第8話 夜蝶と妖精
『ガスハイム』の町に夜の帳が下りる。
冒険者や荒くれ者が多いこの町の夜は、レストランや酒場に集う人々によって賑わいを見せる。
そうした賑わいを見せる繁華街の奥に、際立って大きな店がある。
それが、ブルーノの経営する酒場『夜蝶の館』だ。
「二番テーブル、ご指名入りました!」
「「ありがとうございます!」」
『夜蝶の館』の店内では、黒のスーツに身を包んだスタッフが酒や料理を手に動き周り、きらびやかに着飾った女性店員が男性客の隣に座って酒を注いでいた。
後者の、男性客の隣で談笑しながらサービスを行うドレス姿の女性の存在が、この店の最大の特徴であり、ここが繁盛している理由でもある。そういった女性のことをこの店では「キャスト」と呼んでいる。
店の奥から様子を
大柄な彼がその両の掌を打ち合わせて鳴らすと、店中の視線が彼に集まった。
「みなさん、今宵も当店をご
彼は良く通る声で、役者のように朗々と口上を述べた。
「今夜は当店の新しいキャストを紹介させていただきます。
ご覧ください! 遠い森の奥から現れ、この地に舞い降りた可憐な妖精――レティシアです!」
一方、キャスト用の通用口で待機していたレティシアは、居心地の悪い思いをしていた。
「……ほ、本当にこの格好じゃないと駄目なのか?」
「バッチリ決まってますよ。……いいから早く行って下さい!」
最後まで踏ん切りのつかないレティシアだったが、店員に背中を押されてドレス姿を衆目にさらすことになる。
彼女は大きく背中の空いたノースリーブのドレスを着せられていた。恥ずかしさにやや顔を伏せ気味にしていたものの、鍛え上げられた体幹が揺らぐことはなかった。うっすらと上気した頬が、彼女をより艶めかせていた。
男性客らは彼女の容姿に目を奪われ、思い思いの言葉を発した。
「おぉ、エルフじゃないか!」
「なんという美しさだ……」
「あの脚線美……ああ、足蹴にされて罵られたい」
「おま……そういう趣味かよ」
レティシアはこの後の指示を求めて、ブルーノに視線で訴えた。
ブルーノは顎をしゃくって、一つのテーブルを示す。
「一番テーブルだ」
それを聞いたレティシアが客の視線から逃げるかのように足早にテーブルに向かうので、ブルーノは少々、眉を
「レ、レティシアだ。よろしく頼む」
ソファに腰を下ろしたレティシアのぶっきら棒な挨拶に、その場の空気が若干、固まる。
既に席に居たベテランのキャストがやんわりと彼女のフォローを行う。
「ごめんなさいね。この子、今夜が初めてで、人間の町に来たのも最近なのよ」
それを聞いて、男性客が納得の声を上げる。
「へえ。生粋のエルフってわけか。どこの森から来たんだい?」
「大森林の奥だぞ。すまないが里の掟で、詳しくは語れないのだ」
男の問いに対して、レティシアは答えをぼかした。
『サン・ルトゥールの里』はかつて人間と争いがあったため、出身は明かさないようにと、レティシアは里の長老達から厳命を受けていた。
だから、この後の男のセリフに彼女は驚きを
「おぉ。そいつはすげえや。まるで、伝説の『サン・ルトゥール』のエルフだな」
「知っているのか!」
レティシアが
「え……? まさか、マジで『サン・ルトゥール』のエルフなの?」
自分の一言が余計なものだったと悟ったレティシアは、慌ててそれを否定する。
「い、いや。違うぞ! 私じゃない! 『サン・ルトゥールの里』はエルフの間でも有名だからな。人間の間でも有名なのかと驚いたのだ」
「……なあんだ。そういうことか」
レティシアの言い分にはそれなりに信
ベテランキャストの女性に溜め息を
「お客様四名、お入りです!」
店内のホールにスタッフの声が響く。
すると、入口からやってきた者たちの姿を確かめた客達の間で小さなどよめきが起こった。
「おい、あれって……」
「ああ。領主様のご子息だ」
「放蕩息子だっていう、噂の?」
「足蹴にして罵りたい」
「シッ! 黙ってろ。……あの方のお耳に入ったら、殺されかねないぞ」
そこには華美なスーツに身を固めた若い男と、それを取り囲む三名の屈強な男達がいた。
一旦は店の奥に退いていたブルーノだが、彼らを見るや否やホールに出て行き、スーツの男の眼前で恭しく頭を下げた。
「マルティン様。ようこそいらっしゃいました」
「ああ、今夜も来てやったぞ」
スーツの男――マルティンは、尊大な態度でそう返した。
彼はここ『ガスハイム』の町を含む『ザルツラント辺境領』を治める領主の三男で、この町の代官補佐を務めている。
そんな彼は最近、ブルーノが経営する『夜蝶の館』を気に入って、足繁く
「こちらへどうぞ」
ブルーノは速やかにマルティンをVIP用の席へ案内しようとした。
しかし、マルティンはすぐには動かなかった。きょろきょろと店内を物色していた彼は、あるテーブル席に目を止め、そこに居た耳の長い金髪の美女の存在に気がついた。
「おお、エルフが入ってるじゃないか。この前、来たときは居なかったよな?」
「……本日入ったばかりの新人でして。今は経験を積ませているところです」
レティシアの存在にできれば気づいてほしくなかったブルーノは、話が嫌な流れに向かいそうなことを感じていた。
「へえ、いいな。――よし、今夜はあのエルフにしよう。すぐに僕のテーブルに来させろよ」
マルティンのその言葉を聞いて、ブルーノは内心で盛大に舌打ちをした。
「しかし、何分まだ教育不足ですので、どのような粗相をしでかすか――」
「いいから、呼べって言ってるだろう」
「……畏まりました」
ブルーノは渋々頷くと、レティシアを呼び寄せ、連れ立ってマルティンらを案内した。
「……いいか。そこのお方は貴族だ。くれぐれも失礼のないように、丁重に応対するんだ」
「わ、わかった。努力しよう」
ブルーノは小声でレティシアに今できる最大の助言をしたが、不安を完全に払拭することはできなかった。
そこで、ブルーノはしばらくVIP席にそのまま留まって、レティシアのフォローをしながらマルティンらを饗応した。
「それでは、私はこれで。……イザベラ、後は頼んだぞ」
「ええ」
ややあって、優秀なキャストの一人であるイザベラに後を任せ、ブルーノは席を離れた。
事件はその後で起こった。
マルティンは隣に座っていたレティシアの肩にいきなり腕を回し、抱き寄せた。レティシアは思わず身を強張らせる。
「へっへ〜。お前は本当に美しいなあ。肌もすべすべだ。どうだ、僕の妾にならないか?」
べたべたと素肌を撫で回してくるマルティンに対し、レティシアは鳥肌を立てた。
「マルティン様、レティシアはまだ人間に慣れていないのですよ。
マルティンを挟んでレティシアの逆側に座っていたイザベラがやんわりと
しかし、マルティンは彼女に舌打ちを返した。
「うるさいな。中古は黙ってろよ! 僕は今、彼女と話しているんだ」
そう言うとマルティンはもう一方の手をレティシアの顔に伸ばし、無理やり自分の方を向けようとした。
すると、レティシアはその手を振り払った。
意外な対応に驚いたマルティンだが、レティシアはそんな彼の顔を真正面から見つめ返した。
マルティンの顔が下卑た笑みでだらしなく緩む。
「なんだ? 僕の妾になる気になったか?」
しかし、レティシアの次のセリフは、彼の質問とは全く関係のないものだった。
「――臭い」
「……は?」
マルティンの目が点になった。
(この女、今、この僕に向かって何と――)
レティシアは更に言葉を続ける。
「口が臭くて
マルティンは呆然と大口を開け、イザベラは噴き出しそうになるのを必死に我慢していた。
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