人の男が水筒を片手に、ふらふらと庭を歩いていた。
「……休日だってのに、精が出るねぇ」
男の視線の先には、黙々と剣の型稽古を続ける別の男――トビアスがいた。
トビアスは同僚である男の視線に気づくと、稽古を中断して振り返った。
「レオンハルトか……。貴様、また酒を飲んでいるな?」
「水だよ、水。疲れた心と体を癒やしてくれる、魔法の水さ」
「……ふん。まあいい。団長には黙っておいてやる。その代わり、ちょっと付き合え」
トビアスは、そう言って手にした剣をレオンハルトに向ける。
「おー、いいぜ。ちょうど暇してたところだ」
レオンハルトは軽く了承すると、雑に剣を抜いて片手で構えた。
「……その水筒は置かんのか?」
「置かせてみろよ」
「……言ったな。後悔するなよっ‼」
額に青筋を立てたトビアスは、鋭く踏み込んでレオンハルトに襲いかかる。
その二分後、大地に手を着いて
「うぅ、気持ち悪ぃ……」
「……呆れた奴だな。どれだけ飲んでたんだ……」
「げろげろ。おえぇぇ……」
レオンハルトはトビアスとの剣の勝負に敗れたわけではない。
むしろ、トビアスが次々に繰り出す攻撃を軽々と
しかし、急な運動にレオンハルトの胃は逆流を起こしたようで、トビアスが最後に放った剣撃を避けた後、その場に倒れ込んでしまった。
レオンハルトが庭の隅で
「……頼もうー‼」
続けて、扉の向こうから、やや切迫した様子の声が上がった。
「……誰か来たようだな。――俺が出てこよう。お前はもう少しそこで休んでおけ」
「あぁ、任せたぜ……」
彼が
「……守備隊の者か。どうした?」
「捕り物です。動ける騎士の方々に手をお貸しいただきたく」
「捕り物だと? 賊は何人だ?」
捕り物――即ち、罪人を捕縛するための作戦行動ということだ。
トビアスの問いに対して、兵士は息を整えつつ、答えた。
「一人です。ただし、腕の立つエルフとのことです」
「――乗った」
兵士の言葉に応えたのは、レオンハルトだった。
いつの間にか隣に並び立っていた彼にトビアスが目を見張る。
「レオン! 貴様、もう具合は大丈夫なのか?」
「ああ。腕利きのエルフが相手とは、面白そうじゃねぇか」
レオンハルトの顔を見た兵士は、
「おお! これはレオンハルト殿! ザルツラント最強と
そう。このレオンハルトという騎士は国内でも屈指の実力を持つ騎士として知られる人物なのである。
従って、彼は領内の兵士から憧れの視線を向けられることには慣れたものだった。
「おう。任せとけ」
レオンハルトは歯を剥き出しにして、ぎらつくような笑みを見せた。
戦士として高みに達してしまったレオンハルトは、好敵手のいない日々に飽き飽きしていた。
そこへ降って湧いた、エルフの強者という未知の獲物を逃す気はなかった。
できれば、自分を
まだ見ぬエルフとの戦いがレオンハルトを満足させるものであればよい、とそう願う一方で、一抹の不安を拭えなかった。
(勢い余って、また何かやらかさなければ良いが……)
こうして、レオンハルトやトビアス含む十名の騎士が、レティシア捕縛のために町へ繰り出すこととなった。
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// 【改稿履歴】
(2023年10月16日)
・「戦士として高みに達してしまったレオンハルトは、」〜「こうして、レオンハルトやトビアス含む十名の騎士が、(後略)」の部分。主に追記だが、一部削除・書き換え有り。
・馬の描写を追加→栗毛の牡馬
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