第7話 お金を稼ぐために

 日暮れを迎え、『ガスハイム』の町の繁華街は夜の顔を覗かせつつあった。

 一台の馬車が通りを下り、その中の一際大きな店の横手に回り込むと、勝手口の前で足を止めた。


「着きましたよ」


 馬車の御者台からゲラルトが声を掛けると、ワゴンの中で膝を抱えていたエルフの女――レティシアは腰を上げた。彼女は努めて無表情を取り繕っていたが、内心では不安を感じていた。


「ごめんください」

「――はい。おや、ゲラルトさんですか。今宵はどんなご用事で?」


 ゲラルトが店の勝手口の戸を叩くと、彼を知る店員が姿を見せた。


「人を紹介したいのですが、今から店長と話せますか?」

「……なるほど。そちらのお嬢さんですね」


 店員は頬被りを着けたままのレティシアを見て、納得したようにうなずいた。


「そうですね。まだ営業前ですし、今なら大丈夫でしょう。それでは、こちらへどうぞ」


 彼はきびすを返して、ゲラルトとレティシアを店内の一室へと案内した。

 小ぢんまりとしたその部屋には中央にテーブルがあり、商談にでも使えそうな雰囲気があった。


「こちらで少々お待ち下さい」


 そう言い置いて、店員はその場を離れ、店の奥へ向かった。


 レティシアらが室内で待つこと数分。

 足音に続いて姿を見せたのは、浅黒い肌をした大男だった。


「ゲラルト! よく来たな」

「ブルーノ。相変わらず、元気そうですね」


 ゲラルトとこの店の店主――ブルーノが固く握手を交わす。


「当然! ……で、紹介したいってのは、そこの嬢ちゃんか?」


 意気軒昂けんこうなブルーノがレティシアに顔を向けると、ゲラルトが首肯する。


「ええ。レティシアさん、フードを取って、挨拶してもらえますか?」

「ああ」


 手拭いを外したレティシアの容貌を間近で見て、ブルーノは驚きに身を固めた。


「レティシアという。見ての通りエルフだ。出身は、まあ、森の深いところとだけ言っておこう」

「……驚いた。エルフは美人が多いが、お嬢さんは格別だ」


 我に返ったブルーノは大きく両手を広げて、彼女の美貌を称えた。


「ブルーノ。そういうわけで、少し別室で話せますか?」

「……ん?」


 ゲラルトのその提案に片眉を上げたブルーノだが、直後に何かを察した察した様子で顎をしゃくった。


「いいだろう。じゃあ、こっちに来てくれ。――お嬢さん、また後でな」


 そして、取り残されたレティシアは一人、室内で彼らを待つことになった。


 レティシアの足元にいたキツネコのシャパルがテーブルの上に飛び乗り、言う。


「……まんまと一杯食わされたニャ」


 彼は、人間の前では喋っている姿を見せないようにしていた。

 キツネコそのものは珍しい生き物ではないが、人語を解する妖獣となれば話は別だ。それはトラブルを招く可能性があった。


「……レティシア、今の内に逃げた方が良いんじゃないかニャ?」


 シャパルはそのように提案したが、レティシアは首を傾げた。


「なぜだ? 待っていればお金が手に入れられるようになるのだろう? むしろ、ここで逃げ出すと盗人になってしまうのではないか?」

「それはそうにゃんだけど……。あいつら、なんか怪しい気がするニャ」


 レティシアらが小声で会話をしていると、先ほど部屋から出て行った二つの足音が戻ってきた。


「……もう話している時間はないようだな」


 再びその部屋に姿を見せた二人は、朗らかに会話を続けていた。


「いやあ、良い取引でした。では、私はこれで」


 ゲラルトはそのように言うと、レティシアとは言葉を交わすことなく、そのまま店の外へと歩き去っていく。

 話の流れがわからないレティシアは、ただそれを見送ることしかできなかった。


「ああ、ありがとよ」


 ブルーノはゲラルトが去っていくのを見届けた後、レティシアの方に向き直った。

 どうやらレティシアは、これから彼と話をしなければならないようだ。


「――さて、まずは確認だ。お前さんはゲラルトから借金をした。そして、金の持ち合わせがなくて、払えなかった。間違いないな?」

「まあ、そういうことになるな」


 元から借金をするつもりがあったわけではないが、大筋では間違っていないと、レティシアはブルーノの言葉を認めた。

 彼女の答えを聞いてブルーノも頷く。


「よし。それは俺が建て替えておいた。紹介料と合わせて、金貨二十枚で手を打ってもらった」

「なに、二十枚だと?」


 レティシアは一瞬、耳を疑った。だが、聞き間違いではないらしい。

 ブルーノは頷きつつ、話を続ける。


「ああ。――つまり、お前さんは俺に金貨二十枚の借金があるってことだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 ブルーノの言葉に対して、レティシアは慌てて両手を前に振り上げ、話を遮った。


(……どうなっているんだ? さっきまで代価は金貨一枚という話だったのに、なぜそれが二十倍に……)


 しかし、ブルーノは彼女に考えるための時間を与えてはくれなかった。


「なんだあ? 今の説明に何かおかしなところがあったか?」

「いや、おかしいと言えるかはわからないが……」


 冷静さを奪われたレティシアには、ブルーノの話の問題点をすぐに指摘することはできなかった。


「じゃあ、何も問題ねぇな。もちろん、仕事の世話はしっかりやらせてもらうぜ。なあに、お嬢さんほどの美人なら、金貨二十枚なんてすぐさ」


 そのように言われて、未だ混乱の渦中にいるレティシアの心が少しだけ安堵あんどに緩む。


「そ、そうなのか」

「ああ。――おぉい、誰か来てくれ!」


 ブルーノが大声で呼びかけると、先ほどレティシアとゲラルトをこの部屋に案内した店員が再び姿を見せた。


「はい」

「このお嬢さんが今夜から店に入る。色々教えてやってくれ」

「畏まりました」


 シャパルが小声でレティシアに訊ねる。


(……レティシア、これ、大丈夫にゃんか?)

(…………)


 レティシアは、答える言葉を持たなかった。



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// 【おまけ】


 ゲラルトはこのとき、デュースウォームの蜜液が入った小瓶をちゃっかり持ち逃げした。

 彼は、領主と取引がある商会にそれを持ち込み、金貨百枚を引き換えに得た。

「……さすがにこれは儲けすぎですね。あのエルフには悪いことをしました。まあ、授業料だとでも思ってもらいましょう」


 後に、蜜液の小瓶のことを思い出したレティシアは地団駄を踏んで悔しがった。

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