それはセクハラですよ


「新メンバーの西海にしうみ琴莉ことりちゃんにカンパーイ!!」

「「「カンパァーイ!!!」」」


 缶ビールと缶チューハイが並んだスクエアテーブルを囲んで、犯罪対策課ハンタイの歓迎会が始まった。新メンバーは私ひとり。テーブルを囲んでいるのは私を含めて四人。残りの二人は今日中に戻ってくれない場所にいるそうだ。


「歓迎会がオフィスこんなところで申し訳ないっ!」


 課長の紺屋こうやさんが両手を合わせ、さらに片目をつぶって明るく謝る。

 マンガかアニメでしか見ないですよ、そのポーズ。という言葉をグッと堪え、


「いえ、構いません。外でお酒を飲んで機密情報が洩れたりしないように、ということですよね」


 さすがはハンター連盟の内部仲間を警戒して、セキュリティの高い地下へと引っ越して人たちだ。危機管理が徹底していると感心した。


「え? 単純に僕の懐がきび――、いやっ! その通りなんですよ。僕たちはハンター連盟の威信が掛かった、重大事件を追っているんですから」


 …………全然そんなことなかった。

 明らかに取り繕った様子の紺屋課長が、筋肉でふくらんだ胸をさらに張っている。


「課長のお財布がそれくらいパンパンだったら、あたしたちもジョッキで乾杯できたんだけどなあ」


 リンゴ味の缶チューハイを右手に持った女性が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら紺屋課長の胸板をツンツンとつつく。

 歓迎会が始まって五分も経っていないのに、彼女の顔は鼻から頬にかけて湯上りのようにピンクに染まっていた。


 桜色に塗られた爪が、紺屋課長の厚い胸の上をグルグルと動きだす。

 なんというか……、ちょっとえっちぃ。


「ちょっとニコ。女性から男性でも、それはセクハラですよっ」


 さすがにやりすぎだ、とニコと呼ばれた女性を叱る紺屋課長だったが、ニコ先輩の指が胸から脇腹、背中と移動するだけで何も解決していない。


「……課長、無駄です。ニコはもう……泥酔してます」


 その様子を少し離れたところから見ていた男性がボソボソとつぶやいて、二人からさらに距離を取っていく。


「海里くん!? なんでそんなに遠くにいるんですか! ちょっ、助け……ああっ」


 そのままニコ先輩に押し倒された紺屋課長は、ひたすら頭のてっぺんつむじを指でグリグリと押されている。


「あの……助けなくていいんですかね?」


 混沌とした状況にどうしたらいいか判断わからず、カイリと呼ばれた男性を見ると、水でも飲むかのようにゴクゴクと缶ビールをノドへと流しこんでいた。横のデスクには握りつぶされた缶ビールの空き缶が三つも並んでいる。


「……いいよ。いつものこと、……だから」


 小さな声でそう言って、カイリ先輩は四本目の缶ビールを潰した。


 缶チューハイ一本にも満たない量で泥酔するニコ先輩と、缶ビール四本を凄まじいスピードで飲み干して顔色も変えないカイリ先輩。そして部下の尻に敷かれて身体中を突かれている課長……。


 ここまでわずか八分。

 自己紹介をするヒマもなく、歓迎会は宴もたけなわだ。


「……歓迎会がこんなで、……悪いな。……俺の名前は、筒城つつき海里かいり。……泥酔して暴れまわってるのが、里美さとよし弐恋にこ。今日来てないのが、網場あば保立ほたて。課長は……課長だ」


 私に気を遣ってくれたのか、カイリ先輩はどこからかボールペンを取り出して紙に名前を書いていく。課長の名前は『くさかんむり』を書いてペンが止まってしまった。どうやら漢字を忘れてしまったらしい。


 課長の名前は紺屋こうやだから、くさかんむりの時点で間違っているのだけど。そのまま書いていたらきっと『荒野』になっていたんじゃないだろうか。


「筒城先輩……。ありがとうございます、自己紹介もないままだったからどうしかなって思ってたんです。あのっ、西海琴莉です! 知らないことばかりですけど、これからよろしくお願いします!」


 遅ればせながら、私も筒城先輩に挨拶をした。

 ようやく歓迎会らしいことができた気がする。


「……うん。……よろ――あっ」


 五本目の缶ビールを飲み干した先輩が、私の方を見て目を丸くした。

 その視線は私ではなく、さらに後ろを見ている。


「えっ」

「どおおぉぉぉぉっん!」


 振り向いた私の視界いっぱいに、飛び掛かってくる里美先輩のボディが映った。

 その勢いのまま私を押しつぶした里美先輩は、私の胸に頬をすりつけながら、


「あたしはニコだよーーー!! よろしくね、コトリちゃああぁぁん」


 なぜか自己紹介をはじめた。

 こんな体勢で胸に頬ずりしながらやるものではないし、女同士でもこれはどうかと思う。セクハラで訴えたら絶対勝てる。そのときは紺屋課長と一緒にコンプライアンス課に駆け込もう。


「ちょっ、里美先輩!」


 胸に顔をうずめるニコ先輩の顔をどうにかして引き離そうとするが、背中に回された彼女の腕が私の胴を離さない。


「ニコって呼んでえええぇぇぇっ!!」

「えええぇぇぇ。に、ニコ先輩?」

「なあに? コトリちゃん!」

「えっと、どいて貰えませんか?」


 私はいまだ胸元に顔を乗せている、めんどくさい酔っ払いの先輩を見る。

 ニコ先輩はニヤァっと笑って、


「やぁだよぉぉぉ♪ ふかふかでギモ゙ヂイ゙イ゙」


 もうヤダ、面倒くさい。


 もはや変質者のようなセリフを口にしながら、ニコ先輩は再び胸に頬ずりをはじめた。助けを求めて辺りを見回すも、役立たずの課長は床に転がったままだし、筒城先輩は私たちから大きく距離を取って一人でビールを飲んでいた。


 それもそうか。

 課長ですらも見捨てる人が、新人の私なんかを助けてくれるハズがない。


 三十分後、酔いが回ったニコ先輩が眠りに落ちるまで、私は全てを諦めて心を無にすることしかできなかった。

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