第9話 貴族とのトラブル

「口が臭くてかなわん。寄るな。汚らわしい」


 マルティンにそう言い放ったレティシアは、鬱陶しそうに彼の手を振り払った。


 しばし、呆けていたマルティンだったが、段々と顔を紅潮させ、わなわなと全身を震わせた。


「き、き、貴様〜ッ‼ ここザルツラント領の主の息子であり、この町の統治者の一人でもあるこの僕に向かって、なんて口の利き方をッッ‼」


 マルティンは怒りに目を血走らせ、唾を飛ばしながら喚き散らした。

 すました顔で唾を防ぐレティシアに対し、彼の怒りは更に燃え上がった。


「おい、お前! この女を捕らえろ! もう妾になどしてやるもんか! 奴隷にして僕のすごさを思い知らせてやる!」


 マルティンの指示を受けた護衛の一人が立ち上がり、レティシアを拘束すべく歩み寄る。

 しかし、次の瞬間には護衛の男の体は宙を舞っていた。


 男はテーブルに背中から落下し、派手な音を立てて料理や酒を食器ごと飛び散らせた。


「な、なっ! 女エルフ、貴様の仕業かっ‼」


 驚いたマルティンがいつの間にか立ち上がっていたレティシアにたずねるが、彼女は肩をすくめてみせた。


「……さぁな。酔って足を滑らせたのではないか?」


 その小馬鹿にしたような態度に、マルティンの怒りのボルテージは更に上がった。


「――こ、このエルフのクソ女がッ‼ おい、お前ら‼ この女に地面を舐めさせろ! 手足を折っても構わん!」

「「ハッ‼」」


 マルティンの叫びに応え、続いて二人の護衛の男らが席を立ち、レティシアを挟み込むように慎重に動いた。

 だが彼らは一斉にレティシアに飛びかかると、そのまま互いに額同士をぶつけて昏倒してしまった。


「何をやってるんだ、貴様らはッ……!?」


 マルティンが信じられないものを見たような表情で嘆きの声を上げる。


「――で、貴様はどうするんだ?」


 レティシアは彼との距離を一足の内に収め、ただ静かに佇んでいた。


 ――貴様も床に沈めてやろうか。


 マルティンは、まるでそう言われているように感じた。

 今や、彼を守る護衛はみな、無力化されてしまっていた。


「ひっ……!」


 恐怖に怯えたマルティンは、思わず一歩、足を後退させた。

 そして、そのままきびすを返すと、一目散に店の入口へ駆け出した。


「……お、覚えてろよ‼ お、お前は絶対に僕の奴隷にして、どっちが上かわからせてやるからなっ‼」


 そんな捨て台詞を残し、マルティンは逃げるように店から駆け出して行った。



「……大変なことをしでかしてくれたなぁ」


 店の奥の一室にて。

 ホールを後にしたレティシアは、ブルーノによってそこに招き入れられた。

 彼は頭を抱えていた。


 マルティンは一旦、立ち去ったものの、いつまた兵を引き連れて戻ってきても不思議ではない。

 そうなれば、『夜蝶の館』はとても営業など続けられない事態になるだろう。


「……すまない。あの男の態度に耐えられなかった」


 人間の世界の事情には疎いレティシアだが、自分の取った行動があまり褒められたものでないということは察していた。

 ブルーノが大きな溜め息をく。


「はぁ……。クソッ、そりゃ俺のフォロー不足もあったな」


 彼はボリボリと頭を掻くと、何かを決心したかのように膝を打った。


「――仕方ねぇ! 捕まりたくないんだったら、さっさと逃げるんだな」


 その言葉を聞いたレティシアは、驚きに目を瞬かせた。


「……良いのか? あの男はそれなりの身分の者なんだろう?」


 危ぶむレティシアに対して、ブルーノはニヤリと笑みを見せた。


「……この商売やってると意外に思われるがなぁ、俺は女が食い物にされるのを見るのは嫌なんだよ」


 そのセリフの意味するところがわからず、レティシアは小首を傾げる。ブルーノはそんな彼女を見て、つい声を上げて笑ってしまった。


「まあ、心配は要らねえよ。お前さんは店とは無関係ってことで切り抜けてみせる。味方もいる。なんとかなるさ」

「そうか……――感謝しよう」


 レティシアは姿勢を正し、一礼する。

 ブルーノは鷹揚に頷きつつ、一言釘を刺すのを忘れなかった。


「ただし、これは貸しにしとくからな。必ず返せよ。――俺が生きてる内にな」


 レティシアはふっと口元を綻ばせた。


「あなたはきっと、エルフは義理堅い生き物だと知るだろうさ」

「期待しとくぜ」


 生真面目な女エルフのセリフに対して、ブルーノはひらひらと手を振ってみせた。



「こっちよ、急いで!」


 ドレスから元の服装に着替えたレティシアは、同じく身軽な格好に着替えたイザベラに案内されて『夜蝶の館』の裏口へ向かっていた。シャパルと荷物も回収し、脱出の準備は万端だ。


「ここよ」


 裏口を抜けた先には、厩舎きゅうしゃがあった。

 なるほど、移動のために馬を使うというのだろう。

 しかし、馬を使う上で一つ大きな問題があった。


「……私は、馬に乗ったことなどないぞ!」


 そう。森の奥で生まれ育ったレティシアに、乗馬の経験は無い。

 しかし、イザベラが慌てることはなかった。


「大丈夫。あたしが乗れるから」

「何っ……!?」

「……この子が良いわね」


 驚くレティシアを尻目に、イザベラは一頭の栗毛の牡馬ぼばを選ぶと、テキパキと馬具を取り付けていく。


「牧場育ちなのよ、私」

「い、いいや。危険だ! これから私を追って、あの男が兵士たちを動かすのだろう? あなたまでそれに巻き込むわけには――」

「あいつねぇ、あのご領主様の息子だけど、」


 レティシアはイザベラの身を案じて、考えを改めるように訴えたが、イザベラはその言葉に被せるように言った。


「ぶっちゃけ、あたしも相当ムカついてたからさ。あんたが言ってくれて、スカッとしたのよ。そんだけ!」


 言い終えると、彼女は勢いよくその牡馬の背に跳び乗った。それから、騎乗の感覚を確かめるように馬を数歩、歩かせる。


「……よしっと! そこから後ろに乗れるかい?」


 準備が整ったらしいイザベラが、レティシアに呼び掛ける。


 彼女の考えを変えるのは無理らしい、と悟ったレティシアは一つ息を吐いて、両の頬を手で叩いた。

 そして、ふわりと飛び上がると、イザベラの背後にすっぽりと収まり、牡馬の背にまたがった。

 イザベラは、彼女の軽やかな動きにやや目を奪われた。


 ここで、レティシアはイザベラに一つの誓いを立てる。


「――約束しよう。あなたには、傷ひとつ負わせないと」


 凛とした美しい女エルフに耳元で囁かれて、イザベラは少し自分が妙な気分になったように感じた。


「……ま、まるで物語に出てくる騎士様だね。――じゃあ、行くよ! しっかり掴まってなよ!」

「ああ!」


 こうして、二人(と一匹)を乗せた栗毛の馬が夜の町へと駆け出した。



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// 【おまけ】


『――俺は女が食い物にされるのを見るのは嫌なんだよ』


フラヴィ「そんなこと言ったの、あの人間?」

レティシア「どうしたんだ、フラウ?」

フ「いや、純真な女エルフを騙しておいて、何様のセリフよって思ってね。今度、どの魔法の実験台にしてやろうかしら」

レ「…ほどほどにしてやってくれ。私は彼に恩義を感じている」

フ「あなたは少し人を疑うことを覚えた方がいいわね。ま、それがあなたの魅力でもあるんだけど」


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// 【改稿履歴】

(2023年10月16日)馬の描写を追加→栗毛の牡馬


※作者に乗馬経験はありません。何か描写におかしなところがありましたら、ご指摘いただけると幸いです。

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