囚われた男
ダンジョン苔の光がぼんやりと周囲を照らす。
簡素なものではあるが机があり、椅子があり、棚まで置いてある。
ダンジョンも深層まで下れば訪れる者は少ない。
それを隠れ家と呼ぶ者もいれば、秘密基地と呼ぶ者もいるが、いずれにしても他人から干渉を受けない場所として、これほど好都合な場所もあるまい。
そこに難なく辿りつける実力があれば、の話であるが。
「なぜ、よりにもよって……」
その報告は、男にとって想定外のものだった。
このままでは今後の活動に支障が出る。すぐに手を打たなくてはならない。
「顔は見られていないのですね?」
「まさか。いくらなんでも、そんなヘマはしない」
大柄な男が銃の手入れをしながら、顔ひとつ動かさずに言う。
まるで他人事のような態度に、男は少しだけ苛立ちを覚えた。
彼らの間に、さらに言えばすぐ近くで爪を磨いている女の間にも上下関係は一切存在しない。それぞれが対等な協力者であり、誰が誰の命令に従う義務もない。
「西海琴莉と遭遇している時点で大ポカなんですけどね」
「そんなこと言われたって、いきなりコアルームに入って来られちゃどうしようもないじゃない」
大柄な男に嫌味を言ったつもりだったが、その言葉は同じダンジョンに同行していた女にも当てはまってしまった。
「せめてあの場で殺しておけば、こんな面倒なことには――」
「バカ言わないで。あんなふざけたお面を被ってるのが西海琴莉だなんて、会ったこともないのに
彼女の言い分は最もである。
青海海底ダンジョンに現れた西海琴莉が、ピンク色のウサギのお面をしていたことはハンター連盟からの報告にもあった。
報告を聞いたときは、何故そんなふざけた格好でダンジョンにいたのか、と不思議に思ったが、キツネのお面を被った覆面ダンジョンライバー、吉音イナリと行動を共にしていたと聞いて合点がいった。
西海琴莉と吉音イナリの関係は有名だし、彼のライブ配信に出演したのであれば似たようなお面を被る演出もありそうな話だ。
それがあの日でさえなければ、男も笑って彼らの配信のバックナンバーを見ていたかもしれない。
「本当に、間の悪い子ですよ。まったく」
西海琴莉がウサギのお面を被っていなければ。
西海琴莉がコアルームに入って来なければ。
西海琴莉が青海海底ダンジョンを選ばなければ。
いや、そもそも――。
「で、どうするつもりだ?」
大柄な男が手入れを終えた銃を回しながら、やはり他人事のように言う。
「どうって。殺すしかないでしょう」
「どうやって?」
「アレを使います」
男は部屋の隅を指で差す。
そこには身体を紐でグルグル巻きにされ、手足も縛られた状態で気を失っている青年が一人、床に転がされていた。顔には包帯がグルグルと巻かれていて、血がにじんでいる。身体にはまだ新しい打撲痕が多数浮かんでいて痛々しい。
青年もプロハンターである。
男たちとは別のチームが、ダンジョンを襲撃しているところに遭遇し、捕縛することに成功した。さっさと殺してしまおうという声もあったが、『せっかく捕まえたのにもったいない、何かに使えるだろう』と男が提案し、身柄を預かっていた。
そしてついに、有効利用する機会が訪れたというわけだ。
男は青年の荷物を漁ると、緊急時に使用する救難用の発信機を起動した。
これはGPSが届かないような場所で使用するための、使い捨て発信機である。
強力な信号を発するため、富士の樹海にいようと、アマゾンの奥地にいようと、ダンジョンの奥地にいようと、ハンター連盟本部に位置情報を伝えることができる。
起動すると、周囲数キロメートルの電子機器に影響を及ぼす。
凶悪ともいえる性能を持ったこの発信機は、緊急時にしか使用してはならないことになっている。
それを今、起動させた。
赤いランプがチカチカと点滅し、ほんの数秒の後に発信機は光を失った。
役目を果たしたのだ。
発信機のある場所はハンター連盟本部へと届いたはずだ。
「これで近いうちに、ハンター連盟のヤツラがぞろぞろココに来ます。そこに西海琴莉も来るよう手を回しておきます。あとは……いいですね?」
大柄な男が女と顔を見合わせた。
そして意地の悪い笑顔を浮かべる。
「それは構わないが……。余計なヤツもついてきそうだが、いいのか?」
「ああ、そうですね。そのときは、そっちも処理してしまいましょう」
「ふっ」
「ひどい大人もいたものだわ」
「大義のため、些細な巻き添えを気にしてはいられませんから」
ダンジョンバーストなどという村や町を壊滅させるような大規模な巻き添えを出しながら、一向にダンジョン推進の方針を改めようとしない政府に比べれば、一人や二人の犠牲など可愛いものではないか。
「それでは、私は準備がありますので」
まだまだやらねばならないことが山積みだ。
男は二人の協力者に背を向けて歩き出す。
十分に離れたところでスマートフォンを取り出すと、アルバムのアイコンを押す。
そこには愛する家族の写真が所狭しと並んでいた。
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