第2話 決断

「ノア、あの愚か者め……」


 エルフの集落内のとある一角で、レティシアは物思いに沈んでいた。


『外の世界を見に行く。この里に帰って来るつもりはない』


 昨日、狩りに出たまま帰って来なかったというノア。

 彼が世話になっていた叔父の家からその書き置きが見つかったのは、ちょうどレティシアが里に戻ってそこに辿たどり着いた頃だった。

 それが紛れもなくノア自身の筆跡であることは、レティシアにも疑いの余地がなかった。



 ここ『サン・ルトゥールの里』と呼ばれるエルフの集落では、千名余りのエルフが生活している。

 エルフは排他的な性質を持っており、集落で生まれたエルフはそのほぼ全てが一生をその集落で過ごす。

 外部との繋がりを持たない彼彼女らにとって、それは当たり前のことだった。

 有り体に言ってしまえば、彼らは生粋の引きこもりなのである。


 しかし、ノアは違った。


『どうして森の外に出ちゃいけないんだい?』


 幼い頃、レティシアは彼にそんな質問をされたことがある。


おきてだから』


 レティシアがそう答えると、その掟の意味や、それを定めたのは誰かなど、ノアはしつこく掘り下げてきた。


『今度、お祖父じい様に聞いてみる』


 それを今度はレティシアが、里長さとおさでもある長老のモルガンにたずね、彼を辟易へきえきさせるのだった。



「私が里長になれるまで、待てなかったのか……」


 レティシアは再び独りごちた。

 里長の孫娘であるレティシアは、里長を目指せばなれる立場にいる。

 彼女自身、ノアの影響で里の掟について疑問を持つようになっており、もし里長になったら一通り見直そうと思うほどだ。


『私が里長になったら、お前が大手を振って外に出て行けるようにしてやる』


 レティシアは数年前にノアにそう言ったことをおぼえている。

 有言実行の彼女にとって、それは一種の誓いだった。


 ――ただし、長寿のエルフのことだから、それが下手をすれば百年単位で未来のことになるということを、彼女もノアも理解していた。



「レティ、ここにいたのね」


 過去を思い返してやや沈んでいたレティシアの前に、銀髪のエルフが現れた。


「……フラウか。どうした?」


 それは先刻、連れ立って森を探索していたフラヴィだった。


「行くんでしょう?」


 彼女はたったそれだけをいてきた。


「……どこへ?」


 レティシアは敢えて問い返した。


「もちろん、ノアのところよ。追いかけるんでしょう?」


 エルフの掟を考えれば、それは決して当然のことではないのだが、フラヴィは当たり前のようにそう言った。

 そして、レティシアは自身が既に彼女と同じ結論に至っていることに気づいた。


「……そうだな。――でも、どうして私がノアを追うとわかったんだ?」

「そんなの、簡単よ」


 レティシアが問い返すと、フラヴィは自慢気に胸を張った。


「あなたは昔から、彼に首ったけだもの」



 二日後、『サン・ルトゥールの里』の外縁で、レティシアはフラヴィやユーグなど数名のエルフに出立を見送られていた。

 フラヴィとの会話の後、レティシアは彼女の口添えも借りて祖父をなんとか説得し、「次期里長候補として見聞を広めつつ、掟を破ったノアを連れ戻す」という名目で森の外へ出る許可をもぎ取った。


「――レティシア、今からでも考え直せ。平民なんぞのために、お前が出張る必要はない」


 その場に至って、空気を読まないユーグの言に対し、レティシアの機嫌が急降下する。

 集落に住むエルフの間に明確な身分の差はないのだが、ユーグのような代々続く一部の氏族は、そうでない者を「平民」と称して一段低く見る傾向がある。


「……ノアを連れ戻すことは、長老会で認められた公務だ。彼のような有能なエルフの出奔をみすみす逃すことはできない」


 レティシアは努めて感情を排し、客観的な事実をもって答えた。


「――ならば、俺が……」

「はいはい! ちょっと黙っててね」


 なおも言い募ろうとするユーグの後ろから、フラヴィが呪文を掛けると、彼はパクパクと口を動かすだけで、何も言葉を発さなくなった。

 彼女はユーグから一時的に声を奪う魔術を使ったのだ。


「……! …………ッ‼」


 いきり立ってフラヴィに詰め寄るユーグだが、何を言っているのかは誰にもわからない。


「もう〜、あなたの番は終わりだってば。レティ、助けて〜」

「はぁ……。仕方ないな」


 フラヴィが芝居臭い声で助けを求めると、レティシアは溜め息を吐きながらも機敏な動きでユーグの背後に回り、その延髄めがけて手刀を放った。

 ユーグは声もなく地面に崩れ落ちる。


(……おい、いつにも増してユーグさんの扱いがひどくないか?)

(……レティシア様の前で、ノアを軽んじるようなことを言うから……)


 周囲の若いエルフらがヒソヒソと何事かを噂していたが、二人がそれを気にすることはなかった。

 一人、年嵩としかさのエルフの男が、レティシアの卓越した体捌たいさばきに対して拍手を送っていた。


 その後、レティシアと向かい合ったフラヴィの胸元から、狐と猫の特徴を持つ愛らしい小動物が姿を現す。


「シャパルか。お前も私を見送ってくれるのか?」


 にゃーんと小さな鳴き声を上げて、シャパルという名のキツネコがレティシアの肩に渡って来る。


「レティ、あなたの旅にその子も連れて行ってほしいの」

「何……?」


 レティシアがいぶかしげな目線を向けると、真っ直ぐに彼女を見返しているフラヴィと目が合った。


「……良いのか? 大事な使い魔だろう?」

「――だからこそ、よ。本当は私がついて行きたいぐらいなんだから」


 森を出る許可を得たのはレティシアのみだ。

 さすがにフラヴィは、現時点で掟を破ってまでレティシアに同行するつもりはなかった。


「あなたは優秀だけど、思い込むと周りが見えなくなってしまうことがあるから。その子がきっと力になってくれるわ」

「……恩に着る。大切に預からせてもらおう」


 シャパルは主であるフラヴィの方を名残惜しそうに見て、「仕方ないのニャ」と溜め息まじりにつぶやいた。



 シャパルを預かったレティシアの前に最後に立ったのは、その場にいた中では年長のエルフの夫婦だ。


「……シモン殿、それにグレースか」


 二人はノアの育ての親だ。

 幼い頃、両親を亡くしたノアに手を差し伸べたのが、父方の叔父であったシモンと、その妻であるグレースだ。


 よくノアの家を訪ねていたレティシアは、この二人とも親交があった。


「ノアのこと、よろしく頼みます」

「どうぞ、あなたの心の赴くままに」


 シモンは実直な態度で、グレースは柔らかく微笑みながら、飾り気のない言葉を送った。

 対して、レティシアは片手を胸の前に置き、略式ながら丁寧な礼を返した。


「お任せ下さい」


 こうして、レティシアはシャパルを連れて『サン・ルトゥールの里』を出発し、森の外へ向かって足を踏み出した。



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// 【おまけ】


レティシア「フラウよ、ところで『首ったけ』とはどういう意味だ?」

フラヴィ「……(この子はまったく、、、)何でもないわ」


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// 【改稿履歴】

(2024年9月23日)数百名のエルフ→千名余りのエルフ

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