続けるのも、やめるのも
新しい仕事の話は断った。
なんとかっていう有名なDunTuberとのコラボとか言っていたけど、今の俺では相手に迷惑をかけてしまいそうだったから。
というのは建前で、本音は『今はそんな気分じゃない』からだ。
音無さんに別れと告げ、いつもの喫茶店『
「さむっ」
四月を迎えても、今日のように雲が日差しを遮っている日は肌寒い。
薄手のコートでしっかりと身体を包みこみ、やや前傾の姿勢のまま駅へと向かう。
俺はこれからどうしたいのか。
自分自身のことなのに、
自転車に乗って旅にでも出たい気分だ。
当てもなく、気の向くままに。
でも、そんなことをすれば咲夜が家で一人っきりになってしまう。
それはダメだ。絶対にダメだ。
俺は首を左右に振り、
寒いとき、腹が減っているとき、そして一人のときは、ついつい思考がネガティブになってしまう。何より、今の俺は三拍子揃ってしまっている。
早く、家に帰ろう。
家では咲夜が待っている。夕飯は炊き立てのご飯にサバの味噌煮、それからスライストマト。食後には熱いブラックコーヒーを飲むんだ。
🦊 🦊 🦊 🦊 🦊
「うおおぉぉい! 大丈夫か、お前? 目、いや顔、いやいや魂が死んでるぞ!?」
ここはR大学の軽食堂。
俺はろくに授業にも行かず、小説を読みながらだらだらと時間を潰していた。
聞きなれた声に顔を上げると、500円の日替わりパスタ――本日の日替わりはシラスがたっぷり乗ったペペロンチーノ――をトレイに乗せた
「魂が死んでたら、そいつはもう死人だよ」
「言われてみればお前、ゾンビみたいな顔してんな」
「どんな顔だよ」
「自覚ねえのか。…………もう辞めたっていいと思うぞ、俺は」
「そうかな……、え?」
突然、何を言いだすのか。
俺は驚きのあまり、シンの目を凝視してしまった。
手に持ったフォークをくるくると回し、シンは器用にパスタを巻いていく。
「元々、やりたくてやってるわけじゃないんだろ?」
「それは……まあ」
生返事が口からこぼれる。
訳知り顔をしている友人を前に、俺の頭の中はすっかり混乱していた。
いつから気づいていた?
どこまで気づいている?
「やっぱり、あの女に弱みを握られてるんじゃないか? 本当に困ったときは俺に相談しろって言っただろ」
「え……、あっ!」
思い出した。
シンには音無さんといるところを目撃されていたんだ。
彼女との関係を問い詰められて、思わず『お金の関係』とか言ったもんだから、彼女のところでバイトをしていることになっていたような気がする。
すっかり忘れていた。
仕事が覆面ダンジョンライバーであること以外は概ね事実だし。
「おいおい。『あっ』ってなんだ、『あっ』って。まさか忘れてたんじゃ――」
「ば、バッカだなあ。そんなわけねえだろ? いつだってシンの六法全書を頼りにしてるって」
「まあ、別にいいけどさ。ブラックバイトにはマジで気をつけろよ。労働者には『退職の自由』があるんだ、いざとなったら退職代行サービスでもなんでも使って辞めるんだぞ」
「自由?」
「そう、自由。続けるも、辞めるも、お前が好きに決めていいんだよ」
シンが大きく口を開けて、フォークに巻き付けたパスタにかぶりつく。
(そうか……、自由。続けるのも、やめるのも、俺の自由なんだ)
昼食を終えたシンが授業へと戻り、俺はひとり軽食堂に残った。ぼんやりと窓の外を見つめながら、自問自答する。
まずは配信。というか、吉音イナリとしての活動についてだ。
元々、やりたくて始めたものじゃない。
成り行きで、言い方は悪いけど騙され脅され始めたようなものだ。
はじめのうちは、ちょっと楽しかった。
見てる人は何をしても喜んでくれたし、お金だってたくさん入ってきて。
でも今は……。
お金に余裕ができて、正体がバレる心配もしなくてよくなって。
マンネリだの、オワコンだのと揶揄されながら続けることに、なにか意味はあるのだろうか。
少なくとも、これは俺がこれからも続けていきたいことではない。そう思う。
それから、
俺は人に殺されるのも、人を殺すのも嫌だ。
他人が他人を殺すところだって見たくない。
でも。
俺がいなくたって、犯人たちはこれからもダンジョンを破壊するために必要なら、ためらうことなく人を殺すのだろう。
もしかしたら俺が知っている人が殺されるかもしれない。
じゃあ、今の俺にできることは……。
取り出したスマートフォン。
電話帳のアイコンを押すと、登録済みの連絡先が表示される。
最近はメッセージアプリで連絡先を交換するから、電話帳に登録する機会がめっきり減った。ほとんどは家族。
だけど、一件だけ。
半年近く前に登録した連絡先がある。
――関東ダンジョン技術開発所 特別顧問
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