第3話 回想:子供時代①

 空が茜色に染まる頃、レティシアとシャパルは未だ森の中にいた。


「小屋が見えてきたニャ」


 レティシアの肩に乗っていたキツネコのシャパルが顔を上げて言った。

 その小屋――と言っても、ツリーハウスのようなもの――は、集落で森番を務めるエルフが建てたもので、夜番などの際に利用されるものだ。

 こういった見張り小屋の大まかな位置を把握していたレティシアは、ひとまずそこを目指して進んでいた。


「ああ。今夜はあそこで休もう」

「それがいいニャ。もうくたくたニャ」


 肩に腰掛けてぐったりとしているシャパルに対し、レティシアが呆れた顔を向ける。


「……お前は私の肩に乗っていただけだろう」

「そんなことないニャ! ちゃんと周囲の警戒をしていたニャ」

「はぁ……。まぁ、何でも良いが」

「よくないニャ! おいしいごはんを要求するニャ」

「……私は料理は上手くないからな。期待はするなよ」


 そんな会話をしながら、一人と一匹は小屋のある木に向かった。



「――こうしていると、昔を思い出すな」


 夜の帳が降りた後の小さなツリーハウスの中で。

 レティシアが生み出した魔法の明かりを挟んで、一人と一匹は向かい合って座っていた。

 既に簡単な食事を終え、後は就寝するだけ、という状態だ。


「昔? ノアに関係のあることニャ?」


 シャパルが問い返すと、レティシアはうなずいた。


「思えば、里から離れて夜を過ごしたのはあのときが初めてだったかな」

「……あ、これは長くなるやつニャ」

「そうだな。夜はまだ長い。少し語ろうか――」


 どこか悟りを得たような顔をするシャパルを前に、レティシアは語りだした。



 あれはもう三十年以上前のことになるか。

 当時の私はまだ幼く、未熟だった。

 しかし、そんな私にも同世代では勝負になる相手がいなくてな。そのせいでますます増長していたとも言えよう。


 ノアと初めて会ったのもその頃だ。

 正直、最初は変なやつだと思った。

 里長の孫である私に対して、何の遠慮もなく話し掛けてきたと思ったら、いったい何と言ったと思う?


「君の家に本はある?」


 ――だ。

 当時の私は――自分で言うのもなんだが――やんちゃ盛りで、文字の勉強が嫌で母から逃げ回っていたような子供だ。


「本〜?」


 眉間にしわを寄せてそう聞き返したのだが、ノアは特に気にした様子もなく頷いた。


「そう、本。この際、木板でも何でもいいんだけど」


 まるで、木板以外の本を知っているような口ぶりだったな。

 その時からノアは、まるで誰も教えていないことを以前から知っているかのような、不思議なところがあった。


「本なんか、知らない」


 本に興味のない私はそう言って、彼の前から走り去った。


「――そうか。ないのか……」


 たぶん、ノアはあのとき、落ち込んでいたんだと思う。

 今思えば、申し訳ないことをしてしまったものだ。家には里の中で一番本が揃っているというのにな。



 それから一月か二月ほど経った頃だったか。

 私は当時、家によく出入りしていたコレットという女性からこんな噂を聞いた。


「――『トレセソンの陣跡じんあと』にお化けが出たそうですよ」


 『トレセソンの陣跡』は知っているな?

 その昔、まだ森に人間たちが侵攻を仕掛けていたときに戦上手のトレセソンが築いた戦陣の跡地だ。

 今でも拠点として使われていた建物は残っているが、あの頃は柵やほりなんかもあったから、今よりも戦陣としての名残を強く残していた。


 当時の私は、それ以前に父に連れられてあそこまで行ったことがあった。


「森番の人は大丈夫なの?」


 私がたずねると、コレットはくすりと笑った。


「森番の者はみな腕自慢ですから、お化けなんかにやられたりしませんよ。ああ、でも森に採集に行く者は気をつけた方がいいですね」


 コレットがそんな風に言うので、私はそれなりに危険なお化けがいるのだと察してしまった。


 そして、「私がやっつけてやる」――そう思ってしまった。

 お化けを退治して、父や祖父に褒めてもらいたい。そういう気持ちがあった。


 私は大人たちに隠れてフラヴィやユーグに声を掛け、ある晩、三人で里を抜け出した。

 二人にも協力してもらいながら、見張りの目を盗んで里を離れて百間ほど進んだ頃か。


「……待って。誰かいるよ」


 最初に気づいたのはフラヴィだったか。

 私も魔法で索敵をして、その人物の存在に気づいた。


「ノア……!」


 そこにいたのは、ノアだった。

 後から本人に聞いたところによると、この時のノアは夜光草など夜しか採れない植物を採集していたそうで、ちゃんと森番にも話を通していたそうだ。


「こんなところで何してるんだよ」


 と言ったのは、ユーグだったかな。

 「お前が言うな」と返されても仕方がないような口ぶりだが、ノアはきょとんとしていた。何を思っていたのかはわからんが、私はすっかり早合点して、「この子もこっそり里を抜け出して、何かよくないことをやっているのだろう」と思ってしまった。


「ユーグ、止まって」


 私はノアに詰め寄ろうとするユーグを制止した。


「ノア、ここで出会ったことは見逃してあげる。その代わり、あなたも私たちについて来て」


 当時の私は見栄っ張りな部分があったから、ノアも仲間に引き入れて、ついでに「いいところを見せてやろう」という気持ちがあった。


「こんなやつ、足手まといなだけだぜ」


 ユーグがそう言って渋っていたが、


「足手まといが一人ぐらいいても、どうってことないでしょう」


 私がそう言って押し切った。


 ノアは今ひとつ会話の流れについて来ていないような様子だったが、きょろきょろと周囲を見回した後、


「君たちだけでどこに行くんだい?」


 と、逆にいてきた。


「『トレセソン』」


 私が短く答えると、ノアは小さく首を傾げた。


「『トレセソン』……? あぁ、あの戦場跡か。……ははぁ、さては肝試しといったとこかな」

「そんな子供っぽい用事じゃない」

「お化けを退治しに行くのよ」


 ノアの推測に対して私が口を尖らせると、フラヴィが説明してくれた。

 それを聞いたノアはきっと怖気づくだろうと思ったが、彼は飄々ひょうひょうとした態度を崩さなかった。


「いいよ。行こう」


 彼はそのとき、不敵な笑みを浮かべていたように思う。

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