第133話:小さなマイロ(1)
目が覚めた瞬間から、なにかがずれているな、という自覚はあった。
小さなマイロには死の瞬間の記憶があった。墓地に枝葉を広げていた木に登り、不注意で足を滑らせて落下した。全身と頭を強く打って、とんでもなく痛かったのに、身体がぴくりとも動かすことができなかった。
だんだんと世界が回転していく中で、自らの死を悟ると、ひどく恐ろしくなった。
墓地に運び込まれてくる死体たちを相手にするのは、両親に言いつけられて教わる面倒な仕事だったが、いい遊び道具でもあった。つついてもつねっても反応しないのが逆に面白くて、ときどき両親に見つからないように、身体の中に異物を詰めたり、逆に内臓をくすねてネズミに食わせたりもしていた。
きっと自分も、ああして誰かの玩具にされると思うと、怖くて仕方がなかった。
だからだろうか。
自宅の地下で目が覚めたとき、なにかがずれている、とすぐに直感した。
自分の目覚めを喜ぶ両親は、記憶にある姿よりもずっと老けていて、傍らでは知らない年上の少年が彼らに怯えていた。両親はすぐに少年を引き離してしまったが、家には、自分の知らない子供が暮らしていた痕跡が、いくつもあった。
理由はすぐに分かった。両親の話を盗み聞きして、こっそり日記を読んで。
知らない少年は、マイロだった。自分の代わりの、マイロだった。
他にもマイロは何人もいたけれど、みんな殺されていた。いま地下に閉じ込められているマイロだけが、魔術師になって自分をゾンビに出来たから、生かされている。
ああ、ほら、やっぱり。
生きた人間は、死者を玩具にして遊ぶんだ。両親は、マイロという死者を、自分たちの好き放題に弄って遊んでいたんだ。
いまも死んだ自分をゾンビにして、自分たちに一番都合のいいマイロにしようとしているじゃないか。
ただ、彼だけは。
自分をゾンビにしたマイロだけは。
目覚めてからの数日、自分以外のマイロの痕跡を探していた小さなマイロは、地下に閉じ込められているマイロの、墓地での仕事の跡を見つけていた。死者に対して誠実で、丁寧な仕事ぶりだった。
自分のように、死体を玩具にして遊んでいたような跡もない。実直に、慈しみすら抱いて死者に向かい合っているように見えた。
だから、小さなマイロはマイロのもとへ行った。話してみたくなったのだ。
マイロは酷くやつれ、気力や生きる力というものを、根こそぎ奪われてしまっているように見えた。生きているはずなのに、死者よりもよほど死者に見えるほどだ。
その様子が酷く憐れで、妙に愛おしかった。小さなマイロは、努めてマイロに優しく接した。次第にマイロも心を開いて、小さなマイロを兄と呼ぶようになった。本当の名前も知らず、自分と同じ名前の、自分よりも大きな弟が出来て、小さなマイロも嬉しかった。
やがて、小さなマイロは決心する。マイロをここから出そう。彼は偉大なものになる。幼心に、そんな確信があった。何故なら彼は、この家で殺され、弄ばれていたマイロたちの中で、唯一生き残っているマイロなのだから。
まずは、両親を殺そう。今度は彼らに、玩具になってもらわなくちゃ。
それからどれほど時間が経ったか。
マイロがゾンビたちに連れられて戻ってきたとき、小さなマイロは歓喜した。
やっぱり間違っていなかった。彼は、死者たちを率いるものになっていたのだ。人間たちを襲って、身を隠す必要があると聞いたときは、わくわくしたものだ。
きっとここにも追手が来るだろう、とマイロは言っていた。
だったら、僕もマイロの力にならなくちゃ。僕はマイロの兄さんなんだから。
そしていつか、マイロの作った死者の国へ行くんだ。
マイロたちが出発して数日が経った頃、墓守の家に追手がやってきた。賞金のかかったマイロの首を狙う、冒険者たちだ。
冒険者たちは、乱暴なノックに返事がないとみるや、扉を蹴破って入ってきた。その姿を盗み見ながら、小さなマイロはほくそ笑む。このために準備したんだ。
冒険者たちは家に入ってくるなり、異臭に顔を顰める。玄関にはあちこちに牛糞が散らばっていて、ひどい臭いが籠っている。
それらを踏まないように、冒険者たちは慎重に歩を進める。思うつぼだ。
ひもを引っ張る。すると、冒険者たちの上から、大量のレンガが降ってくる。慌てて避けた先に撒いておいた油で、戦士と、巻き添えになって魔術師が転んだ。牛糞は、油の匂いに気付かせないために撒いてあった。戦士と魔術師は、ひどい有様だった。
盗賊も、民家に罠が仕掛けられているとは思っていなかったのだろう。けれど小さなマイロは、いたずらの達人だった。激怒している冒険者たちを見て、小さなマイロは笑いながら居間に駆け込んでいく。
憤慨しながら追いかけてきた冒険者たちは、居間に入るなり、足を止める。
居間には、小さなマイロの両親がいた。虚ろな目でうわ言を呟きながら、出鱈目に手足を継ぎ足された、異形の姿だった。
動けないし、もう最近はなにをしても反応がなく、つまらない玩具になってしまった。だから、もうここで捨てていこう。
小さなマイロは、ろうそくの火を床に落とす。
床に撒かれていた油を伝って火の手が走り、最初に魔術師が、次に戦士が炎に撒かれた。火の手は居間を包み、玄関まで広がって、冒険者たちの逃げ道を塞ぐ。家中に撒いておいた油は、十分に気化して空気と混じり、すぐさま炎を伝え広げる。
燃えていく。小さなマイロの生まれ育った家が。何人ものマイロを閉じ込め、食い殺していった家が、燃え上がっていく。悲鳴が聞こえる。人間たちがもがき苦しむ声が聞こえる。両親の悲鳴も混じっていた。
大成功だ。小さなマイロは笑いながら駆けだしていく。
さあ、これからどうしようか。マイロはダンジョンに身を隠すと言っていた。ダンジョンに入る方法はあるだろうか。どうとでもなる。かくれんぼは得意だ。両親は一度も、隠れたマイロを見つけることが出来なかった。
けれど、小さなマイロは立ち止まらざるを得なかった。
道の先に、誰か立っている。
「いやだわまったく、こんな子供の浅知恵にしてやられるなんて。冒険者なんて、所詮は野蛮人の集まりにすぎないわね」
白い布に複雑な模様の入った服を着た、老齢の女。小さなマイロは知らなかったが、それは聖リングア言学会の高司祭が纏う法衣だった。
「捕えなさい。壊してはダメよ。そのゾンビは、あの薄汚い死霊術師に繋がっているのだから」
女の後ろから、鎧に身を包んだ聖騎士たちが歩み出てくる。
まずいかも。
小さなマイロは、少しだけ焦りを覚えた。
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