愛されていることも分からず


「あなた様は生まれたときからずっと、その美しき御心が王太子殿下なのですわ」


 婚約者が変わらぬ微笑を讃えそう言うと、それは違うと男は弱弱しく首を振った。

 令嬢が今日はじめて顔を曇らせる。


「お身体がお辛うございますか?」


「大丈夫……と言いたいところだけれどね。此度の件は荷が重過ぎて。私のような器の小さき者に、王太子など無理な話だった」


 令嬢は沈黙し、男の吐露を促した。


「少しでも今の王家に疑心を抱かせれば、かの国に寝返るか、独立を果たしてもおかしくはない状況なんだ。すると他の辺境伯家も追従するかもしれない。祖父の代で彼らには一度見限られているからね。彼らは王家の揉め事を静観していたのではなく、呆れていたのだと思うよ。でもそれもよく分かることなんだ。国境を守る辺境伯家に打診もなく、好き勝手に国の中心部で王位を争い大騒ぎだ。そのうえ要らぬ内戦で国力を低下させて。そんな王家に変わらぬ忠誠を尽くせだなんて言えないよね。当時はその隙を狙って周辺国もよく動いていたようだから。それぞれの辺境伯家は大変だったと思うよ。それなのに王家は自分たちの問題で明確な指示を出せる者も不在、軍部も分断、援軍などもっての外。本当にあの当時に国を守ってくれていた辺境伯たちには感謝しかないし、本来ならば王家が頭を下げて詫びねばならないところだったと思うのだよ。それを王位を奪えた祖父上は何ひとつ理解されていなかった。その祖父上の元で育った御方だから。教育係からは王として辺境伯家をいかに大事にせねばならないか説明を受けているし、その理由までも頭ではちゃんと理解されているようではあるのだけれどね。カッとなると心の奥に仕舞っていたものが出てしまう性質だから。本当ならば父上との謁見の場も此度は避けておきたいところろなのだよ。私との面談前に西の次期辺境伯から陛下に何か仕掛けられたらと思うと。もはや気が気ではないし、たとえ何もなかったとして、今度は私との面会時だ。此度の疑惑に関し私から彼らに探りを入れる際に少しでも失敗したらと思うと……」


 饒舌となった男が胃を押さえると、令嬢がさっと立ち上がり、それと同時に控えていた侍従はその椅子を引いて、そのままそれを男の隣へと移動した。

 その侍従の振舞いを当然のこととして受け取った令嬢は、すすすと男の隣に歩み寄ると、移動した椅子に浅く腰掛ける。


 はじめから隣に座っていたら?と思う者がないのは、二人が婚姻前だからだろう。

 貴族には男女間での適切な距離というものがある。それは婚約者であろうと同じだ。


「殿下。西の辺境伯家のご嫡男様は、婚約者のご令嬢をお連れすると聞き及んでおりますわ。父には彼女と面識を持つようにと言われておりますの。殿下との面会の際にはわたくしも同席いたします。その婚約者様の同席もお許しくださいませね」


 令嬢の声色がいつもより柔らかく変化した。

 彼女からこの音色で声を掛けられる者がこの世に男ただ一人であること。それを知らないのは、この場にいるうち男だけである。



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