第136話:偵察
混乱状態にある、と聞いていたガストニアの街だったけれど、さすがに外から見てわかるほどの内乱が勃発している、というわけではないようだ。
夕刻。丘の頂で身を伏せ、遠目に見える街の様子を窺いながら、さてどうやって兄さんを助け出したものだろうかと思案する。
真正面から乗り込んでいく? 転移門で奇襲を仕掛ける? いずれにせよ、街の内情も兄さんの居場所もわからない状態では、下手に動くことは出来ない。いまはただ、大人しく報告を待っているしかでしない。
「本当にまだ無事だと思うのか? お前の兄のマイロは」
「うん、間違いないよ」
隣で一緒に街を観察しているマズルカの問いに、頷いて返す。兄さんはまだ無事だ。どういう状態かはともかく、少なくとも、ゾンビとしてはまだ活動している。
「なぜ言い切れる?」
「僕は死霊術師だからね。自分が作ったリビングデッドが、まだ無事かどうかくらいは把握できるよ。といっても、術式が働いているかどうか程度だけど」
兄さんは術式が壊れるほどには、損壊していない。それは確かだ。
「た、確かに、私もボーン・サーバントを使うときなどは、まだ術式が動いているかどうかはわかりますね」
「僕にもっと能力があれば、どこにいて、どういう状態かも詳しく把握できるはずなんだけどね」
「そうなったらわたしたち、どこでなにしてても、おにいちゃんに筒抜けになっちゃうんだ」
反対の隣からウリエラが補足し、マズルカの向こうでポラッカがもじもじとしている。ちなみにサーリャはどうしても目立つので、丘の下で待機だ。
「なるほどな。少なくとも無駄足ではない、ということか」
そう。だからあとは、どう助けに行くかなのだけれど。
「お待たせ」
不意に、誰もいなかったはずの後方から、声が聞こえた。振り向くと、半ば以上透けた青白い人影が、背後に立っている。
エレメンツィアだ。
「おかえり。どうだった、街の様子は?」
「ピリピリしてた」
大富豪グラストン卿の令嬢マルグリットは、エレメンツィアとの再会の礼にと、三つの贈り物をくれた。
ひとつは、兄さんがガストニアで捕らえられているという情報。
もうひとつは、ここに来るまでの足に使った、幌付きの馬車。
そして、兄さんの奪還まで力を貸してくれることになった、エレメンツィアだ。
実体が極めて希薄な霊体である彼女は、透明化することで易々とガストニアに潜り込み、街の内情を探ってきてくれたのだ。
「街の人、冒険者、みんな怯えたり、苛立ってる」
その辺りはマルグリットからも聞いていた通りだ。均衡を保っていた力関係が崩れ、あちこちで有形無形とわず諍いが絶えないようだ。
「それにみんな、あなたに怒ってた」
まあ、それはしょうがない。
「それで、兄さんの居所はわかった?」
エレメンツィアは頷いた。
「バルバラ商会の会館跡。聖騎士団が居座って、教会にしてる」
「あそこかあ……」
なるほど、聖リングア言学会が差し押さえるには、もってこいの物件だ。守りは固く、居住空間も十分にある。なにより、教会が欲しがる威厳に満ち溢れている。魔術学院に対するけん制にもなるわけだ。
皮肉な話だ。僕らが街を追われる原因になった場所に、もう一度行かなくてはならないとは。
「中庭で、鎖で縛られてる」
「そっか……見張りはどれくらいいた?」
「少なかった」
「少ない?」
エレメンツィアは頷く。罠のために人を隠しているのだろうか。
「敷地の守りは厳重だけど、お兄さんには冒険者パーティがひとつだけ」
「冒険者パーティ……?」
いやな予感がする。
「それ、どんなパーティ?」
「戦士が二人、獣人の狩人がひとり、白魔術師がひとり、修道士がひとり」
最悪だ。
「そ、それ、クルトさんたち、ですよね」
「だろうな。教会についてるとは……いや、セルマがいるから、仕方ないのかもしれないが」
「ダナちゃんたちなら、小さいマイロおにいちゃん、返してくれないかなあ」
「難しいと思うよ……」
クルトがこのやり方に賛同しているとは、正直思えない。あいつは真っ直ぐなやつだ。アンナに対して忸怩たるものがあるようだが、かといって他人に甘っちょろい心根が変えられるほど器用でもない。
教会に対して逆らえるほどの力がないのだ。情けない勇者たちである。
「どうするの?」
エレメンツィアの問いかけに、少し考える。
はじめはウリエラの竜牙兵を使って、物量で攻め込んだ混乱に乗じて兄さんを取り戻せないか、と考えていた。もちろん街にも相当数の被害が出るだろうけど、それはどうでもいい。
けれどあの竜牙兵は、アンナにもらったドラゴンの牙を使ったもので、残念ながらもうウリエラの手元に残っていなかったのだ。いまからゾンビの群れを用意するのも、時間がかかりすぎる。
他の大規模魔術ではどうかというと、術式を準備し始めた時点で、間違いなく居場所がバレる。一瞬で街中の人間を消し去れるならともかく、魔術が発動するまで、動けないウリエラを守って戦い続けるのは難しい。
ならば、こっそり忍び込んで行こうかとも思ったが、僕らが一緒に行動するとどうしても目立つので、戦力を分散しなければならなくなる。できれば避けたい。
でも。
広場を守っているのが、クルトたちだけだというのなら。
「いっそのこと、転移門で飛び込んでみようか……」
場所がバルバラ商会の中庭なら、可能だ。ウリエラは行ったことのある場所なら、どこでも転移門を開ける。
「そう……ですね、現状ではそれが一番かもしれません」
「クルトたちがなにを考えているのかにもよるがな」
「敵対は避けられないと思う。けど少なくとも、聖騎士団まるごと相手にするよりはやりやすいはずだ」
「じゃあ、ダナちゃんたちと戦うのかー」
どのくらい勝ち目があるかはわからない。なにせ相手はクルトたちと、その周囲に控えているだろう聖騎士団だ。
でも、僕たちは行く。僕の仲間を見捨てないために。
「ん、わかった」
エレメンツィアも頷く。行く気満々だ
「本当にいいの? 君はアンデッドだ。聖騎士は天敵だよ?」
「うん。恩を返すように、お嬢様に言われてるし」
僕らとしては、ありがたい。けれど、そのお嬢様とやっと再会できたというのに。いいのだろうか。
「それに、祝福で浄化されたら、魂はお嬢様のところに行くと思うから」
「……わかった。ありがとう、頼りにしてるね」
さて、その一方で。
「アンナは、本当に来ないんだね?」
僕らの後ろでずっと話を聞いていたアンナは、岩に腰かけて足を組み、面白そうに目を細めている。
「ええ。これはマイロ先輩たちの戦いですから、私は手を出しません。もうサービスはなしだ、って言いましたよね」
彼女の力を借りたければ、死者たちの王になることを受け入れろ、ということだ。
アンナの、吸血鬼アンナターリエの力があれば、おそらく兄さんを取り返すことは容易いだろう。けれど、危険な取引だ。彼女がなにを考えているのか全く分からない以上、迂闊な約束はできない。
それに僕は、過剰な力が欲しいわけじゃない。ただ静かに暮らしたいだけなんだ。
「私はここで先輩たちの勇姿を見ていますから」
「はいはい……じゃあ、暗くなったらはじめようか。ウリエラ、転移門をお願い」
「わ、わかりました」
戦いが始まる。待ち受ける騒乱を煽るように、どこかで狼が、長々と遠吠えを響かせていた。
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